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一色新五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
一色新五郎
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
別名 一宮新五郎
幕府 室町幕府
主君 足利義稙
氏族 一色氏(丹後一色家)
父母 実父:一色五郎(一色義遠の養子[1][注釈 1][注釈 2]
養父:一色義有[1]
兄弟 義清新五郎
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一色 新五郎(いっしき しんごろう)は、戦国時代武将

概要

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足利義晴御供衆として名前が見える[1]

『丹後国御檀家帳』によると、石川直経に石川の城を持たされていたという。

天文13年(1544年)11月7日には、洛中の屋敷を取り上げられて一色晴具が代官になったという[3]

脚注

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注釈

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  1. ^ 五郎の父は一色義遠あるいは一色政氏とされる
  2. ^ 梅本政幸は実名を義季とする。義季の名前は『細川大心院記』永正元年(1504年)条に見える[2]

出典

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  1. ^ a b c 清水敏之「戦国期丹後一色氏の基礎的研究」『戦国史研究』第82号、戦国史研究会、2021年、1-16頁。 
  2. ^ 梅本政幸『丹後守護一色氏代々控』(丹後地方中世史研究会、2011年10月28日)
  3. ^ 梅本政幸『丹後守護一色氏代々控』(丹後地方中世史研究会、2011年10月28日)