コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ルーマニア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルーマニア国から転送)
ルーマニア
România
ルーマニアの国旗 ルーマニアの国章
国旗 (国章)
国の標語:なし
国歌Deșteaptă-te române!(ルーマニア語)
目覚めよ、ルーマニア人!
ルーマニアの位置
公用語 ルーマニア語
首都 ブカレスト
最大の都市 ブカレスト
政府
大統領 クラウス・ヨハニス
首相 マルチェル・チョラク
面積
総計 238,391km278位
水面積率 3%
人口
総計(2024年 19,015,087[1]人(67位
人口密度 82.65[1]人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2020年 1兆555億4900万[2]ルーマニア・レウ
GDP(MER
合計(2020年2487億1600万[2]ドル(45位
1人あたり 1万2867.64[2]ドル
GDP(PPP
合計(2020年5898億6600万[2]ドル(44位
1人あたり 3万517.480[2]ドル
独立連合公国の成立
1859年2月5日
オスマン帝国の宗主権喪失
1877年5月9日
通貨 ルーマニア・レウRON
時間帯 UTC+2 (DST:+3)
ISO 3166-1 RO / ROU
ccTLD .ro
国際電話番号 40

ルーマニア: România)は、東ヨーロッパバルカン半島東部に位置する共和制国家首都ブカレスト。南西にセルビア、北西にはハンガリー、北がウクライナ、北東をモルドバ、南にブルガリアと国境を接し、東は黒海に面している。

国土の中央をほぼ逆L字のようにカルパティア山脈が通り、山脈に囲まれた北西部の平原のトランシルヴァニア、ブルガリアに接するワラキア、モルドバに接するモルダヴィア、黒海に面するドブロジャの4つの地方に分かれている。

概要

[編集]

ルーマニアはヨーロッパにおいて国土面積が第12位であり、また、欧州連合の加盟国としては人口密度が第6位となっている。主要都市は首都で最大の都市でもあるブカレストをはじめ、クルージュ・ナポカヤシティミショアラコンスタンツァクラヨヴァブラショフガラツィが挙げられる。

ヨーロッパにおいて第2位の長さの河川であるドナウ川が近隣に位置し、カルパティア山脈が北から南西にルーマニアの国土を横断している。国土は、標高2,544 mのモルドベアヌ山を含んでいる[3]

ルーマニアは「多種多様な民族によって形成された国家」であるといって過言ではない。同国の住民は、紀元前からこの地方に住んでいたトラキア系ダキア人と、2世紀ごろにこの地方を征服した古代ローマ人、7世紀から8世紀ごろに侵入したスラブ人9世紀から10世紀に侵入したマジャール人、その他にトルコ人ゲルマン人などの混血や同化によって、重層的かつ複合的に形成された等と言述される複合民族 româniロムニルーマニア人)が約9割を占める[注釈 1]

そして少数のマジャール系のセーケイ人ロマ人(≒ジプシー[注釈 2]なども住んでいる。なお、同国人口の大半はルーマニア人であり、宗教的には東方正教会のキリスト教が主体となっており、ロマンス語[注釈 3]に分別される言語であるルーマニア語が用いられている。

現代のルーマニア国家は、1859年にモルダヴィアとワラキアのドナウ公国の個人的な連合によって形成されたものに端を発する。

現在のルーマニア地域への定住は、旧石器時代に始まり、古代末期のローマ帝国によるダキア王国とその征服、その後のローマ化を証明する文書記録が確認されている。1866年から正式に「ルーマニア」と名付けられた国家は、1877年にオスマン帝国から独立を果たした。

第一次世界大戦中、ルーマニアは1914年に中立を宣言した後、1916年から連合国と共に参戦した。戦後、ブコヴィナ、ベッサラビア、トランシルヴァニア、バナト、クリシャナ、マラムレシュの一部は前身国家であるルーマニア王国の構成地域となった。1940年の6月から8月にかけて、モロトフ・リッベントロップ協定第二次ウィーン裁定の結果、ルーマニアはベッサラビアと北ブコヴィナをソビエト連邦へ、北トランシルヴァニアをハンガリーへ割譲することを余儀なくされた。更に同年11月、ルーマニア王国は日独伊三国同盟に調印し、1941年6月には枢軸国側として第二次世界大戦に参戦し、1944年8月に連合国へ加わり、北トランシルヴァニアを奪還するまでソ連と交戦した。赤軍による侵略戦争と占領の後、同王国は社会主義共和国となり、ワルシャワ条約機構のメンバーとなった。1989年の革命後、ルーマニアは民主主義市場経済への移行を開始し、共和制国家へと転身。以後は現在に至っている。

ルーマニアは現在、先進国の一員であり[4][5][6]、国際情勢におけるミドルパワーとして台頭しつつある[7][8]。ルーマニアは2000年代初頭に急速な経済成長を果たしている。同国経済は現在、サービス業を主体とする商業に基づく形で成り立っており、自動車産業ではダチアやOMVペトロムなどの企業を通じて、自動車と電気エネルギーの生産ならびに純輸出を行なっている。その経済は欧州連合加盟国の中で最も急速に成長しており[9]、名目GDPで世界第44位、PPPでは第36位にランクされている。更にルーマニア国民は世界で最も速く且つ最も安いインターネット回線の1つを享受しており[10]、傍ら幸福度ランキングでも比較的上位にランクされている[11]

ルーマニアは国際連合(UN)、欧州連合(EU)、北大西洋条約機構(NATO)、欧州評議会(CoE)、黒海経済協力機構(BSEC)、世界貿易機関(WTO)のメンバーの一国である。

国名

[編集]

