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ヴァンダレイ・シウバ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴァンダレイ・シウバ
本名 ヴァンデレー・セザール・ダ・スィウヴァ[注 1]
(Wanderlei César da Silva)
生年月日 (1976-07-03) 1976年7月3日(48歳)[1]
出身地 ブラジルの旗 ブラジル
パラナ州クリチバ[1]
通称 ジ・アックス・マーダラー
(The Axe Murderer)
戦慄の膝小僧
PRIDEミドル級絶対王者
居住 ブラジルの旗 ブラジル
パラナ州クリチバ
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
身長 180 cm (5 ft 11 in)
体重 93 kg (205 lb)
階級 ライトヘビー級ミドル級
リーチ 188 cm (74 in)
スタイル ムエタイブラジリアン柔術
チーム シュートボクセ・アカデミー
エクストリーム・クートゥア
ヴァンジ・ファイトチーム/キングスMMA
トレーナー フジマール・フェデリコ
クリスチャーノ・マルセロ
ハファエル・コルデイロ
ランク ブラジリアン柔術(黒帯)
ムエタイ(黒帯)
総合格闘技記録
試合数51
勝利35
ノックアウト27
タップアウト1
判定7
敗戦14
ノックアウト7
タップアウト7
引き分け1
無効試合1
ウェブサイト 209
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ヴァンダレイ・シウバWanderlei Silva1976年7月3日 - )は、ブラジル男性総合格闘家パラナ州クリチバ出身。ヴァンジ・ファイトチーム主宰。元PRIDEミドル級王者。PRIDE GRANDPRIX 2003優勝。UFC殿堂入り。

2006年のシウバ

概要と功績

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1999年からPRIDEに参戦。PRIDE中期の象徴的選手であった桜庭和志を破り一躍スターダムにのし上がると、PRIDE.17におけるミドル級王座決定戦で再び桜庭を破り初代PRIDEミドル級王者となった。その後ミドル級で開催されたPRIDE GRANDPRIX 2003でも優勝を果たし、PRIDE参戦以来5年間(無効試合、時間切れ引き分けを挟んで)17戦無敗、ミドル級王座も3回の防衛に成功したことから「PRIDEミドル級絶対王者」と呼ばれた。

来歴

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1976年ブラジルパラナ州クリチバに生まれる。幼少期から喧嘩に明け暮れていたが、13歳のときシュートボクセ・アカデミーに入門し、ムエタイを学ぶ[2]。18歳の時に志願してブラジル陸軍に入隊した。

1996年11月1日、ブラジルでプロ総合格闘技デビュー。欠場者の代理出場で、対戦相手ジウソン・フィリォとは20kgの差があったものの、逆転のKO勝利を収めた[2]

1997年9月15日、International Vale Tudo Championshipの8人制トーナメントに出場、決勝まで勝ち上がるが決勝のアルトゥール・マリアーノ戦では打撃で圧倒し試合を優位に進めていたものの自らの頭突きで目尻をカットし、ドクターストップでTKO負けとなり、準優勝に終わった[3]

UFC初出場

1998年10月16日、ブラジルで開催されたUFC BrazilUFC初出場。ビクトー・ベウフォートと対戦し、スタンドパンチ連打で開始44秒でTKO負けを喫した[4]

1999年4月27日、IVCライトヘビー級(91kg)王座決定戦でユージーン・ジャクソンと対戦し、ギブアップ勝ちを収め王座獲得に成功した[5][6]

PRIDE

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1999年9月12日、PRIDE初出場となったPRIDE.7カール・マレンコと対戦し、判定勝ち[7]

2000年1月30日、PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦のリザーブマッチでボブ・シュライバーにスリーパーホールドで一本勝ち[8]

2000年4月14日、日本で開催されたUFC 25のUFC世界ミドル級(現ライトヘビー級)王座決定戦でティト・オーティズと対戦し、判定負けで王座獲得に失敗した[9]

2000年8月27日、PRIDE.10ガイ・メッツァーと対戦し、KO勝ち。

2000年12月23日、PRIDE.12リングスKOKトーナメント優勝のダン・ヘンダーソンと対戦、ヘンダーソンの攻撃で左目をカットし視野を塞がれるものの、1ラウンド終盤から攻勢に転じ、2ラウンドにマウントポジションを奪うなど試合を優位に進め、判定勝ちを収めた[10][11]

