三井寺下駅
三井寺下駅* | |
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みいでらした Miiderashita | |
◄浜大津 (0.6 km) (2.9 km) 滋賀► | |
下は京阪石山坂本線三井寺駅 | |
所在地 | 滋賀県大津市大門通 |
所属事業者 | 江若鉄道 |
所属路線 | 江若鉄道線 |
キロ程 | 0.6 km(浜大津起点) |
駅構造 | 地上駅 |
開業年月日 | 1921年(大正10年)3月15日 |
廃止年月日 | 1969年(昭和44年)11月1日 |
* 1925年に三井寺駅から改称 |
三井寺下駅(みいでらしたえき)は、かつて滋賀県大津市大門通[1]にあった江若鉄道の駅(廃駅)。
江若鉄道が開業した時の起点駅であり、駅に隣接して江若鉄道の本社や機関区が所在するなど路線の心臓部を担う駅であった。
歴史
[編集]当駅は1921年(大正10年)、江若鉄道の営業開始に合わせて三井寺駅(みいでらえき)として開業した[1][2]。開通したのは三井寺から叡山までの6.0キロメートルの区間のみで[3]、当駅はその起点だった[1]。坂本地区まで並行路線となる大津電車軌道[6]と交差せず、かつ国鉄の大津駅に近い場所として、三井寺下にあたる当地にとりあえずの起点を求めたのである[7]。1925年(大正14年)には三井寺から新浜大津までの区間が開通し[3][8]、起点は浜大津に移る[9]。駅名が三井寺下に改称されたのもこの年のことであった[1]。
江若鉄道は1969年(昭和44年)10月31日をもって営業を終了し[10]、当駅も翌11月1日に廃止された[2]。
年表
[編集]駅構造
[編集]← 浜大津 |
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→ 滋賀 |
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凡例 出典:[14] |
三井寺下駅は旅客と貨物の両方を取り扱う一般駅[15]。駅には隣接して江若鉄道の本社と機関区(三井寺下機関区)があり、同社の中枢部として社員と車両が集まり賑わいを見せていた[1][16]。しかし駅のホームは1面のみで、列車交換可能な停車場ではあった[15]ものの通常のダイヤでは当駅での列車交換は設定されていなかった[16]。臨時列車が運行される際に当駅で交換を行うことはあったが、その際下り列車はホームでなく地上から梯子を渡して客の乗降を扱っていた[16]。
駅にはホームのほか駅本屋があり[14]、駅前にあった広場は地域の催し物会場として使用された[17]。
戦後は駅の山手側、皇子山一帯に展開していた占領軍(GHQ)のキャンプ大津A地区に向かって、物資輸送を行う側線が敷かれていた[18][19]。
利用状況
[編集]開業から数年間の年間乗降客数・貨物取扱量の状況は以下の通り。
年間の旅客および貨物の取扱量 | |||||
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年 | 旅客 | 貨物 | 出典 | ||
乗車 | 降車 | 発送 | 到着 | ||
1921年 | 127,532人 | 147,685人 | 62トン | 29トン | [20] |
1922年 | 140,188人 | 152,903人 | 1,419トン | 306トン | [21] |
1923年 | 192,383人 | 211,189人 | 1,909トン | 816トン | [22] |
1924年 | 167,459人 | 245,882人 | 1,253トン | 627トン | [23] |
1931年 | 49,366人 | 50,194人 | 900トン | 345トン | [24] |
1934年 | 42,675人 | 43,034人 | 839トン | 344トン | [25] |
1935年 | 40,409人 | 39,986人 | 912トン | 358トン | [26] |
1936年 | 39,589人 | 37,607人 | 1,184トン | 537トン | [27] |
駅周辺
[編集]駅があった場所は大津市役所長等市民センター付近に相当する[1]。廃線後に跡地は駐車場となり、敷地には枕木が長らく残されていたとされるが、2015年現在では失われている[17]。周囲は宅地や道路に変わり、駅の存在を窺わせるものはない[28][29]。
浜大津駅から当駅までの線路跡は明日都浜大津から伸びる遊歩道「大津絵の道」として整備されている[28][30]。いっぽう当駅から滋賀駅方面に向かう線路跡は2車線の一般道路となり、皇子山総合運動公園の東縁に沿って伸びる[28][31]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f 江若鉄道の思い出, p. 14.