正式名称はルーマニア語で România [romɨˈni.a] ( 音声ファイル)。原音により忠実にカナ表記すると「ロムニア」が近い。

国名の由来(語源)は、ラテン語で「ローマ人(ローマ市民)の土地」という意味の表現。

ハンガリー語の表記は Románia [romaːniɒ](ロマーニア)。

かつて、英語では Rumaniaドイツ語では Rumänienフランス語では Roumanie[注釈 4]と表記するなど、現地の発音とは一つめの母音から既にずれた表記が流通していた。近年では、現地の表記に沿う方向で修正される動きもあり、たとえば英語での公式表記は Romania となったが、英語はロマンス諸語に表記だけを似せても発音は「[roʊˈmeɪniə] ( 音声ファイル)」(ロゥメイニア)となり、あまり参考にならない。

日本語表記

日本語の表記は、昔の英語式の表記に影響を受けた「ルーマニア」となっている。漢字表記羅馬尼亜羅馬尼亞)、緑馬尼、[注釈 5]と略される。中国語も同じく「羅馬尼亞」と表記する。

独立してからの日本語での正式名称は、以下のように変遷している。

現在では政体を指す共和国は含まない国名が正式名称となっており、「ルーマニア共和国」という表記は誤りである。

歴史

[編集]
古代ダキア
ヴラド・ツェペシュ

古代にはゲタイ人古代ギリシア語: Γέται)と呼ばれる民族が居住していた。紀元前513年、イストロス河(古代ギリシア語: Ἴστρος、現・ドナウ川)の南でゲタイ人部族連合が、対スキタイ戦役中のペルシアダレイオス1世に敗れた(ヘロドトス『歴史』4巻93)。

約600年後、ダキイ人ラテン語: Daci)は、ローマ帝国への侵攻に怒ったローマ皇帝トラヤヌスによる2度の遠征(101年 - 106年)に敗れ、ローマ帝国の領土となった。その王国の4分の1はローマ領となり、ローマ帝国の属州ダキアとなった。現在の国名もその時の状態である「ローマ人の土地(国)」を意味する。国歌の歌詞にトラヤヌスが登場するのは、こうした経緯からである[12]

238年から258年にかけて、ゴート人カルピイ人がバルカン半島まで遠征した。ローマ帝国はドナウ川南まで後退し、以前の属領上モエシアの一部に新しく属領ダキアを再編した。

271年、かつてのダキアにゴート人の王国が建てられ、4世紀終わりまで続いたのち、フン人の帝国に併呑された。中央アジア出身の遊牧民族が入れ替わりルーマニアを支配した。ゲピド人アヴァールトランシルヴァニア8世紀まで支配した。その後はブルガール人がルーマニアを領土に収め、その支配は1000年まで続いた。このころの史料には、ペチェネグ人クマ人ウゼ人への言及も見られる。その後、13世紀から14世紀にはバサラブ1世によるワラキア公国ドラゴシュによるモルダヴィア公国の成立が続いた。

中世にはワラキア、モルダヴィア、トランシルヴァニアの3公国があった。完全な独立ではなく、オスマン帝国ハプスブルク家の支配下にあった。ワラキアとモルダヴィアは15世紀から16世紀にかけてオスマン帝国の属国であった。モルダヴィアは1812年東部のベッサラビアロシア帝国割譲した(パリ条約により1920年に再合併)。北東部は1775年オーストリア帝国領土となり、南東部のブジャクはオスマン帝国領であった[13]

トランシルヴァニアは11世紀ハンガリー王国の一部となり、王位継承により1310年以降アンジュー家、のちにハプスブルク家領となったが、1526年にオスマン帝国の属国となった(オスマン帝国領ハンガリー)。18世紀には再びハプスブルク家のハンガリー王国領となり、第一次世界大戦の終わる1918年までその状態が続いた。

ルーマニア国土の変遷(1859年 - 2010年)。濃い緑がその時代の領土、薄い緑がルーマニアが領有したことのある地域。

1859年にワラキアとモルダヴィアの公主が統一され、1861年、オスマン帝国宗主下の自治国として連合公国が成立した(ルーマニア公国)。1877年には露土戦争に乗じて完全な独立を果たすため、独立宣言を行った。1878年ベルリン会議で国際的に承認され、ルーマニア王国が成立した。

第一次世界大戦では中央同盟国に攻め込まれ一時屈服したものの、与した連合国が勝利したことからトランシルヴァニアなどを併合して領土を倍増させ[14](「ルーマニア戦線」「トリアノン条約」参照)、大ルーマニアを実現させたが、全人口の4分の1が異民族という不安定な国家となった[15]。1918年ベッサラビアを回復したが、これは1940年に再びソビエト連邦に占領され、最終的に割譲することとなる(現在はモルドバ共和国ウクライナ)。

第二次世界大戦が始まると、ソ連はベッサラビアなどルーマニアの一部を占領した。国民は列強の領土割譲に対して無為無策であった国王カロル2世を批判し、退位させた。ルーマニアはドイツにつき枢軸国側として参戦した。この参戦により、ソ連が占領した地域を回復した。しかし、ドイツ敗退により再度ソ連に侵攻され、1944年8月の政変で独裁体制を敷いていたイオン・アントネスク元帥ら親ドイツ派を逮捕して連合国側につき、国内のドイツ軍を壊滅させたあとにチェコスロバキアまで戦線を拡大し、対ドイツ戦を続けた。

戦後はベッサラビアとブコヴィナをソ連に割譲させられ、ソ連軍の圧力により社会主義政権が樹立した。1947年に王制を廃止し、ルーマニア人民共和国が成立した[16](1965年にルーマニア社会主義共和国に改称)。しかし、ニコラエ・チャウシェスクの独裁政権のもと、次第に他の東側諸国とは一線を画す「自主独立路線」を唱え始め西側との結びつきも強めた。1989年ニコラエ・チャウシェスクの独裁政権が打倒され(「ルーマニア革命」)、民主化された。