桜庭第1戦

2001年3月25日、PRIDE.13で「ミドル級頂上対決」[12]と評された桜庭和志との一戦が実現。この大会から4点ポジションからの膝蹴りが可能となり[12]、この新ルールはシウバに有利と言われていたが[12]、試合ではテイクダウンを狙った桜庭にこの攻撃でダメージを与え最後はサッカーボールキックでTKO勝ちを収めた[13]。この一戦で「戦慄の膝小僧」の異名を轟かせ、一気にスターダムにのし上がった。

PRIDEミドル級王座獲得

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桜庭第2戦

2001年11月3日、PRIDE.17で行われた初代PRIDEミドル級(93kg)王座決定戦で桜庭和志と再戦[14][15]。1ラウンド途中、桜庭にフロントチョークに捕らえられた体勢から桜庭をボディスラムでマットに叩きつけ左肩を脱臼させ、1ラウンド終了後、ドクターストップによるTKO勝利となり、以後5年以上に渡って保持することになるPRIDEミドル級王座獲得に成功した[16]

2002年2月24日、PRIDE.19で行われたPRIDEミドル級タイトルマッチで挑戦者の田村潔司と対戦。パウンドでダメージを与え最後は右ストレートでKO勝利を収め、王座の初防衛に成功した[17]

ミルコ第1戦

2002年4月28日、PRIDE.20で「PRIDE vs K-1」頂上決戦と評された[18]ミルコ・クロコップとの特別ルール(3分5R判定なし、グラウンドでの膠着はスタンドからのリスタート)での対戦は、時間切れで引き分けた[18]

2002年8月28日、Dynamite!では一度はジェレル・ヴェネチアンとの対戦が決定したものの、大会プロデューサー石井和義の呼びかけに応じた極真空手王者の岩崎達也と対戦し[19]、左ハイキックでダウンを奪いパウンドでTKO勝ち[20]

2002年11月24日、PRIDE.23で行われたPRIDEミドル級タイトルマッチで挑戦者の金原弘光と対戦し、シウバの踏みつけで金原陣営からタオルが投入され、TKO勝ちを収め、2度目の王座防衛に成功した[21]

PRIDE GP 2003 優勝

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桜庭第3戦

2003年は、ミドル級グランプリ「PRIDE GRANDPRIX 2003」に出場[22]。2003年8月10日のPRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦で行われたグランプリ1回戦では桜庭和志と3度目の対戦となったが[23]、桜庭のローキックにカウンターの右ストレートを合わせて失神KO勝ちを収め、返り討ちにした[24]

ジャクソン第1戦

2003年10月にはグランプリ準決勝の組み合わせ抽選会で吉田秀彦の指名を受け対戦が決定[25]、迎えた2003年11月9日のPRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦で行われたグランプリ準決勝で吉田秀彦を判定で破り決勝進出を果たすと[26]、続くグランプリ決勝ではクイントン・"ランペイジ"・ジャクソン相手に首相撲からの17発連続の膝蹴りでTKO勝ちを収め、ミドル級グランプリ優勝を果たした[26]

2004年2月15日、PRIDEの新シリーズであるPRIDE武士道第2回大会に出場、「日本VSシュート・ボクセ 3対3対抗戦」の大将戦として美濃輪育久と対戦し[27]、開始1分過ぎ、テイクダウンに失敗して引き込んだ美濃輪にパウンドを浴びせKO勝利を収めた[28]

2004年8月15日、PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦で「日本人最後の砦」[29]と言われたパンクラス・ライトヘビー級王者の近藤有己と対戦し、パンチでダウンさせ、踏みつけによりレフェリーストップでTKO勝ちを収めた[30]。試合後にはリングに登場したクイントン・ジャクソンの挑戦表明を受け、「ヤル!」と応じるパフォーマンスを見せた[29]

ジャクソン第2戦

2004年10月31日、PRIDE.28で行われたPRIDEミドル級タイトルマッチでクイントン・"ランペイジ"・ジャクソンと再戦。1ラウンド終盤にパンチでダウンを奪われパウンドで追い詰められるも、2ラウンドに第1戦と同じく首相撲からの膝蹴りの連打で衝撃的な失神KOに追い込み、3度目の王座防衛に成功した[31]

