レフトウィッチ (駆逐艦)
艦歴 | |
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発注 | 1974年1月15日 |
起工 | 1976年11月12日 |
進水 | 1978年4月8日 |
就役 | 1979年8月25日 |
退役 | 1998年3月27日 |
その後 | 2003年8月1日に標的艦として沈没 |
除籍 | 1998年3月27日 |
性能諸元 | |
排水量 | 満載:9,255トン |
全長 | 172 m (563 ft) |
全幅 | 16.8 m (55 ft) |
吃水 | 8.8 m (29 ft) |
機関 | ゼネラル・エレクトリックLM2500 4基、80,000shp COGAG方式、2軸推進 |
最大速力 | 30 ノット (公式値) |
航続距離 | 6,000 海里 (11,000km、20ノット時) |
乗員 | 士官25名、兵員273名 |
兵装 | 54口径Mk.45 5インチ単装砲 2基 Mk.143 4連装装甲発射機(トマホーク SLCM用)2基 Mk.112 アスロック 8連装発射機 1基(後日撤去) Mk.29シースパロー 8連装発射機 1基 Mk.141 ハープーン 4連装発射筒 2基 Mk.15 20mmファランク スCIWS 2基 Mk.38 25mm単装機銃 2門 Mk.32 短魚雷3連装発射管 2基 |
航空機 | SH-60 シーホークLAMPSIII 2機搭載可能 |
モットー | Superiority Through Teamwork |
USSレフトウィッチ (USS Leftwich, DD-984) は、アメリカ海軍の駆逐艦。スプルーアンス級駆逐艦の22番艦。艦名はウィリアム・G・レフトウィッチ中佐に因む。
艦歴
[編集]レフトウィッチは1976年11月12日にミシシッピ州パスカグーラのインガルス造船所で起工し、1978年4月8日進水、1979年8月25日に就役した。就役から1985年3月までサンディエゴ海軍基地を母港として活動する。
1982年11月29日、レフトウィッチはフィリピンのスービック湾東40マイルの海域でトーマス・A・エジソン (USS Thomas A. Edison, SSBN-610) と衝突した。両艦共に演習参加中の出来事であった。トーマス・A・エジソンは衝突時、浮上準備にあり潜望鏡深度を航行していた。双方共に損傷し、スービック湾に帰投した。トーマス・A・エジソンはセイルと水平舵、ソナードームを損傷し、レフトウィッチは右舷シャフトおよびスクリューの羽二枚を損傷した。2ヶ月後にトーマス・A・エジソンは浮上したままピュージェット・サウンド海軍造船所に移動し、修理を受けること無く退役した。
1983年、レフトウィッチは荒海を高速航行したことで船体およびソナーウィンドウを損傷した。
1985年4月1日、母港が真珠湾海軍基地に変更される。レフトウィッチはその後退役まで真珠湾を母港として活動した。
レフトウィッチは第3対潜ヘリ飛行隊第5分遣隊と共に母港の真珠湾に到着した。5ヶ月半の展開で、レフトウィッチは200隻以上の商船の臨検を行った。レフトウィッチは初めてトマホーク巡航ミサイルを搭載した艦の内の一つで、実戦でトマホークを再搭載した最初の艦であった。ヘリコプターとSEALsを搭載し、初めてイラク領域を占領、戦時捕虜を捕獲した。そして、16回の戦闘捜索および救助任務に従事した。
その経歴中にレフトウィッチは8回の西太平洋、インド洋およびペルシャ湾での配備が行われた。湾岸戦争では砂漠の盾および砂漠の嵐作戦にも参加している。
レフトウィッチは1998年3月に退役した。その後2003年8月1日に標的艦として北緯22度48分47秒 西経160度34分00秒 / 北緯22.81306度 西経160.56667度の海域で海没処分された。
参照
[編集]- この記事はアメリカ合衆国政府の著作物であるDictionary of American Naval Fighting Shipsに由来する文章を含んでいます。