2007年1月1日に欧州連合(EU)に加盟した。加盟に際しては「改革が不十分である」として欧州理事会によって再審査されたが、「加盟後も改革を続行する」として承認された。

政治

[編集]
2007年の欧州連合の拡大。黄色で表示されている国が新たに加盟したルーマニアとブルガリア。

現在の政体は大統領国家元首とする共和制国家であり、議会から選出される首相が行政を行う議院内閣制を採用している半大統領制政体である。

行政

[編集]

大統領は任期が5年となっており(2004年までは任期4年)、3選は禁止されている。大統領は象徴的な存在であり、政治の実権は首相に握られている。外交では大統領が国家元首として機能し、憲法上の統治権を持ち、ルーマニア軍統帥権を持つ。首相は大統領に任命され、議会にて承認される。首相は省庁を統括し、内政外交を司り行政権を行使する政府の長として機能する。

議会

[編集]

立法権二院制の議会に属し、比例代表制で選出される議員から成る下院代議院、定数330人)と上院元老院、定数136人)で構成され、両院とも議員の任期は4年。

政党

[編集]

ルーマニアは複数政党制となっている国家の一つである。少数民族政党も存在している。

司法

[編集]

司法権独立し、最高裁判所に属している。

国内における動き

[編集]

2004年には北大西洋条約機構(NATO)に参加。2007年1月に欧州連合に加盟した。2016年2月、コメルサントは政府が隣国モルドバの政治危機に乗じて両国の統合を目指し、そのための働きかけを強めていると報じた[17]

2017年には、2012年に続いて大規模なルーマニア反政府運動英語版が起きた。

なお、ルーマニア国内では旧王家が「王室」を称して公的活動を積極的に展開している。旧王家の家督は「ルーマニア王冠守護者」の称号と「陛下」の敬称を自称し、ルーマニア社会では広範に認められている。現在の家督マルガレータ・ア・ロムニエイ。2018年10月29日、旧王家を軸とする国家的価値推進機関「国王ミハイ1世」の創設に関する法案が下院を通過した[18][19]

2024年ルーマニア大統領選挙では、憲法裁判所が「公正な選挙の過程が損なわれた」として、選挙を無効とする判断を下し、予定されていた決選投票を中止とした[20]

国際関係

[編集]

日本との関係

[編集]

駐日ルーマニア大使館

[編集]

駐ルーマニア日本大使館

[編集]

大使・植田治(2020年12月)

国家安全保障

[編集]

ルーマニア軍は、国防省の監督下にある総司令官が率いる陸・空・海軍の各軍からなり、戦時には大統領が最高司令官として指揮をとる。陸軍45,800人、空軍13,250人、海軍6,800人、その他8,800人で、文民は約15,000人、軍人は75,000人である。2007年の国防費は国内総生産(GDP)の2.05%、約29億ドルで、2006年から2011年にかけて近代化と新規装備の取得のために総額110億ドルが費やされている。

空軍はソ連の近代化戦闘機MiG-21ランサーを運用している。空軍はC-27Jスパルタン戦術空輸機7機を新たに購入し、海軍は英国海軍から近代化された22型フリゲート艦2隻を購入した。

2010年2月4日、アメリカのクローリー国務次官補(広報担当)は、ルーマニア政府が地上発射型迎撃ミサイルSM-3イージス・アショア)の配備に同意したことを明らかにした。これは、バラク・オバマ政権が進めた、イラン弾道ミサイルの脅威に対処するための新たな欧州ミサイル防衛(SD)計画に参加したことになる。この件においてアメリカは同計画の参加国が南欧に広がったことを歓迎している。

また2009年10月には、ポーランド政府が新MD計画へ参加する方針をルーマニアが表明していたことが報道されている[21]

地理

[編集]
ルーマニアの地図

西のセルビア、南のブルガリアとの間におけるルーマニアの国境は、基本的にドナウ川を境界としている。モルドバとの国境線であるプルト川もドナウ川と合流し、東岸の黒海に注ぐ。ドナウ川の河口三角州ドナウ・デルタ)となっており、生物保護区となっている。

これらの自然国境はそれぞれの川の流路変更によって変化する。また、ドナウ・デルタは年に2 - 5km2ずつ面積を増やしているため、ルーマニアの領土面積はここ数十年、増加の傾向にある。1969年に23万7,500km2だった総面積は、2005年には23万8,319km2となっている。

ルーマニアの地形は34%が山地、33%が丘陵地、33%が平地である。国の中央をカルパチア山脈が占め、トランシルヴァニア平原を取り囲んでいる。カルパチア山脈のうち14の山は2,000メートル級であり、最高峰のモルドベアヌ山は 2,544メートルである。カルパチア山脈は南の丘陵地帯に続き、さらにバラガン平野英語版ルーマニア語版に至る。

地方行政区分

[編集]
ルーマニアの県

ルーマニアの地方行政は、41の県と首都ブカレストに区分されて行われている。

また、同国の県は「comună(コムーナ)」あるいは「municipiu(ムニチピウ)」などと呼ばれる小規模の自治体に分かれている。

トランシルヴァニア地方

ワラキア地方

モルダヴィア地方

ドブロジャ地方(黒海沿岸)