2004年12月31日、PRIDE 男祭り 2004では桜庭和志と4度目の対戦が決定していたが[32]、桜庭の怪我[33]で直前に対戦相手がヘビー級のマーク・ハントに変更となった[34]。試合は2ラウンドにダウンを奪われるもマウントポジションを取るなどポジショニングで優位に立ち挽回するが、1-2の判定でPRIDE初黒星を喫した[35]

PRIDE GRANDPRIX 2005

2005年は連覇を掛けミドル級グランプリ「PRIDE GRANDPRIX 2005」に出場。2005年4月23日のPRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦で行われたグランプリ1回戦では吉田秀彦との再戦となり、2-1の判定で勝利した[36]

2005年6月26日、PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUNDで行われたグランプリ2回戦では半袖の柔道着を纏った中村和裕との対戦となり、開始5分過ぎ、中村が服を脱いだ瞬間にパンチでダウンを奪い、マウントパンチによる追撃でレフェリーストップによりTKO勝ちを収め、ベスト4に進出した[37]

2005年8月28日、PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦で行われたグランプリ準決勝ではヒカルド・アローナにグラウンドで抑え込まれる展開が続き、判定で敗れグランプリ連覇を逃した[38]。シウバが同階級の選手に負けたのは2000年のティト・オーティズ戦以来5年振りのことであった。

2005年12月31日、PRIDE 男祭り 2005でヒカルド・アローナとミドル級タイトルマッチで再戦。僅差の判定で勝利し、4度目の王座防衛に成功すると共にリベンジを果たした[39]

PRIDE 無差別級グランプリ 2006

2006年5月18日、拳の手術の回復が間に合わず欠場となったエメリヤーエンコ・ヒョードルに代わってPRIDE 無差別級グランプリ 2006に出場することが発表された[40]

2006年7月1日、PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUNDで行われたPRIDE 無差別級グランプリの2回戦に出場し、藤田和之と対戦した。右ストレートでダウンを奪いサッカーボールキックを放つと藤田陣営のセコンドからタオルが投入され、TKO勝利となり準決勝進出を果たした[41]

ミルコ第2戦

2006年9月10日、PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦で行われたグランプリ準決勝では、PRIDE.20以来の約4年ぶりの再戦となるミルコ・クロコップと対戦。序盤から素早い打撃戦を展開し、会場を沸かせたが、1ラウンド5分過ぎに左ハイキックを受け失神、PRIDE初のKO負けを喫した[42]

2007年2月25日、ネバダ州ラスベガスで開催されたPRIDE.33で7年振りの再戦となるダン・ヘンダーソンとPRIDEミドル級タイトルマッチを行ったが、最終ラウンドに左フックでダウンしパウンドでTKO負け。5年余りに渡って保持していたミドル級王座から陥落した[43]

UFC復帰

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UFCファンエキスポでのシウバ。

PRIDEの活動休止とともにUFCと再契約し、それに前後してシュートボクセ・アカデミーから脱退。アメリカに移住し、ランディ・クートゥアのジムであるエクストリーム・クートゥアに移籍した。

リデル戦

2007年12月29日、UFC 25以来7年半振りのUFC復帰戦となったUFC 79チャック・リデルと対戦し、殴り合いの壮絶な激闘を繰り広げるも、0-3の判定負けを喫した[44]。敗れはしたものの、ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[45]

2008年5月24日、UFC 84キース・ジャーディンと対戦。試合開始直後に右フックでダウンを奪いパウンドによる追撃でわずか36秒で秒殺KO勝ち[46]、ノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[47]

ジャクソン第3戦

2008年12月27日、UFC 92でPRIDEで2連勝したクイントン・"ランペイジ"・ジャクソンと3度目の対戦を行い、カウンターの左フックで失神KO負けを喫した。

2009年3月、ネバダ州ラスベガスに自身のジム「ヴァンジ・ファイトチーム」を設立。

2009年6月13日、UFC 99リッチ・フランクリンと契約体重195ポンドで対戦し、判定負けを喫するも[48]ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[49]

