安曇川駅 (江若鉄道)
安曇川駅* | |
---|---|
あどがわ ADOGAWA | |
◄水尾 (2.4 km) (2.6 km) 新旭► | |
南はJR湖西線安曇川駅 | |
所在地 |
滋賀県高島郡安曇川町大字西万木 (現・高島市安曇川町西万木[1]) |
所属事業者 | 江若鉄道 |
所属路線 | 江若鉄道線 |
キロ程 | 42.6 km(浜大津起点) |
駅構造 | 地上駅 |
開業年月日 | 1929年(昭和4年)6月1日 |
廃止年月日 | 1969年(昭和44年)11月1日 |
* 開業時の駅名は安曇駅 |
安曇川駅(あどがわえき)は、かつて滋賀県高島郡安曇川町大字西万木(現在の高島市安曇川町西万木[1])にあった江若鉄道の駅(廃駅)。
歴史
[編集]当駅は1929年(昭和4年)、江若鉄道の大溝駅から安曇駅までの区間が開通したのに合わせて安曇駅(あどえき)の名で開業した[1][2]。駅名の「安曇」は当時の村名(高島郡安曇村)でもある[3]。1931年(昭和6年)には安曇から先へ路線が延伸、近江今津駅までの区間が開通した[4][5]。
高島郡内における主要な商業地であった安曇にとって鉄道の存在はかねてから希求されていたものであり、当駅まで鉄路が伸びた際には大規模な祝賀会が挙行された[6]。住民は安曇駅に到着した一番列車を万歳で迎えたことが、当時の新聞によって報じられている[6][7]。安曇村は町制施行と合併を通じて1954年(昭和29年)に安曇川町となっていて、当駅の名前ものちに安曇川駅へ改称されている。
江若鉄道は1969年(昭和44年)10月31日をもって営業を終了し[8]、当駅も翌11月1日に廃止された[2]。
年表
[編集]- 1929年(昭和4年)6月1日:江若鉄道の大溝 - 当駅間の延伸開業に伴い、安曇駅として高島郡安曇村に開業[2][3]。駅前で開通祝賀会を実施、翌日午後には安曇小学校でも祝賀会を開催[6]。
- 1931年(昭和6年)1月1日:当駅から近江今津駅までの区間が延伸開業[2][9]。
- 時期不詳:安曇川駅に改称[10]。
- 1969年(昭和44年)11月1日:駅廃止[2]。
駅構造
[編集]← 水尾 |
|
→ 新旭 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
凡例 出典:[11] |
安曇川駅は列車交換が可能な交換駅で[4]、2本の線路の間に挟み込まれるようにホームが1面配されていた(島式ホーム)[12]。旅客と貨物の両方を取り扱うことができる一般駅であり[4]、駅には側線や貨物用のホームも設けられていた[11][12]。
また、駅の敷地内には大規模な木材の集積場が設けられていた。これは町の西隣の山間部に位置した朽木村から切り出された木材を当駅で貨物列車に積み込み、南へ輸送するためのものである[13]。朽木の木材はかつて安曇川、琵琶湖を利用する舟運によって専ら輸送されていたが、当駅開業後はその輸送ルートの一端を鉄道が担うこととなった[13]。
利用状況
[編集]初期の年間乗降客数・貨物取扱量の状況は以下の通り。
年間の旅客および貨物の取扱量 | |||||
---|---|---|---|---|---|
年 | 旅客 | 貨物 | 出典 | ||
乗車 | 降車 | 発送 | 到着 | ||
1931年 | 59,159人 | 59,854人 | 3,255トン | 3,142トン | [14] |
1934年 | 67,261人 | 68,065人 | 3,968トン | 3,439トン | [15] |
1935年 | 75,074人 | 76,154人 | 4,917トン | 3,603トン | [16] |
1936年 | 80,635人 | 80,979人 | 4,356トン | 3,615トン | [17] |
駅周辺
[編集]駅前には旅館や食堂などが軒を連ねる商店街が形成されていた[13]。駅に隣接してバスの車庫があり、駅前からはバスが発着した[18][19]。
安曇川は「近江聖人」と称された江戸時代の儒学者中江藤樹ゆかりの地であり、当駅は藤樹書院跡や藤樹神社など藤樹に関係する施設の最寄り駅であった[1]。彼が修身の教材として採用されていた戦前・戦中期、これらの史跡は高島郡内有数の観光スポットであり、江若鉄道沿線を紹介する当時の観光パンフレットでも大きく取り上げられている[1][20]。また駅に設置されていた観光案内板では、藤樹関連の史跡のほかに朽木スキー場や朽木渓谷など朽木村の名所も紹介されていて、当駅は朽木方面への観光の玄関口でもあった[6]。
駅のあった場所は、江若鉄道の廃線後に開業した湖西線安曇川駅のやや北方に当たる[6]。駅の痕跡は残っていない[21]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e 江若鉄道の思い出, p. 104.
- ^ a b c d e 今尾 2008, pp. 31–32.
- ^ a b 「地方鉄道運輸開始」『官報』1929年6月6日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ a b c 寺田 2010, p. 10.
- ^ 田中, 宇田 & 西藤 1998, p. 394.
- ^ a b c d e 江若鉄道の思い出, p. 105.
- ^ ありし日の江若鉄道, p. 23.
- ^ 江若鉄道の思い出, p. 124.
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1931年3月9日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 今尾 2008, p. 32では1952年から1962年の間とする。
- ^ a b 竹内 1967.
- ^ a b レイル, p. 81.
- ^ a b c 江若鉄道の思い出, p. 106.
- ^ 『滋賀県統計全書』昭和6年版(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 『滋賀県統計全書』昭和9年版(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 『滋賀県統計全書』昭和10年版(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ 『滋賀県統計全書』昭和11年版(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ レイル, p. 84.
- ^ 寺田 2010, p. 15.
- ^ 江若鉄道の思い出, p. 113.
- ^ 新・鉄道廃線跡を歩く, p. 33.
- ^ レイル, p. 76.
参考文献
[編集]- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 9 関西2、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790027-2。
- 今尾恵介(編著)『新・鉄道廃線跡を歩く』 4(近畿・中国編)、JTBパブリッシング、2010年。ISBN 978-4-533-07861-3。
- 大津市歴史博物館 編『企画展 ありし日の江若鉄道 ―大津・湖西を結ぶ鉄路(みち)―』大津市歴史博物館、2006年。
- 大津市歴史博物館 編『江若鉄道の思い出 ありし日の沿線風景』サンライズ出版、2015年。ISBN 978-4-88325-554-2。
- 竹内龍三「私鉄車両めぐり(70) 江若鉄道」『鉄道ピクトリアル』第17巻第1号(通巻192号)、鉄道図書刊行会、1967年1月、70-77頁、ISSN 0040-4047。(再録:『私鉄車両めぐり 関西』鉄道図書刊行会〈鉄道ピクトリアル別冊 鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション 19〉、2010年、102-114頁。全国書誌番号:21848519。)
- 田中真人、宇田正、西藤二郎「第16章 琵琶湖の首飾り―江若鉄道・湖西線」『京都滋賀 鉄道の歴史』京都新聞社、1998年。ISBN 4-7638-0445-6。
- 寺田裕一『新 消えた轍 ―ローカル私鉄廃線跡探訪―』 8 近畿、ネコ・パブリッシング〈NEKO MOOK〉、2010年。ISBN 978-4-7770-1075-2。
- 「江若鉄道 その車輛・列車・歴史・駅をめぐる」『レイル No.84』エリエイ/プレス・アイゼンバーン、2012年。ISBN 978-4-87112-484-3。