ハドソン (航空機)
ハドソン(Hudson)は、第二次世界大戦時にアメリカのロッキード社で製造された哨戒・爆撃機である。生産1号機は1938年12月10日に初飛行に成功した。
概要
[編集]イギリス空軍の要求に従い、ロッキード社がL-14 スーパーエレクトラ旅客機をもとに開発した。のちにアメリカ陸軍航空軍(名称:A-28/29)やアメリカ海軍(名称:PBO)でも沿岸哨戒機として使用した。また、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、中華民国にも輸出された。
イギリスでの運用
[編集]1939年5月から沿岸航空隊に配備され、偵察や哨戒任務に就いた。特に対潜哨戒任務を得意としており対Uボート作戦に従事し、1941年8月21日、沿岸防備隊のハドソン1機が北大西洋でUボートを激しく攻撃したためUボートは浮上して降伏した[1]。
北海にてドイツ海軍の補給艦「アルトマルク」を発見し、アルトマルク号事件のきっかけを作ったり、戦艦「ビスマルク」の追撃戦にも参加している。
1943年頃から、前線での任務はビッカース ウェリントンやより高性能なコンソリデーテッド B-24 リベレーターと交替したが、輸送機や救難機として終戦まで運用された。
また、マレー半島やオーストラリアに配備された機体は太平洋戦争にて日本軍と交戦しており、中でも一部は南方作戦時に大日本帝国陸軍により鹵獲され陸軍航空審査部などで調査され、のちには映画『加藤隼戦闘隊』の撮影にP-40 ウォーホークやF2A バッファローともども使用(出演)されている。また、飛行第81戦隊は、鹵獲したハドソンを九七式司令部偵察機から一〇〇式司令部偵察機への機種転換訓練に使用し、成果をあげている[2]。
日本海軍のエース坂井三郎の著書『大空のサムライ』の記述に、1942年7月22日にオーストラリア空軍No.35Sqn.(第32飛行隊)のハドソン(コードA16-201)と対峙してこれを撃墜したが、敵は勇敢で前方固定機銃を持って立ち向かってくる戦法に戸惑ったとされる。坂井は機長であるウォーレン・F・コワン少尉以下、本機のクルーを1997年(平成9年)にオーストラリアの国防相へ、「コワンとその搭乗員たちは充分に勇敢であり表彰されるべきである」とたたえて書簡を送ったが、拒絶されてしまった。
しかし、2024年8月20日にアデレードの政府庁舎で、故ウォーレン・フランク・コーワン士官パイロットとローリー・エドウィン・シェアード軍曹の遺族に勇敢勲章が授与された。[3]
アメリカでの運用
[編集]A-28・A-29
[編集]ハドソンは、1941年3月からレンドリース法の適用によってアメリカ陸軍がA-28として発注することになった。153機をアメリカ陸軍が沿岸哨戒用に使用した。
AT-18
[編集]AT-18は、本機をアメリカ陸軍が高等練習機として転用した機体で、他の型と異なり最初から米陸軍向けとして発注された。
AT-18は旋回機関銃の銃塔を英国のボールトンポール社製から、自国製のマーチン社製に換装し、エンジンは1,200hpのライト R-1820-87を搭載した。
大型爆撃機乗員の射撃訓練や標的曳航に使用され、1942年から217機が生産された。また、銃塔を撤去し航法練習機とした機体はAT-18Aと称され、83機生産された。
PBO-1
[編集]アメリカ陸軍が使用したA-29をわずかに20機だけ受領したアメリカ海軍での機体名。冬期には港湾施設の凍結に悩まされる哨戒飛行艇と違って、陸上の飛行場を使用する双発哨戒爆撃機の有用性を本機で認識した米海軍は、本格的な開発に乗り出すこととなり、PV-1が開発された。
スペック
[編集](ハドソン Mk.I)
- 全長:19.96m
- 全幅:14.33m
- 全高:4.80m
- 翼面積:51.19m2
- 自重:5,484kg
- 全備重量:7,938kg
- エンジン:ライト GR-1820-G102A 空冷星型9気筒 1,100hp×2
- 最大速度:357km/h(2,400m)
- 巡航速度:249km/h
- 上昇率:305m/min
- 実用上限高度:6,400m
- 航続距離:1,835km
- 武装
- 乗員:6名
出典
[編集]- ^ 木村秀政 『万有ガイド・シリーズ 5⃣ 航空機 第二次大戦 II』(小学館、1981年8月) 19頁
- ^ 押尾一彦、野原茂『日本軍鹵獲機秘録』光人社、2002年、50,82頁。ISBN 978-4769810476。
- ^ “Heroic WW2 acts awarded 82 years on”. 2024年12月9日閲覧。