2009年10月には秋山成勲との対戦が発表されたものの[50]、その後マイケル・ビスピンに変更となった[51]。試合は2010年2月20日のUFC 110で行なわれ、シウバが判定で勝利した[52]

2010年7月3日のUFC 116秋山成勲と改めて対戦予定であったが自身の怪我により欠場することが試合1週間前に発表された[53]。この後シウバは膝の手術を受け約1年半のブランクを作った。

2011年7月2日、UFC 132クリス・リーベンと対戦するも試合開始早々にアッパー連打でダウンしたところにパウンドを浴びせられKO負け。

2011年11月19日、UFC 139カン・リーと対戦し、パウンドでTKO勝ち。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。

2012年ビクトー・ベウフォートと共にThe Ultimate Fighter: Brazilでそれぞれのチームのヘッドコーチを務めた。

2012年6月23日、UFC 147リッチ・フランクリンと再戦し、0-3の判定負け。敗れはしたものの、ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。当初はビクトーとTUFのコーチ対決を行う予定であったがビクトーの怪我で変更になった。

2013年3月3日、6年半ぶりの日本での試合となったUFC on Fuel TV 8ブライアン・スタンと対戦。1R序盤からお互いにダウンを奪い合う壮絶な激戦となり、2Rに左フックでスタンからダウンを奪いパウンドでKO勝ち。ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。

2014年7月5日のUFC 175で長年に渡って挑発し合ってきたチェール・ソネンと対戦する事が決定するも、シウバが薬物検査を拒否したために欠場になった事が発表される。これに対しシウバは薬物検査官が持参した文書が英語であまり詳細がわからず、加えて試合を控えたヘナン・バラオンのサポートで忙しくその場にあまりいられなかった、これまでのキャリアで一度も薬物検査を失格したことも拒否したことも無いと主張した[54]。しかし6月17日、シウバはネバダ州アスレチック・コミッションの公聴会において、骨折した手首の保水性を最小限に抑える事を名目に、禁止薬物である利尿剤を服用していた事を明かした[55]

2014年9月19日、総合格闘家として引退する事を表明。最後にUFCを批判するようなコメントを残した[56]。2015年7月24日、シウバは「UFCが八百長試合を行っている証拠がある」と発言するが[57]、7月29日にUFCから名誉棄損で訴えられ[58]、2016年1月14日にシウバは「そのような(八百長試合の)証拠は無く、私が間違っていた発言を撤回したい」と謝罪を表明した[59]。同日、UFCから正式に契約解除されたことをシウバの弁護士が公表した[60]

2016年2月17日、ネバダ州アスレチック・コミッションが薬物検査を拒否したシウバに永久追放と罰金7万ドルの処分を下したが、シウバがそれに対し異議申し立てをしていた件で、ネバダ州アスレチック・コミッションは再審議をした結果、3年間の出場停止と罰金無しに処分を軽減した。ネバダ州地方裁判所裁判でも「ネバダ州アスレチック・コミッションがシウバに下した処分は権限を超えたものである」とシウバ勝訴の判決が2015年5月に下されていた[61]

RIZIN

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2016年4月17日、RIZINRIZIN.1にて、田村潔司とタッグを組み、所英男桜庭和志とグラップリングルールのダブルバウトで対戦し、時間切れ引き分けに終わった。

2016年12月29日に開催されるRIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2016 無差別級トーナメントにシード枠で2回戦より出場し、ミルコ・クロコップと対戦予定だったが、5月に起きた交通事故による怪我の回復が思わしくないとの理由で欠場する事が発表された。

Bellator

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2017年6月24日、Bellator 180でチェール・ソネンと対戦し、1Rに右フックでダウンを奪ったが0-3の判定負け。

2018年9月29日、Bellator 206でクイントン・"ランペイジ"・ジャクソンと通算4度目の対戦をし、右フックからのパウンドで2RTKO負け。

引退

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2022年9月1日、総合格闘技の引退を発表[62]

2024年2月17日、UFC 298でシウバのUFC殿堂入り(パイオニア部門)が発表された[63]

10月8日、米MMAメディア「BJPENN.COM」などの複数の海外メディアが、シウバが慢性外傷性脳症を患っていることを報じた[64]

