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七條祐樹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
七條 祐樹
2013年4月7日、明治神宮野球場
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮崎県東臼杵郡北浦町(現:延岡市
生年月日 (1984-07-10) 1984年7月10日(40歳)
身長
体重
180 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2010年 ドラフト2位
初出場 2011年6月28日
最終出場 2014年9月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

七條 祐樹(しちじょう ゆうき、1984年7月10日 - )は、宮崎県東臼杵郡北浦町(現:延岡市)出身の元プロ野球選手投手)。

経歴

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プロ入り前

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小学3年生から野球を始めた。宮崎県立延岡工業高等学校への進学後は、3年生第74回選抜高等学校野球大会に出場した。

高校在籍時からもプロの複数の球団が調査に動いたが、卒業後は日産自動車九州に入社。着実な成長を見せ、2006年にはJR九州の補強選手として第77回都市対抗野球に出場(登板機会はなし)、アマ日本代表候補にも選出されたが同年に肘を故障して登板機会が激減、さらに2009年に同チームの休部に伴い、同僚の星野雄大・原口翔と共に伯和ビクトリーズへ移籍。

2010年は怪我の回復もあって復活。エースとして活躍し、チームの第81回都市対抗野球出場・大会初勝利に貢献した。

2010年10月28日、プロ野球ドラフト会議にて東京ヤクルトスワローズから2位指名を受けた。

プロ入り後

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2011年は、6月28日の対読売ジャイアンツ戦(郡山)で一軍初登板初先発を果たし、7回を1失点、無四球に抑える好投で勝利投手となった。新人で対巨人戦に初登板初勝利は、チーム史上初の記録であった[1]。その後、8月10日の広島東洋カープ戦まで球団新人の新記録である先発初登板からの4連勝を飾っている[2]。12月9日に、都内の病院にて左膝軟骨損傷に対する関節鏡手術を行った[3]

2012年は、6試合に先発し2勝3敗だった。

2013年は、リリーフとして30試合に登板し、7月7日の中日ドラゴンズ戦でプロ初セーブを挙げた[4]

2014年は、開幕を二軍で迎え、5月に一軍に昇格したもののリリーフで結果を残せず2試合で二軍落ち。9月に再昇格し、9月5日の巨人戦に先発し、9回を1失点でプロ入り後初の完投勝利を挙げた。その試合のヒーローインタビューでは「先発出来ることが自分にとって光栄だったので、一球一球…」と言葉を発した後に声をつまらせ号泣し、その後もインタビューの受け答えが出来なかった。オフに100万円ダウンの1600万円で契約を更改した。本来の査定では150万円ダウンの1550万円の予定であったが、前述のインタビューによる『感動手当』として50万円の増額となった[5]

2015年には、プロ入り後初めて、一軍公式戦への登板機会がなかった[6]イースタン・リーグ公式戦では、34試合の登板で、0勝1敗0セーブ、防御率4.41でシーズンを終了。10月2日に球団から戦力外通告を受けた[7]ことを機に、現役を引退。

引退後

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2015年11月2日に、打撃投手としてヤクルトと契約[8]

選手としての特徴・人物

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スリークォーターから投げ込む最速149km/hの直球が持ち味[9]。変化球はスライダーシュート[10]ツーシームチェンジアップなどを投げる[11]

愛称は、漫画「天才バカボン」に登場するキャラクターに風貌が似ていることで社会人時代の先輩に名付けられた「バカボン[12][13]。または、ハンカチ王子こと斎藤佑樹と同じ名前であることに対抗した「チリ紙王子[13]

ロンドン五輪競泳200メートルバタフライ銅メダル、400メートルメドレーリレーで銀メダルなどを獲得した松田丈志は地元の同級生であり、親交がある[12]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2011 ヤクルト 10 10 0 0 0 4 0 0 0 1.000 203 46.1 53 4 15 0 1 36 0 0 28 27 5.24 1.47
2012 6 6 0 0 0 2 3 0 0 .400 131 30.0 30 3 12 0 2 12 0 0 15 14 4.20 1.40
2013 30 0 0 0 0 0 1 1 2 .000 149 35.2 34 6 10 0 1 30 1 0 16 16 4.04 1.24
2014 10 2 1 0 0 2 1 0 0 .667 117 27.1 27 3 11 0 0 15 0 0 13 13 4.28 1.39
通算:4年 56 18 1 0 0 8 5 1 2 .615 600 139.1 144 16 48 0 4 93 1 0 72 70 4.52 1.38

年度別守備成績

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投手












2011 ヤクルト 10 4 8 0 1 1.000
2012 6 0 5 0 0 1.000
2013 30 2 7 0 2 1.000
2014 10 3 4 0 0 1.000
通算 56 9 24 0 3 1.000

記録

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投手記録
打撃記録

背番号

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  • 42(2011年 - 2015年)
  • 107(2016年 - )

脚注

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  1. ^ a b c 初登板ルーキー七条やった!ヤクルト、巨人に4連勝! - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2022年7月3日閲覧。
  2. ^ 七条 球団新記録の無傷の4勝目!ヤクルトが連敗5で止める スポーツニッポン 2011年8月10日付記事
  3. ^ 七條投手の手術について 東京ヤクルトスワローズ公式サイト
  4. ^ a b 【ヤクルト】七条初S!悪夢と“サヨナラ” 日刊スポーツ 2013年7月7日付記事
  5. ^ 七條100万円減 「感動手当」「出産手当」で50万円上乗せ勝ち取る - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2022年7月3日閲覧。
  6. ^ 七條祐樹”. 日本野球機構. 2015年10月18日閲覧。
  7. ^ 来季の契約について” (2015年10月2日). 2015年10月18日閲覧。
  8. ^ 七條氏が打撃投手=プロ野球・ヤクルト 時事通信 2015年11月2日付配信記事
  9. ^ asahi.com(朝日新聞社):ヤクルト2位・七條投手、けがと休部乗り越えプロ切符 - スポーツ”. www.asahi.com. 2024年4月6日閲覧。
  10. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2014年9月6日). “復活なのだ!燕のバカボン七條、2年ぶり白星で男泣き”. サンスポ. 2024年4月6日閲覧。
  11. ^ バカボン復活!七條364日ぶり勝利 - プロ野球ニュース”. nikkansports.com. 2024年4月6日閲覧。
  12. ^ a b バカボン七條はバタ松田と18歳からの友人”. 日刊スポーツ (2012年8月7日). 2021年2月20日閲覧。
  13. ^ a b 「チリ紙王子」七条 バカボンで登板?”. スポーツニッポン (2011年1月8日). 2022年1月7日閲覧。
  14. ^ “試合情報 7月27日(木)東京ヤクルト‐広島”. http://www.yakult-swallows.co.jp/game/20110727.html?boxscore=on 2014年5月10日閲覧。 
  15. ^ “試合情報 8月3日(水)中日‐東京ヤクルト”. http://www.yakult-swallows.co.jp/game/20110803.html?boxscore=on 2014年5月10日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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