主要都市

[編集]
都市 行政区分 人口 都市 行政区分 人口
1 ブカレスト 1,716,961 11 ブライラ ブライラ県 154,686
2 クルージュ=ナポカ クルージュ県 286,598 12 アラド アラド県 145,078
3 ヤシ ヤシ県 271,692 13 ピテシュティ アルジェシュ県 141,275
4 コンスタンツァ コンスタンツァ県 263,688 14 バカウ バカウ県 136,087
5 ティミショアラ ティミシュ県 250,849 15 シビウ シビウ県 134,309
6 ブラショフ ブラショフ県 237,589 16 トゥルグ・ムレシュ ムレシュ県 116,033
7 クラヨーヴァ ドルジュ県 234,140 17 バイア・マーレ マラムレシュ県 108,759
8 ガラツィ ガラツィ県 217,851 18 ブザウ ブザウ県 103,481
9 オラデア ビホル県 183,105 19 ルムニク・ヴルチャ ヴルチャ県 115,739
10 プロイェシュティ プラホヴァ県 180,540 20 サトゥ・マーレ サトゥ・マーレ県 91,520
2021年国勢調査

経済

[編集]

IMFの統計によると、ルーマニアの2013年国内総生産(GDP)は約1,889億ドルである。2016年の1人あたりの名目GDPは1万1,859ドル[22]で、世界平均より少し高い程度だが、バルカン半島の旧社会主義国ではクロアチアに次いで高い。

ルーマニアは伝統的に農業国であり、第一次産業人口が人口の42.3%を占める(2001年)。一方で、社会主義時代に計画経済のもと工業化が進められた結果、2014年現在では鉄鋼アルミニウム繊維産業といった業種も主要産業となっている[23]。そのほか、17世紀から続くモレニ油田が知られるように、ルーマニアは産油国であるが、今日ではその規模は限られている。

交通

[編集]

ルーマニア国家統計局 (INSSE) の推計によると、ルーマニア国内の道路網は2015年時点で総延長86,080キロメートルに上る[24]。鉄道網は世界銀行の推定で22,298キロメートルに達し、これはヨーロッパで4番目の規模とされる[25]。ルーマニアの鉄道輸送は1989年以降大幅に落ち込んだが、近年は設備の改善や部分的な民営化により持ち直している。1979年に開業した国内唯一の地下鉄であるブカレスト地下鉄は、80.01キロメートルの路線を有し、2021年には1週間に72万人が利用した[26]。航空では国内に16か所の国際空港があり、そのうち最大の空港であるブカレストのアンリ・コアンダ国際空港は、2017年に1280万人が利用した[27]

2024年3月により、空路と海路に限りシェンゲン圏へ参加が決定。多くの欧州国家との間で、出入国が自由になる[28]

科学技術

[編集]

国民

[編集]
1961年から2010年までの人口動態グラフ

民族

[編集]
民族構成(ルーマニア)
ルーマニア人
  
89%
マジャル人
  
6%
ロマ人
  
2%
その他
  
3%

住民は、ロムニ(ルーマニア人)が89%。マジャル人ハンガリー人)が6%、ロマ人が2%などである。その他にはセルビア人ウクライナ人ドイツ人トルコ人タタール人スロバキア人ブルガリア人ロシア人ユダヤ人ノガイ族などが居住している。ルーマニア人は古代のダキア人と植民したローマ人の混血だとされているが、異論もある。マジャル人の多くはハンガリーとの領有権問題を抱えるトランシルヴァニアのなかでも特にティミショアラに多く居住しており、マジャル人は約160万人いる[29]

国勢調査ではロマ人の人口は約61万9000人とされているが、NGOは、これを大きく上回る約200万人と試算しており[30]ロマ人はルーマニアの全人口の約8%[31]から約10%を占め[32]、約190万人[33]とも約200万人いるともいわれる[34]ロマ人は、すべての少数民族のうち、人口の算出がもっとも難しい民族であり、長きにわたって虐げられてきたロマ人に対する広範な差別は、雇用および住宅面などで依然根強いものがあり[30]、「ジプシー」という烙印を押されるのを免れようとして、多くのロマ人国勢調査で自らをルーマニア人と自己申告しており、事実、このようなロマ人の多くは身分証明書を所持していない[35]2002年国勢調査では、ロマ人と自己申告した者は53万5140人であり、ルーマニア全人口の2.5%に過ぎない[36]。しかし、ロマ人が多く住む東南ヨーロッパのなかでも、ルーマニアに住むロマ人の人口は群を抜いて多く、ルーマニアの社会学者の低めの推計では約100万人としている[36]。一方、マイノリティ・ライツ・グループ英語版1995年の報告では、約180万人から約250万人と試算しており、ロマ人はルーマニア全人口の8%から11%を占めている[36]国勢調査ロマ人であると自己申告した者のうち、約半数がロマ語母語としていると申告しており、このことは、ルーマニア人への同化に段階性があり、同化が進行した者のなかには、その母語に従ってルーマニア人として自己申告している者が多数いる事実をうかがわせる[37]欧州評議会は、約185万人のロマ人がルーマニアに住んでおり、ルーマニア全人口の約8.32%がロマ人と推計している[38]世界銀行は、ルーマニアには約300万人のロマ人がいると推計している[39]ブカレスト大学のMarian Predaは、1998年ロマ人に関する研究をおこない、ロマ人の人口を150万人と割り出したが、そのうちの100万人は、公式の国勢調査においてロマ人と自己申告していなかった[39]。つまり、ルーマニアのロマ人の3分の2以上が、恐怖差別などの理由で出自を隠し、自らをルーマニア人と自己申告しており、ルーマニアのロマ人のせいぜい3分の1だけが自らをロマ人と自己申告していた[39]上院議員であるマダリン・ヴォイク英語版は、「ルーマニアだけで70万人から130万人の定住生活者がいる他、70万人程度の移動生活者がおり、結果、ルーマニアのロマ人の人口は200万人ほどになる」と述べている[39]国際連合開発計画は、「ルーマニアは、専門家の推定では、最低180万人から最大250万人のヨーロッパで最大、そしておそらく世界でも最大のロマ人を抱えている」と報告している[40]ニュージーランド社会開発省英語版アナリストであるChungui Qiaoは、「ヨーロッパのロマ人の人口は700万人から900万人と推定されています。ルーマニアは、ロマ人の絶対数が最も多く、100万人から200万人の範囲にある国です」と報告している[41]