人物・エピソード

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  • 選手コール時に、両手を合わせクルクル回し相手を威嚇する仕草が有名。
  • 既婚者であり子供もいる。2007年からUFC出場に伴い、シュートボクセ・アカデミーを円満離脱し、アメリカに移住。2016年4月にアメリカ合衆国の市民権を取得した[65]。現在はブラジルに帰国し故郷のクリチバで暮らしている[66]
  • UFCに復帰して、UFCに在籍した6年間で970万ドル(約12億円)の報酬を稼いだ[67]
  • 人一倍チームメイト思いとして有名でマウリシオ・ショーグンムリーロ・ニンジャなどに対してとても面倒見がよく、温厚に接する。
  • かつて3度戦った桜庭和志とは仲がよく、桜庭から受け取った紙製のチャンピオンベルトや阪神タイガースのキャップを大切にしている。
  • PRIDEの恒例イベントであった「けやき広場イベント」の「チャンピオン祭り」では、自身の握手会に来てくれたファンに自分のニット帽をあげたり、参加していないファンを気遣って握手をしたりと、ファンに対するサービス心は高い。
  • 週刊少年マガジンで連載していた「もう、しませんから。」に2回登場。1回目は作者の西本と似顔絵で対決して勝利。2回目は同作品の題字を毛筆で書き下ろした。
  • 2004年11月20日、フジテレビ系『めちゃ×2イケてるッ!』のゲームコーナー「STAMP8」に外国人格闘家初のゲストとして出演した。
  • カエルが大の苦手とジャンクSPORTSで発言している。
  • 来日時には必ずと言っていいほど、はなまるうどんで牛肉うどんに海老天を5本乗せて食べており[68][69]、そのメニューをシウバ自身が好きな日本食として挙げている。[68][69]その縁ではなまるうどんから渋谷公園通り店限定の「一生無料券」を贈呈された[70]ほか、2005年12月29日から2006年1月15日までの限定メニューとして牛肉うどんに海老天3本にした組み合わせを「シウバうどん」として販売されていた[70]
  • 2009年に何度も骨折を繰り返していた鼻と目の周囲の瘢痕組織を除去する修復手術を受けた。手術を担当した医師によるとこの手術で塞がっていた鼻の気道が確保され、酸素摂取量が30%増加したという。

