ヴォルフガング・パウル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Wolfgang Paul
ヴォルフガング・パウル
ボンにある記念プレート
生誕 (1913-08-10) 1913年8月10日
ドイツの旗 ドイツ帝国 ザクセン王国
死没 1993年12月7日(1993-12-07)(80歳)
ドイツの旗 ドイツ ボン
国籍 ドイツの旗 ドイツ
研究機関 ライン・フリードリヒ・ヴィルヘルム大学ボン
クリスティアン・アルブレヒト大学キール
出身校 ミュンヘン工科大学
ベルリン工科大学
ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン
主な業績 四重極イオントラップ
主な受賞歴 ノーベル物理学賞(1989) 
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示
ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1989年
受賞部門:ノーベル物理学賞
受賞理由:イオントラップ法の開発

ヴォルフガング・パウル(Wolfgang Paul, 1913年8月10日1993年12月7日)はドイツ人物理学者イオントラップ法の開発者の一人で、四重極イオントラップを開発した。1989年にノーベル物理学賞を受賞した。

生涯[編集]

ドイツのローレンツキルヒに生まれ、父が薬学部の教授を務めていたミュンヘンで育った。ミュンヘン工科大学に数年通った後、1934年ベルリン工科大学に転校し、1937年ハンス・ガイガーの下で卒業している。博士課程時代はキール大学のハンス・コッファーマンの下で研究を行い、空軍に徴兵された後の1940年にベルリン工科大学で博士号を取得している。その後数年間は、ゲッティンゲン大学ハンス・コッファーマンとともに講義を担当した。彼はボン大学で実験物理学の教授に任命され、1952年から1993年までそこで勤めた。1965年から1967年にかけての2年間は欧州原子核研究機構(CERN)に、責任者として赴任した。

第二次世界大戦中は、核兵器に使う核分裂性物質の生産に必要な、同位体分割の研究を行った。息子のシュテファン・パウルも、ミュンヘン工科大学の実験物理学の教授を務めている。1992年ディラック・メダル受賞。1993年ボンで没した。

出典[編集]