言語

[編集]

公用語はルーマニア語である。ルーマニア語はロマンス諸語の一つであり、古代ローマ帝国で話されていたラテン語の方言が変化したものである(なお、東欧ではロマンス系言語を公用語とする国家はモルドバとルーマニアだけである)。その他、ロマ語ハンガリー語ドイツ語フランス語なども使われている。

婚姻

[編集]

ルーマニアの結婚は法的なもの、教会での結婚式、披露宴の3段階で進行されており、この流れが正式なものとなっている[42][43] 。だが、歴史上ではロマやジプシーなどの文化で少女の誘拐婚が正式な行為とされていたことから、その名残として(形骸化されつつも)現在も儀式的に児童婚が継続される問題点を持ち合わせている[44]。2020年時点でのセーブ・ザ・チルドレン・ルーマニアによる分析では、ルーマニアでは思春期の妊娠率が高いにもかかわらず、結婚している母親は殆どいなかったと述べられている。農村部の思春期の母親を対象とした調査によると、結婚している人は2%未満に止まるとのこと[45][46]

統計

[編集]

2015年を例にとってみると、ルーマニアでは12万5,000組超の婚姻が登録された(ルーマニア国政府の統計局によるデータ)。そのうち18.2%は25 - 29歳の(の年齢帯に統計局によって分類された)男女であり、14.3%は20 - 24歳の男女である。2015年の統計では、婚姻時の女性の平均年齢は29.1歳で、男性の平均年齢は32.5歳であった(平均年齢は、この年、前年と比べてやや上昇した)[47]

離婚数は2015年には3万1,527件であり、この年は前年比で15.9%増加した[47]

行政的な結婚と宗教的な結婚

[編集]

ルーマニア政府は、ルーマニア国民がそれぞれに住む地域の市役所で行う結婚式のみを法的に認知している。したがって、多くのカップルが市役所での結婚式を終えたあとに改めて宗教的な結婚式を行うことを選ぶ[48]

なお婚姻の際には、自己の姓を用い続ける(夫婦別姓)、相手の姓を用いる(夫婦同姓)、相手の姓を付加する、のいずれかを選択できる。

同性カップルの位置づけ

[編集]

2019年時点で、ルーマニアでは同性婚を新たにすることは法的には認められていない(ただし、欧州連合においてすでに同性婚をしたカップルがルーマニアで暮らす場合は、婚姻関係にあると法的に認知される。en:Recognition of same-sex unions in Romaniaも参照)。

ルーマニアは、概して言えば、LGBTなどに関しては「保守的」である。LGBTなどの人々はルーマニアでは社会的な障壁に直面することになる。ただし、2000年以降にかなりの変化も見られ、この20年ほどの間に、ホモフォビアやそれに関連するヘイトクライムを禁止する法律が成立してきている(en:LGBT rights in Romaniaも参照可)。

宗教

[編集]

2011年の調査によれば、キリスト教正教会の一派ルーマニア正教会が81%、プロテスタントが6.2%、カトリックが5.1%、その他(その他のキリスト教、イスラム教英語版エホバの証人ユダヤ教)が1.2%、無宗教が0.2%、無効データが6.2%である。

教育

[編集]

7歳から14歳までの8年間の初等教育前期中等教育義務教育であり、無償となっている。

主な高等教育機関としては、ブカレスト大学(1864年創設)などが挙げられる。

保健

[編集]

ルーマニアの死亡率はヨーロッパで5番目に高く、人口10万人あたり691人であり、他のEU加盟国に比べて外的要因および感染症寄生虫症による死亡者が多く見られる(4〜5%)[49]

2004年のルーマニアでの主な死因は心血管疾患(62%)であり、次いで悪性腫瘍(17%)、消化器疾患(6%)、事故負傷および中毒(5%)、呼吸器疾患(5%)と続く[50]

総人口の5分の1が伝染病または慢性疾患に苦しんでいると推定されており[51]、2015年の伝染病による死亡率はヨーロッパで4番目に高かった[52]

現在ルーマニアは深刻な野犬の問題に直面しており、全国で推定200万匹が野放しになっている。2005年において同国内で2万人以上が犬に襲われる被害を受けている。

その為 当局は駆除に乗り出そうとしているが、動物保護団体の激しい反対にあい対策は進んでいない。

2006年1月7日、動物愛護活動家でもあるフランスの女優のブリジット・バルドーが声明を出して駆除計画に抗議、ルーマニア当局を非難した。同年1月29日、日本人男性がブカレストで野犬に噛まれて失血死する事件が起きた。

治安

[編集]

ルーマニアの治安は、『グローバル・ファイナンス英語版』が発表した「最も治安の良い国ランキング2022」によると31位となっている[53]

だが、首都のブカレストに危険地域に指定されている区域が存在することや都市開発から取り残された貧困層による犯罪が多発している状態が続いており、現地を訪れる際は充分な注意が求められる。

ルーマニアの警察の発表によれば、犯罪発生数は2012年~2018年にはピーク時より約28%減少しているもののスリひったくり置き引き車上狙い、自動車盗難等の路上犯罪が後を絶たない状況が続いている[54]

警察

[編集]
ルーマニア警察のパトカー
ベースとなっているのはダチア・ロガンである

ルーマニアの警察は、各郡に対応する41の郡警察検査局と首都に設置されたブカレスト警察総局ルーマニア語版(DGPMB)ならびにブカレスト地方警察ルーマニア語版に分かれている。

人権

[編集]

2015年時点での民主主義指数では、167ヶ国中59位にランクされており、「欠陥のある民主主義国家」と称されている。

マスコミ

[編集]