戦績

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総合格闘技

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総合格闘技 戦績
51 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
35 25 3 7 0 1 1
14 7 0 7 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× クイントン・ランペイジ・ジャクソン 2R 4:32 TKO(右フック→パウンド) Bellator 206: Mousasi vs. Macdonald 2018年9月29日
× チェール・ソネン 5分3R終了 判定0-3 Bellator 180 2017年6月24日
ブライアン・スタン 2R 4:08 KO(左フック→パウンド) UFC on Fuel TV 8: Silva vs. Stann 2013年3月3日
× リッチ・フランクリン 5分5R終了 判定0-3 UFC 147: Silva vs. Franklin 2 2012年6月23日
カン・リー 2R 4:49 TKO(膝蹴り→パウンド) UFC 139: Shogun vs. Henderson 2011年11月19日
× クリス・リーベン 1R 0:27 KO(左アッパー→パウンド) UFC 132: Cruz vs. Faber 2011年7月2日
マイケル・ビスピン 5分3R終了 判定3-0 UFC 110: Nogueira vs. Velasquez 2010年2月20日
× リッチ・フランクリン 5分3R終了 判定0-3 UFC 99: The Comeback 2009年6月13日
× クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン 1R 3:21 KO(左フック) UFC 92: The Ultimate 2008 2008年12月27日
キース・ジャーディン 1R 0:36 KO(パウンド) UFC 84: Ill Will 2008年5月24日
× チャック・リデル 5分3R終了 判定0-3 UFC 79: Nemesis 2007年12月29日
× ダン・ヘンダーソン 3R 2:08 TKO(左フック→パウンド) PRIDE.33 "THE SECOND COMING"
【PRIDEミドル級タイトルマッチ】
2007年2月24日
× ミルコ・クロコップ 1R 5:26 KO(左ハイキック) PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦
【無差別級グランプリ 準決勝】
2006年9月10日
藤田和之 1R 9:21 TKO(タオル投入) PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUND
【無差別級グランプリ 2回戦】
2006年7月1日
ヒカルド・アローナ 3R(10分/5分/5分)終了 判定2-1 PRIDE 男祭り 2005 頂-ITADAKI-
【PRIDEミドル級タイトルマッチ】
2005年12月31日
× ヒカルド・アローナ 2R(10分/5分)終了 判定0-3 PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦
【ミドル級グランプリ 準決勝】
2005年8月28日
中村和裕 1R 5:24 TKO(マウントパンチ) PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUND
【ミドル級グランプリ 2回戦】
2005年6月26日
吉田秀彦 3R(10分/5分/5分)終了 判定2-1 PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦
【ミドル級グランプリ 1回戦】
2005年4月23日
× マーク・ハント 3R(10分/5分/5分)終了 判定1-2 PRIDE 男祭り 2004 -SADAME- 2004年12月31日
クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン 2R 3:26 KO(膝蹴り) PRIDE.28
【PRIDEミドル級タイトルマッチ】
2004年10月31日
近藤有己 1R 2:46 KO(踏みつけ) PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦 2004年8月15日
美濃輪育久 1R 1:09 KO(パウンド) PRIDE 武士道 -其の弐- 2004年2月15日
クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン 1R 6:28 TKO(膝蹴り) PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦
【ミドル級グランプリ 決勝】
2003年11月9日
吉田秀彦 2R(10分/5分)終了 判定3-0 PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦
【ミドル級グランプリ 準決勝】
2003年11月9日
桜庭和志 1R 5:01 KO(右フック) PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦
【ミドル級グランプリ 1回戦】
2003年8月10日
金原弘光 1R 3:31 TKO(タオル投入) PRIDE.23
【PRIDEミドル級タイトルマッチ】
2002年11月24日
岩崎達也 1R 1:16 TKO(左ハイキック→パウンド) Dynamite! SUMMER NIGHT FEVER in 国立 2002年8月28日
ミルコ・クロコップ 3分5R終了 時間切れ PRIDE.20 2002年4月28日
田村潔司 2R 2:28 KO(右ストレート) PRIDE.19
【PRIDEミドル級タイトルマッチ】
2002年2月24日
アレクサンダー大塚 3R 2:22 TKO(ドクターストップ) PRIDE.18 2001年12月23日
桜庭和志 1R終了時 TKO(ドクターストップ) PRIDE.17
【PRIDEミドル級王座決定戦】
2001年11月3日
大山峻護 1R 1:30 TKO(スタンドパンチ連打) PRIDE.14 2001年5月27日
桜庭和志 1R 1:38 TKO(サッカーボールキック) PRIDE.13 2001年3月25日
ダン・ヘンダーソン 10分2R終了 判定6-0 PRIDE.12 2000年12月23日
ギルバート・アイブル 1R 0:21 無効試合(ローブロー) PRIDE.11 2000年10月31日
ガイ・メッツァー 1R 3:45 KO(スタンドパンチ連打) PRIDE.10 2000年8月27日
トッド・メディーナ 1R 0:39 KO(膝蹴り) Meca World Vale Tudo 2 2000年8月12日
× ティト・オーティズ 5分5R終了 判定0-3 UFC 25: Ultimate Japan 3
【UFC世界ミドル級王座決定戦】
2000年4月14日
ボブ・シュライバー 1R 2:42 スリーパーホールド PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦
【リザーブマッチ】
2000年1月30日
松井大二郎 10分2R終了 判定6-0 PRIDE.8 1999年11月21日
カール・マレンコ 10分2R終了 判定6-0 PRIDE.7 1999年9月12日
トニー・ペテーラ 1R 2:53 KO(膝蹴り) UFC 20: Battle for the Gold 1999年5月7日
ユージーン・ジャクソン 1R 0:32 ギブアップ(パンチ連打) IVC 10: World Class Champions
【IVCライトヘビー級王座決定戦】
1999年4月27日
エイドリアン・セラーノ 1R 0:22 KO(打撃) IVC 9: The Revenge 1999年1月20日
× ビクトー・ベウフォート 1R 0:44 TKO(スタンドパンチ連打) UFC Brazil: Ultimate Brazil 1998年10月16日
マイク・ヴァン・アースデイル 1R 4:00 KO(打撃) IVC 6: The Challenge 1998年8月23日
× アルトゥール・マリアーノ 2R 13:10 TKO(ドクターストップ) IVC 2: A Question of Pride
【決勝】
1997年9月15日
エジディオ・ダ・コスタ 1R 2:27 ギブアップ(パンチ連打) IVC 2: A Question of Pride
【準決勝】
1997年9月15日
ショーン・ボーメット 1R 1:19 KO(右ハイキック) IVC 2: A Question of Pride
【1回戦】
1997年9月15日
マルセロ・バルボーザ 1R 0:20 TKO(肩の負傷) Brazilian Vale Tudo 10 1997年7月1日
ジウソン・フィリォ 1R 3:35 KO(パンチ) Brazilian Vale Tudo 6
【1回戦】
1996年11月1日

