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一宮市歌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
一宮市歌
関連画像
発表演奏会の様子
真清田神社、1936年9月1日)

市歌の対象
一宮市

作詞 尾上柴舟
作曲 信時潔東京音楽学校
採用時期 1936年9月1日[1]
言語 日本語
試聴
noicon
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一宮市歌」(いちのみやしか)は、愛知県一宮市が制定した市歌である。作詞・尾上柴舟、作曲・信時潔東京音楽学校)。

解説

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「一宮市歌」
(A面)コロナ合唱団 /
(B面)有島通男青葉笙子
シングル
B面 一宮ハッチヤエぶし
リリース
規格 SPレコード
ジャンル 市歌、新民謡
レーベル コロナレコード(CA-7-A/B)
作詞・作曲 A面‥作詞:尾上柴舟、作曲・信時潔
B面‥作詞:北原白秋、作曲:大村能章
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1936年(昭和11年)に市制15周年を記念して市役所内に制定委員会を設け[2]、市歌を文学博士の尾上八郎(柴舟)に、新民謡詩人北原白秋にそれぞれ委嘱して歌詞を懸賞募集した[3]。市歌では東京市の白井彪(時代小説作家・渋田黎明花の別名義)による応募作が二等(賞金30円)に入賞したが、両部門とも一等入選が出なかったため「該当なし」として審査委員2名が直接作詞することになった[3]

作曲は東京音楽学校を通じて市歌を信時潔[2]、新民謡「一宮ハッチャエ節」を大村能章がそれぞれ作曲し、8月28日に制定委員会と市会の合同協議で了承したのち[2]、9月1日付で制定告示が行われる[1]。発表演奏会は告示当日に真清田神社で開催された市制15周年記念式典で行われ、以後に市が主催する公式行事で斉唱することが取り決められた[2]。コロナレコード(ポリドール販売)が製造したSP盤規格品番:CA-7-A/B)では作曲者のクレジットを信時潔個人としているが、一宮市例規集では個人名義ではなく「東京音楽学校」としている[1]

1960年代には名古屋放送管弦楽団の団員であった岩田益蔵が市歌を行進曲調にアレンジした「一宮行進曲」を作成しており、2014年(平成26年)に楽譜が発見された[4]

市の公式サイトでは例規集に歌詞と楽譜が掲載されているが[1]、主として演奏しているのは2001年(平成13年)に市制80周年シンボルソングとして選定した「人・街・未来へ」(作詞:松島賢一、補作・作曲:新実徳英)であり[5]、従来から存在した「一宮市歌」は“「市民の歌」とは別に、「一宮市歌」もあります”と言及されるのみに留まっている[6]

備考

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「一宮市歌」と同時に選定された新民謡「一宮ハッチャエ節」は、戦後に島倉千代子中島孝の歌唱で日本コロムビアカバー規格品番:SPR-1692)を製造した。

一宮市は平成の大合併において尾西市葉栗郡木曽川町を編入合併しており、合併協議会では「新市発足後、新市歌の制定も含め検討する」との申し合わせが行われたが[7]、合併後は従来通り「一宮市歌」が存続し、尾西市が1958年(昭和33年)に制定した市歌「とよはたぐもの歌」は廃止されている(木曽川町は町民音頭のみ制定していた)。

参考文献

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  • 上園政雄 編『当選歌全集』再販(桜華社、1937年) 全国書誌番号:46066234
  • 一宮市 編『一宮市史』下巻(一宮市役所、1939年) NCID BN10366591
  • 一宮市 編『新編 一宮市史』年表(一宮市役所、1988年) NCID BN01628755

出典

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  1. ^ a b c d ○市歌 昭和11年8月31日 告示第98号”. 一宮市例規集. 一宮市役所 (1936年8月31日). 2023年5月7日閲覧。
  2. ^ a b c d 市史・下(1939), p989
  3. ^ a b 上園(1937), p419
  4. ^ 一宮行進曲”. いちのみやん. 有限会社人の森. 2023年5月7日閲覧。
  5. ^ シンボルソング”. 一宮市役所 (2018年4月1日). 2023年5月7日閲覧。
  6. ^ 「市民の歌」はありますか。”. 一宮市役所 (2020年3月4日). 2023年5月7日閲覧。
  7. ^ 第7回一宮市・尾西市・木曽川町合併協議会 次第”. 一宮市・尾西市・木曽川町合併協議会. 一宮市役所 (2004年4月2日). 2023年5月7日閲覧。

関連項目

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