テレビメディア

[編集]

ラジオメディア

[編集]

報道機関

[編集]

印刷・出版

[編集]

通信

[編集]

文化

[編集]

有名な吸血鬼ドラキュラ伯爵は、15世紀ワラキア公であったヴラド・ツェペシュがモデルになったとされている。

ウィッチクラフト(魔女文化)が数世紀の歴史を持ち、現在も「魔女」や「まじない師」「占い師」として生計を立てる人々が多く存在する。「魔女」としてお金を得ている者らからも(他の自営業者と同様に)徴税するために2011年1月1日に労働法が改正され、「魔女」が職業として認められることとなった。それ以降、魔女たちは役所で営業許可を得て「魔女」として登録する必要があるほか、占いが外れると罰金が科されたり、逮捕されたりしてしまうようになる可能性もあるという。

食文化

[編集]

ルーマニア料理は、他のバルカン諸国の料理と比べ、トルコ料理の影響が小さい。

文学

[編集]
詩人、ミハイ・エミネスク

19世紀に活躍した詩人として、ミハイ・エミネスクが特筆される。

ミハイ・エミネスク国際アカデミーでは、世界の優れた芸術家に対して、ミハイ・エミネスクの名前を冠した賞を授けている。日本人では、2012年に陶芸家Shogoroが造形芸術賞を受賞した。[55]

音楽

[編集]

地域ごとに様々な伝統音楽の形式が存在する。また、ロマ(ジプシー)の音楽も盛んである。

美術

[編集]

映画

[編集]

ルーマニアにおける映画の歴史は1900年以前から始まっており、最初の映画撮影は1896年5月27日に行われている。だが、活動が始まったのは1895年12月28日にリュミエール兄弟パリにて最初に開催した映画展から5ヶ月も経過していない時期であった事から、ヨーロッパ各国においての映画の歴史としては比較的浅いものに分けられる。

建築

[編集]

衣服

[編集]

世界遺産

[編集]

ルーマニア国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が6件、自然遺産が1件存在する。

祝祭日

[編集]
日付 日本語表記 ルーマニア語表記 備考
1月1日 元日 Anul nou
1月15日 ルーマニア文化の日 Cultură Ziua de vacanță
3月から5月、年により移動 復活祭 Paştele 正教会の暦に従う。期間は3日間。復活祭の翌日にはイースターマンデーがあり、連休として設定されている。
5月1日 労働の日 Ziua muncii 国際労働日
6月26日 国旗の日  zi de pavilion ワラキア革命英語版での法令第1号で青・黄・赤の三色旗が国旗とされたことを記念したもの。1998年に導入された。
11月30日 セント・アンドリューの日 Ziua Sfântului Andrei
12月1日 国民の祝日(統一記念日) Ziua Unirii 1918年12月1日のトランシルヴァニアとルーマニアの統一を祝う。
12月8日 憲法記念日 Ziua Constituției
12月25日12月26日 クリスマス Crăciunul 2日間。

この他、伝統的祭日として3月1日三月祭ルーマニア語版英語版ロシア語版 (Mărţişorul) がある。これはバレンタインデーに似た祭日である。花のほかに、ペンダント・ヘッドブローチなどを男性から女性に贈る。紅白の細い糸を縒って作った小さなリボンを、プレゼントに結びつけるのが慣わしとなっている。

スポーツ

[編集]

サッカー

[編集]

ルーマニアでも他のヨーロッパ諸国同様に、サッカーが圧倒的に1番人気のスポーツとなっている。国内リーグの歴史は非常に古く、今から110年以上前の1909年リーガ1が創設されている。ルーマニアサッカー連盟(FRF)によって構成されるサッカールーマニア代表は、これまでFIFAワールドカップには7度出場しており、1994年大会ではベスト8の成績を収めた。UEFA欧州選手権には5度出場しており、2000年大会ではベスト8に進出した。著名な選手には、ゲオルゲ・ハジアドリアン・ムトゥクリスティアン・キヴなどが存在している。

その他の競技

[編集]
ナディア・コマネチ

女子体操競技においては世界屈指の強豪国であり、ナディア・コマネチシモナ・アマナールアンドレーア・ラドゥカンなどのオリンピック金メダリストを多数輩出している。中でもコマネチは1976年モントリオール大会で完璧な演技を見せ、五輪の体操競技史上初となる「10点満点」を獲得し世界中の人々を魅了した。その容姿やトレードマークの白いレオタードから、コマネチは「白い妖精」の愛称で呼ばれていた。

ルーマニアはハンドボールでは、世界選手権において4度の優勝を果たしており、2015年フランス代表に抜かれるまでは最多優勝国であった。また、ラグビー代表ワールドカップの第1回大会から8回連続出場中である。なお、伝統的な競技としてはレスリング形式のスポーツであるトレンタが開催されている[注釈 6]