グラップリング

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勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
桜庭和志&所英男
(パートナー:田村潔司
15分終了 時間切れ RIZIN.1 2016年4月17日

獲得タイトル

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表彰

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出演

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映画

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CM

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脚注

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注釈

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  1. ^ 「ヴァンデッヘレー・セザッハ・ダ・スィウヴァ」がブラジルポルトガル語リオデジャネイロの発音。

出典

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  1. ^ a b SHERDOG FIGHTFINDER - Wanderlei "The Axe Murderer" Silva SHERDOG
  2. ^ a b 「戦いこそ、我が人生」『GONKAKU』No.5、2007年10月号、イースト・プレス、pp.10-21
  3. ^ 「瞳にやどる血」『格闘マガジン FIGHTER』2007年春号、晋遊舎、2007年5月1日、pp.44-45
  4. ^ UFCブラジル大会(第5試合) BoutReview
  5. ^ PRIDE-7全カード発表 BoutReview 1999年9月6日
  6. ^ Light Heavyweight: 183-200 lbs. MMA to Z
  7. ^ 99・9・12 "PRIDE.7" 横浜アリーナ(第2試合) BoutReview
  8. ^ 蘭伯キック対決はあっけなくシゥヴァに BoutReview
  9. ^ ティト待望の王座奪取。安生、不完全燃焼でメイン飾れず BoutReview 2000年4月14日
  10. ^ 桜庭、ボブチャンチンが判定勝ち。エンセン引退表明 BoutReview
  11. ^ PRIDE12試合結果&選手コメント(2) スポーツナビ
  12. ^ a b c 桜庭×シウバ決定。改正ルールで桜庭ピンチ!? BoutReview 2001年2月16日
  13. ^ 春爛漫、シウバの恐怖のヒザに桜散る BoutReview
  14. ^ PRIDE.17東京ドーム、桜庭 vs. ヴァンダレイ決定 BoutReview 2001年9月13日
  15. ^ 桜庭 vs. ヴァンダレイはミドル級タイトル戦に/PRIDE.17・東京ドーム BoutReview 2001年9月20日
  16. ^ PRIDE.17東京ドーム レポート&写真/桜庭、涙のドクターストップ BoutReview
  17. ^ "約束の地は遠く"田村、そしてエンセンの理想は見えたか BoutReview 2002年2月25日
  18. ^ a b シウバvsミルコはドロー PRIDEvsK-1 対抗戦第2弾 4.28 PRIDE.20 横浜大会完全速報! - 第7試合 スポーツナビ
  19. ^ シウバの相手決定。全7カードに/ヴァンダレイの相手が極真王者に変更 BoutReview 2002年8月22日-27日
  20. ^ 吉田は本当に勝ったのか? 世紀のリベンジマッチ、転じて新たな遺恨へ BoutReview 2002年8月29日
  21. ^ 高田、真剣勝負で22年のレスラー生活に幕 BoutReview 2002年11月25日
  22. ^ 吉田、ミドル級GP参戦。UFCからも王者級が参戦へ BoutReview 2003年6月18日
  23. ^ 一回戦で田村×吉田、桜庭×シウバ! BoutReview 2003年7月9日
  24. ^ 桜庭、シウバに3連敗。ミルコ×ヒョードル実現へ弾み BoutReview 2003年8月11日
  25. ^ 準決勝は吉田×シウバ、ジャクソン×リデル BoutReview 2003年10月1日
  26. ^ a b ノゲイラ、ミルコから一本 BoutReview 2003年11月10日
  27. ^ ヴァンダレイ×美濃輪、ショーグン×郷野決定 BoutReview 2004年1月21日