- ^ a b c d e f 今尾 2008, pp. 31–32.
- ^ a b 田中, 宇田 & 西藤 1998, p. 394.
- ^ 寺田 2010, p. 9.
- ^ 田中, 宇田 & 西藤 1998, pp. 387–389.
- ^ 大津電車軌道は江若鉄道より先に浜大津 - 坂本間の免許を得ていて、江若鉄道は一部区間で同線と並行することになっていた[4]。この区間は江若鉄道の計画が持ち上がった当時未着工であったが、計画に刺激されるかのように1919年から延伸工事がはじまり、浜大津 - 三井寺間を1922年5月に開通させている(坂本までの全通は1927年)[5]。
- ^ 新旭町誌, pp. 626–627.
- ^ 江若鉄道の思い出, p. 7.
- ^ 滋賀県百科事典, p. 263.
- ^ 江若鉄道の思い出, p. 124.
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1921年3月17日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年4月10日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 「地方鉄道駅名改称」『官報』1925年9月17日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ a b 竹内 1967.
- ^ a b 寺田 2010, p. 10.
- ^ a b c レイル, p. 79.
- ^ a b 江若鉄道の思い出, p. 15.
- ^ 江若鉄道の思い出, p. 16.
- ^ レイル, p. 80.
- ^ 『滋賀県統計全書』大正10年版(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 『滋賀県統計全書』大正11年版(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 『滋賀県統計全書』大正12年版(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 『滋賀県統計全書』大正13年版(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 『滋賀県統計全書』昭和6年版(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 『滋賀県統計全書』昭和9年版(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 『滋賀県統計全書』昭和10年版(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 『滋賀県統計全書』昭和11年版(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ a b c 寺田 2010, p. 24.
- ^ 吉田 1998, p. 183.
- ^ 江若鉄道の思い出, p. 11.
- ^ 江若鉄道の思い出, pp. 17–18.
参考文献
[編集]- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 9 関西2、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790027-2。
- 大津市歴史博物館 編『江若鉄道の思い出 ありし日の沿線風景』サンライズ出版、2015年。ISBN 978-4-88325-554-2。
- 滋賀県百科事典刊行会 編『滋賀県百科事典』大和書房、1984年。ISBN 4-4799-0012-8。
- 新旭町誌編さん委員会 編『新旭町誌』新旭町、1985年。全国書誌番号:86038176。
- 竹内龍三「私鉄車両めぐり(70) 江若鉄道」『鉄道ピクトリアル』第17巻第1号(通巻192号)、鉄道図書刊行会、1967年1月、70-77頁、ISSN 0040-4047。(再録:『私鉄車両めぐり 関西』鉄道図書刊行会〈鉄道ピクトリアル別冊 鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション 19〉、2010年、102-114頁。全国書誌番号:21848519。)
- 田中真人、宇田正、西藤二郎「第16章 琵琶湖の首飾り―江若鉄道・湖西線」『京都滋賀 鉄道の歴史』京都新聞社、1998年。ISBN 4-7638-0445-6。
- 寺田裕一『新 消えた轍 ―ローカル私鉄廃線跡探訪―』 8 近畿、ネコ・パブリッシング〈NEKO MOOK〉、2010年。ISBN 978-4-7770-1075-2。
- 吉田恭一『地形図で辿る廃線跡 古地図とともにいまはなき鉄道を歩く』心交社、1998年。ISBN 4-88302-345-1。
- 「江若鉄道 その車輛・列車・歴史・駅をめぐる」『レイル No.84』エリエイ/プレス・アイゼンバーン、2012年。ISBN 978-4-87112-484-3。