ルクレティア・ウェスト
ルクレティア・ウェスト Lucretia West | |
---|---|
1956年 | |
基本情報 | |
出生名 | Lucretia Anderson Coleman[1] |
生誕 | 1922年11月13日 |
出身地 | アメリカ合衆国・バージニア州・スポットシルベニア郡 |
死没 |
2022年2月21日(99歳没) アメリカ合衆国・ワシントンD.C. |
学歴 | ハワード大学 |
ジャンル | クラシック音楽・スピリチュアル |
職業 | メゾソプラノ・アルト・声楽教授 |
活動期間 | 1940年代[2] - 2008年 |
レーベル | ウェストミンスター デッカ |
ルクレティア・ウェスト (Lucretia West) はアメリカ合衆国のメゾソプラノ、アルト歌手。ヨーロッパを中心に活動し、歌手としての引退後は2008年までカールスルーエ音楽大学で声楽の教授を務めた。
生涯
[編集]ルクレティア・ウエストは1922年11月13日にバージニア州、スポットシルベニア郡で生まれ、ワシントンD.C.で育った。彼女は同地区の公立学校に通い、ハワード大学で学んだ後、スイスで音楽家としてのキャリアを始め[注釈 1]、1951年にジョン・ヘイ・ホイットニー財団奨学金の最初の受領者の1人として、ベルギーとスイスで教育を受けた[3]。1957年、彼女はアメリカに戻り、ニューヨーク・シティ・オペラのメンバーとなる。その後はふたたびヨーロッパに渡り、70年以上にわたってスイスとドイツで演奏と教職を続けた。彼女は終生ふたつの国籍を保持し、そのことを非常に誇りに思っていた[4]。彼女の演奏活動はドイツ、オーストリア、ユーゴスラビアに及び、時折アメリカで里帰りツアーを行なった。1957年、ロサンゼルス・センチネル紙は「近年、ウェストは海外の主要なオペラハウスやコンサートホールで有名になったが...本国ではまだ比較的知られていません。」と書いたが、同年、ディミトリ・ミトロプーロスが指揮をするニューヨーク・フィルハーモニックとともに、カーネギー・ホールにデビューを果たした。ニューヨーク・タイムズは彼女を「想像力と感性を備えた成熟した芸術家」と呼んだ。彼女はステージ活動から引退した後、2008年までドイツのカールスルーエ音楽大学で声楽を教えた。その後は病気の妹の世話をするためにアメリカに戻ったが、彼女はドイツ人の友人や教え子たちとの交流を続けた[1]。 ルクレティア・ウエストは2022年2月21日に99歳で世を去った[1]。カールスルーエ音楽大学の学長であるハルトムート・ヘルは、「ルクレティア・ウェストはたいへん尊敬されている仲間であり、わたしたちの声楽を学ぶ生徒たちが従うべき良い道を示しました。彼女は彼女を知っていたすべての人に記憶されるでしょう。」との声明を発表した[4]。
レパートリー
[編集]彼女の声域はメゾソプラノからコントラルトまでをカバーし、彼女の録音にはブラームス、マーラー、モーツァルト、シューベルト、オッフェンバック、モンテヴェルディの作品が含まれる。スピリチュアルの解釈も評価が高く、彼女のお気に入りは "Every time I feel the Spirit" (御霊を感じるたびに私は祈ります)であった。 オペラの録音は少ないが、その中では1958年5月にフェルディナント・ライトナーが指揮した、モンテヴェルディ作曲・カール・オルフ編『オルフェウス』の舞台公演録音が特筆される。指揮者との交流も厚く、カーネギー・ホールのデビュー公演を指揮したミトロプーロスとは彼の死の3日前のコンサートの演目である、マーラーの『千人の交響曲』に独唱者として出演したほか、カール・シューリヒトや、ハンス・クナッパーツブッシュのお気に入りの歌手として[5]、コンサートやレコーディングで共演した。さらに、ヘルマン・シェルヘンとはウェストミンスター・レコードに録音を残している。ステージ活動はカーネギー・ホールのほか、パリ国立オペラ、フィレンツェ市立劇場、ボローニャ市立劇場、サン・カルロ劇場などに出演し、共演オーケストラには、バイエルン放送交響楽団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン交響楽団、シュトゥットガルト放送交響楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ケルン放送交響楽団、モーツァルテウム管弦楽団、パリ音楽院管弦楽団などがある。一方、映画製作にも携わり、1971年公開のイタリア・フランス合作映画『ベニスに死す』のサウンドトラックのために、マーラー『交響曲第3番』の第4楽章におけるアルト独唱のパートを歌った[注釈 2]。
主な録音
[編集]- スピリチュアル集(ピアノ:ジョナサン・ブライス[注釈 3] 1954年)
- オッフェンバック/ホフマン物語(ダンコ、シモノー、アラリー、シェルヘン指揮、ウィーン国立歌劇場管弦楽団・合唱団 1954年)
- ブルックナー/テ・デウム(クッパー、フェレンベルガー、ボルイ、ヨッフム指揮、バイエルン放送交響楽団・合唱団 1954年)
- シューベルト歌曲集(ピアノ:レオ・タウブマン 1955年)
- マーラー/亡き子をしのぶ歌(クナッパーツブッシュ指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1956年)
- ブラームス/アルト・ラプソディ(クナッパーツブッシュ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・アカデミー男声合唱団 1957年)
- マーラー/交響曲第2番「復活」(コアース、シェルヘン指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団・ウィーン国立歌劇場合唱団 1958年)
- マーラー/さすらう若者の歌(シェルヘン指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1958年)
- モーツァルト/レクイエム(ユリナッチ、ハンス・ロフラー、フレデリック・ギュートリー指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団・ウィーン・アカデミー合唱団 1958年)
- モンテヴェルディ(カール・オルフ編)/オルフェウス(ヴォランスキー、ブリュメル、ヴィーマン、ライトナー指揮、シュトゥットガルト放送交響楽団・南ドイツ放送合唱団 1958年5月15日)
- マーラー/交響曲第3番(ミトロプーロス指揮、ケルン放送交響楽団、ケルン大聖堂少年合唱団、ケルン放送合唱団 1960年)
- マーラー/交響曲第8番「千人の交響曲」(ミトロプーロス指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団・ウィーン国立歌劇場合唱団、ウィーン楽友協会合唱団、ウィーン少年合唱団 1960年)
- マーラー/交響曲第3番(シュターダー、ベイカー、バルビローリ指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、聖ヘドヴィヒ大聖堂聖歌隊 1969年)
関連項目
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c ルクレティア・ウェスト逝去 リッチモンド・タイムズ=ディスパッチ - 2022年11月18日閲覧。
- ^ a b インターネット・ブロードウェイ・データベース - クルト・ヴァイル『星空に消えて』 - 2022年11月18日閲覧。
- ^ 93歳のオペラ歌手がバージニアのルーツと自身を回想する リッチモンド・タイムズ=ディスパッチ - 2022年11月18日閲覧。
- ^ a b ルクレティア・ウェスト逝去カールスルーエ音楽大学HP - 2022年11月18日閲覧。
- ^ カウンター・メロディ 第74回「ルクレティア・ウェスト」 - 2022年11月18日閲覧。