  28. ^ ヴァンダレイ&ミルコ豪快勝利 BoutReview 2004年2月17日
  29. ^ a b 小川、秒殺負け! ノゲイラvsヒョードルは無効試合 シウバが近藤に圧勝 ミルコ、久々の左ハイKO - 第6試合 スポーツナビ
  30. ^ 2/60億に悪夢のアクシデント BoutReview 2004年8月16日
  31. ^ シウバ、3度目の防衛 BoutReview 2004年11月1日
  32. ^ 桜庭×シウバ、近藤×ダンヘン、五味×パルバーが決定! GBR 2004年11月30日
  33. ^ 桜庭、肋骨骨折で欠場 BoutReview 2004年12月28日
  34. ^ シウバVSハント正式決定! 試合順も決まる GBR 2004年12月29日
  35. ^ ヒョードル、ヘビー級統一王者に BoutReview 2005年1月7日
  36. ^ シウバ、吉田KOならず BoutReview 2005年4月24日
  37. ^ 日本人全滅。ミルコ完勝 BoutReview 2005年6月27日
  38. ^ ヒョードル&ショーグンが頂点に BoutReview 2005年9月1日
  39. ^ 五味、マッハをKO。シウバ防衛 BoutReview 2006年1月4日
  40. ^ ヒョードル欠場。代役はヴァンダレイ BoutReview 2006年5月18日
  41. ^ シウバ、藤田を粉砕。吉田も敗退 BoutReview 2006年7月3日
  42. ^ ミルコ、シウバ&ジョシュ下し優勝 BoutReview 2006年9月12日
  43. ^ シウバ王座陥落。五味一本負け BoutReview 2007年3月7日
  44. ^ シウバ&ソクジュ敗れる。GSP暫定王者に BoutReview 2007年12月30日
  45. ^ UFC Issues $200,000 in UFC 79 Bonuses MMAjunkie 2007年12月30日
  46. ^ BJ・ペン"最強対決"制す!シウバは衝撃のKO勝利 MMAPLANET 2008年5月25日
  47. ^ Silva, Palhares, Reljic and Gouveia secure $75K UFC 84 bonuses MMAjunkie 2008年5月25日
  48. ^ シウバ、熱戦繰り広げるも結果は伴わず―― MMAPLANET 2009年6月14日
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  50. ^ 秋山対ヴァンダレイ決定! 宇野の11月参戦も発表! UFC日本語版公式サイト 2009年10月13日
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  52. ^ UFC110 ミドル級のヴァンダレイ、ビスピンに涙の勝利 MMAPLANET 2010年2月21日
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  62. ^ Wanderlei Silva ‘officially retired’ from MMA, passing torch to son Thor SilvaMMA Fighting 2022年8月31日
  63. ^ Former PRIDE champ Wanderlei Silva joins 2024 UFC Hall of Fame class MMA Junkie 2024年2月17日
  64. ^ ヴァンダレイ・シウバ、長年の激闘で「ボクサー認知症」に!現在の姿も イーファイト 2024/10/10 (2024年10月10日閲覧)
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  67. ^ Dana White: Wanderlei Silva made $9.7 million in the UFCMMA Fighting 2015年10月20日
  68. ^ a b NAGARAプライムショー」、2013年1月22日配信、WOWOW製作
  69. ^ a b 渋谷LIVE! ザ・プライムショー」、2013年1月22日放送、WOWOW製作
  70. ^ a b ブラジル人格闘家 ヴァンダレイ・シウバ選手が はなまるうどん・渋谷公園通り店に参上!! - はなまるニュース 2005年

関連項目

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外部リンク

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前王者
王座新設
初代PRIDEミドル級王者

2001年11月3日 - 2007年2月25日

次王者
ダン・ヘンダーソン