著名な出身者

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ români(ルーマニア人)の起源については未だ明確にされておらず、現在も諸説が入り乱れている。
  2. ^ ロマ人のことはアルファベットでは「romani」などと書く。「români」(=ルーマニア人)と「romani」(=ロマ人、≒ジプシー)は、表記上や発音上、またその表記の意味も酷似しており非常に紛らわしいものとなっている。
    よほど気をつけない限り、誤解や混線が生じる恐れがある。
  3. ^ より具体的にいえば東ロマンス語に該当。
  4. ^ フランス語は「ou」と書いて「ウ」と発音する。フランス人がフランス語で「ウ」という音を音写すると、ことごとく「ou」になる。
  5. ^ なお漢字の「羅」は、ラテン語(=古代ローマで話されていた言葉)を漢字一文字で表す場合にも用いられる(英語を「英」、ドイツ語(独逸語)を「独」、フランス語(仏蘭西語)を「仏」と略記することは一般的であるが、これらでは重複は無いので混乱は起きない。たとえば、辞書での語源の解説では(一例として)「仏:terre < 羅:terra」と略記され、これだけで『フランス語の「terre(=土、地球)」の語源はラテン語の「terra」である』という意味なのだと理解できる)。
    そもそもルーマニアと古代ローマ帝国は元から深い関係を持っており、国名でも言語名でも類似の表現になっていて、漢字では「羅」となってしまうのは、ある意味「仕方がない」と言えば仕方がないのだが、辞書や語学書では「羅」がラテン語を指しているのかルーマニア語を指しているのかはっきりせず、略記しづらく難儀である。
    特にルーマニア語はロマンス諸語のひとつである上、ラテン語の方言から派生している事からルーマニア語の語源の解説をすると、ほぼ必ずラテン語に言及することになる為にどちらも「羅」ではとても不便な状況となっており、現在も問題視されている。
  6. ^ トレンタはルーマニアだけでなく、類似する文化圏のモルドバでも支持されている。

出典

[編集]
  1. ^ a b UNdata”. 国連. 2021年11月5日閲覧。
  2. ^ a b c d e World Economic Outlook Database” (英語). IMF. 2021年10月14日閲覧。
  3. ^ Romania Geography”. aboutromania.com. 28 March 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。17 February 2024閲覧。
  4. ^ United Nations: World Economic Situation and Prospects 2021, p. 125
  5. ^ United Nations: World Economic Situation and Prospects 2022, p.153
  6. ^ United Nations: World Economic Situation and Prospects 2023, p. 117.
  7. ^ Middle Powers Realities in the EU amid Great Power Ambitions”. 2024年2月17日閲覧。
  8. ^ A Balancing Act | Strategic Monitor 2018-2019” (英語). Clingendael Institute. 2024年2月17日閲覧。
  9. ^ Băzăvan, Adrian (2023年8月20日). “România are, de departe, cea mai mare creștere economică din Europa” (ルーマニア語). Cred în România. 2024年2月17日閲覧。
  10. ^ 30 de ani de Internet în România. Țara noastră rămâne în primele 10 state din lume la viteza de navigare grație rețelelor fixe” (ルーマニア語). www.digi24.ro (2023年5月17日). 2024年1月29日閲覧。
  11. ^ World Happiness, Trust and Social Connections in Times of Crisis” (英語). worldhappiness.report. 2024年1月29日閲覧。
  12. ^ 『ルーマニア史』白水社文庫クセジュ,1993年 ISBN 978-4560057476. pp.6-10.
  13. ^ 『ルーマニア史』白水社文庫クセジュ。pp.18-28.
  14. ^ 山崎雅弘「東欧枢軸国の興亡」『歴史群像』97号(2009年10月)
  15. ^ ルーマニア』 - コトバンク
  16. ^ 岩波書店編集部 編『近代日本総合年表 第四版』岩波書店、2001年11月26日、363頁。ISBN 4-00-022512-X 
  17. ^ Румыния форсирует Прут”. Коммерсантъ (2016年2月16日). 2016年8月20日閲覧。
  18. ^ Radu Eremia (2018年10月31日). “Sinecuri de 860.000 de euro pe spinarea Regelui Mihai. Camera Deputaţilor a aprobat înfiinţarea unei instituţii pentru promovarea tradiţiilor naţionale”. Adevărul英語版ルーマニア語版. https://adevarul.ro/news/politica/sinecuri-860000-euro-spinarea-regelui-mihai-camera-deputatilor-aprobat-infiintarea-institutii-promovarea-traditiilor-nationale-1_5bd9c60bdf52022f750a45cd/index.html 2019年9月9日閲覧。 
  19. ^ “Cameră: Proiectul privind înfiinţarea instituţiei pentru promovarea valorilor naţionale 'Regele Mihai I' - adoptat pe articole”. Agerpresルーマニア語版英語版. (2018年10月29日). https://www.agerpres.ro/viata-parlamentara/2018/10/29/camera-proiectul-privind-infiintarea-institutiei-pentru-promovarea-valorilor-nationale-regele-mihai-i-adoptat-pe-articole--201500 2019年9月9日閲覧。 
  20. ^ ルーマニア大統領選 憲法裁判所が無効判断 異例の判断に批判も”. NHK News (2024年12月8日). 2024年12月14日閲覧。
  21. ^ 「米ミサイル防衛に参加=SM3配備に同意-ルーマニア」時事通信(2010年2月5日)
  22. ^ IMFの統計(欧州の非先進国に絞ったデータ)
  23. ^ ルーマニア基礎データ”. 各国・地域情勢. 外務省 (2014年1月1日). 2014年11月19日閲覧。
  24. ^ Length of roads in Romania 2015”. INSSE. 13 November 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。16 March 2017閲覧。
  25. ^ Reteaua feroviara” (ルーマニア語). cfr.to. 8 June 2009時点のオリジナルよりアーカイブ。6 September 2009閲覧。
  26. ^ Metroul București” (ルーマニア語). Metroul București. 2024年6月25日閲覧。
  27. ^ Ann. aero database”. 26 March 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月16日閲覧。
  28. ^ ブルガリアとルーマニアがシェンゲン圏に参加、EU諸国と空・海路で移動自由に”. CNN (2023年12月31日). 2023年12月31日閲覧。
  29. ^ コトバンク ルーマニア
  30. ^ a b “「ロマ民族の王」死去、葬儀に2000人参列、ルーマニア”. AFP. (2013年8月28日). オリジナルの2013年10月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131027204227/https://www.afpbb.com/articles/-/2964633 
  31. ^ 瀬能繁 (2011年4月6日). “EU、ロマ人の統合促進で国別戦略策定へ”. 日本経済新聞. オリジナルの2021年8月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210816141949/https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM0505H_W1A400C1EB1000/ 
  32. ^ “ルーマニア訪問のフランシスコ法王、カトリック教会によるロマ人「差別」を謝罪”. AFP. (2019年6月3日). オリジナルの2019年6月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190603032515/https://www.afpbb.com/articles/-/3228081 
  33. ^ “「東欧ジプシーが押し寄せる」…「戸締まり」に出た西欧の富国”. 東亜日報. (2014年1月10日). オリジナルの2021年8月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210816135824/https://www.donga.com/jp/article/all/20140110/423726/1 
  34. ^ 鈴木春恵 (2010年9月1日). “揺らぎ始めたフランスの自由、平等、博愛”. JBpress (日本ビジネスプレス). オリジナルの2010年9月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100903141657/https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4346 
  35. ^ 鈴木信吾 (2009年3月). “ルーマニアの言語状況および言語政策・言語教育政策” (PDF). 拡大EU諸国における外国語教育政策とその実効性に関する総合的研究. p. 80-81. オリジナルの2021年8月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210816153356/http://www.tufs.ac.jp/common/fs/ilr/EU/EU_houkokusho/suzuki.pdf 
  36. ^ a b c 鈴木信吾 (2009年3月). “ルーマニアの言語状況および言語政策・言語教育政策” (PDF). 拡大EU諸国における外国語教育政策とその実効性に関する総合的研究. p. 81. オリジナルの2021年8月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210816153356/http://www.tufs.ac.jp/common/fs/ilr/EU/EU_houkokusho/suzuki.pdf 
  37. ^ 鈴木信吾 (2009年3月). “ルーマニアの言語状況および言語政策・言語教育政策” (PDF). 拡大EU諸国における外国語教育政策とその実効性に関する総合的研究. p. 83. オリジナルの2021年8月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210816153356/http://www.tufs.ac.jp/common/fs/ilr/EU/EU_houkokusho/suzuki.pdf 
  38. ^ “Roma inclusion in Romania”. 欧州委員会. オリジナルの2021年7月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210702140652/https://ec.europa.eu/info/policies/justice-and-fundamental-rights/combatting-discrimination/roma-eu/roma-inclusion-eu-country/roma-inclusion-romania_en 
  39. ^ a b c d “RECENSĂMÂNT 2011. Două treimi dintre romi se declară români. 700.000, 2.000.000, 3.000.000 … câți romi trăiesc în România?”. Gândul英語版. (2012年4月23日). オリジナルの2021年8月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210812043059/https://www.gandul.ro/stiri/recensamant-2011-doua-treimi-dintre-romi-se-declara-romani-700000-2000000-3000000-cati-romi-traiesc-in-romania-8883047 
  40. ^ “Roma in the Balkan context”. 国際連合開発計画. p. 12. オリジナルの2006年10月7日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20061007102931/http://europeandcis.undp.org/uploads/public/File/rbec_web/vgr/chapter1.1.pdf 
  41. ^ Chungui Qiao (2005年7月). “IAOS SATELLITE MEETING “MEASURING SMALL AND INDIGENOUS POPULATIONS””. Social Policy Journal of New Zealand (国際公的統計協会英語版): p. 158. オリジナルの2008年2月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080226202154/http://www.msd.govt.nz/documents/publications/msd/journal/issue25/25-pages154-164.pdf 
  42. ^ “Everything you need to know about marriage in Romania”. marry on chain. (2023年3月23日). https://marryonchain.com/p/articles/everything-you-need-to-know-about-marriage-in-romania 2024年4月20日閲覧。 
  43. ^ “Weddings in Romania, a step-by-step guide”. Romania-Insider.com. (2019年2月10日). https://www.romania-insider.com/romanian-wedding-guide 2024年4月20日閲覧。 
  44. ^ “CHILD MARRIAGE A CULTURAL PROBLEM, EDUCATIONAL ACCESS A RACE ISSUE? DECONSTRUCTING UNI-DIMENSIONAL UNDERSTANDING OF ROMANI OPPRESSION”. ERRC.org. (2005年7月21日). https://www-errc-org.translate.goog/roma-rights-journal/child-marriage-a-cultural-problem-educational-access-a-race-issue-deconstructing-uni-dimensional-understanding-of-romani-oppression?_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=sc 2024年4月20日閲覧。 
  45. ^ Romania Region: Western Europe
  46. ^ “Combating child marriage among the Roma population in Eastern Europe”. Humanium. (2023年10月3日). https://www.humanium.org/en/combating-child-marriage-among-the-roma-population-in-eastern-europe/ 2024年4月20日閲覧。 
  47. ^ a b [1]
  48. ^ U.S. Embassy in Romania "marriage"
  49. ^ The State of Health in Romania”. RoNeonat. 2020年2月13日閲覧。
  50. ^ Sfaturi Medicale – Bolile cele mai frecvente la români”. 2012年1月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月13日閲覧。
  51. ^ GHIDUL ARADEAN. “GHIDUL ARADEAN”. 2020年2月13日閲覧。
  52. ^ Ballas, Dimitris; Dorling, Danny; Hennig, Benjamin (2017). The Human Atlas of Europe. Bristol: Policy Press. p. 66. ISBN 9781447313540 
  53. ^ Safest Countries In The World 2021 - World Population Review World Population Review
  54. ^ 海外安全ホームページ: 安全対策基礎データ :ルーマニア 外務省
  55. ^ Rusan, Carmen (2012年6月1日). “Premiile Academiei „Mihai Eminescu”, la Craiova” (ルーマニア語). Cuvântul Libertăţii. 2024年9月15日閲覧。

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]
政府
日本政府
大使館
観光その他