コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

雄琴温泉駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
雄琴温泉駅*
をごとおんせん
OGOTOONSEN
日吉 (2.7 km)
(3.4 km) 堅田
地図北側にJR湖西線おごと温泉駅がある
(赤のピンは雄琴温泉)
所在地 滋賀県大津市雄琴
北緯35度5分24.2秒 東経135度53分45.5秒 / 北緯35.090056度 東経135.895972度 / 35.090056; 135.895972座標: 北緯35度5分24.2秒 東経135度53分45.5秒 / 北緯35.090056度 東経135.895972度 / 35.090056; 135.895972
所属事業者 江若鉄道
所属路線 江若鉄道線
キロ程 10.3 km(浜大津起点)
駅構造 地上駅
開業年月日 1923年大正12年)4月1日
廃止年月日 1969年昭和44年)11月1日
* 戦後に雄琴駅から改称
テンプレートを表示

雄琴温泉駅(おごとおんせんえき)は、かつて滋賀県大津市雄琴[1]にあった江若鉄道廃駅)。

関西の奥座敷と称される温泉街、雄琴温泉の最寄り駅だった。

歴史

[編集]

当駅は1923年大正12年)4月、江若鉄道の叡山駅から雄琴駅までの区間が開通したのに合わせて雄琴駅(おごとえき)として開業した[1][2]。同年12月には雄琴から先、堅田駅までの区間も開通する[3]。当時の雄琴(滋賀郡雄琴村)は農業と漁業を営む村であったが、翌24年ごろから雄琴温泉の開発が始まると、江若鉄道の開通も手伝って保養地へと変貌[4]。戦前に発行された江若鉄道の観光案内図では雄琴が温泉地として紹介されていて、当地が早くから観光地として整備されていたことが窺える[5]

駅名が雄琴温泉駅に改称されたのは戦後[1]。このころの雄琴は大津市への合併(1951年)を機に行われた新しい源泉の掘削事業が成功し、温泉旅館が新規開業するなど温泉街として発展を遂げていた[4][6]

江若鉄道は1969年昭和44年)10月31日をもって営業を終了し[7]、当駅も翌11月1日廃止された[2]。江若鉄道の廃線後に開業した湖西線にも「雄琴駅」が設けられた(2008年平成20年)におごと温泉駅に改称[2])が、その位置は温泉街の中にあった当駅よりも山側に離れている[8]

年表

[編集]

駅構造

[編集]
雄琴温泉駅線路配置図

日吉
0 0 0 0 0 0 quai quai BV 0 0 0 0
0 0 0 0 0 courbebg voie voie courbebd 0 0 0 0
0 0 0 courbebg bifhd voie voie voie voie bifhg voie bifbg voie
0 0 Mvoie 0 0 quai quai quai quai 0 Mvoie 0 0
voie bifhd voie voie voie voie voie voie voie courbehd 0 0 0
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

堅田
凡例
出典:[12]

雄琴駅は旅客と貨物の双方を扱うことができた一般駅[13]列車交換が可能な停車場でもあり[13]、2本の線路の間にホームが1面配されていた(島式ホーム[12][14]。このほか駅舎側にもホーム(貨物ホーム)があった[12][15]

駅舎は線路の西側(堅田方面に向かって左手)に存在し、西近江路に面して駅前広場があった[16]

駅に設置された駅名標では、廃止された1969年においても歴史的仮名遣に則り「ごとおんせん」と表記されていた[1][15]

利用状況

[編集]

開業から数年間の年間乗降客数・貨物取扱量の状況は以下の通り。

年間の旅客および貨物の取扱量
旅客 貨物 出典
乗車 降車 発送 到着
1923年 37,312人 35,572人 176トン 202トン [17]
1924年 52,212人 56,561人 72トン 62トン [18]
1931年 54,800人 54,171人 334トン 209トン [19]
1934年 48,812人 47,700人 389トン 323トン [20]
1935年 52,052人 49,451人 220トン 256トン [21]
1936年 52,942人 50,236人 209トン 349トン [22]

駅周辺

[編集]

駅は雄琴温泉の温泉街の中にあった[8]。跡地には大津市役所雄琴市民センター[1]やコンビニエンスストア[23]が建てられている。当駅付近の線路跡については並走する国道161号(現在の滋賀県道558号高島大津線)の拡幅に利用されたが、駅の北方、衣川一丁目付近で国道(後に県道へ変更)から西へ分かれて山側に伸びる[6][24]。その先、天神川の手前には未舗装のまま築堤が残されていて、江若鉄道が営業していた当時の状態を強く留めている[6][23][25]

なお、江若鉄道廃線後に開通した湖西線は雄琴の温泉街を通らず、トンネルを利用し山側を抜けている[23][26]。これは地形や地質の問題に加えて、温泉街の旅館が騒音や景観問題の点から路線の新設に難色を示したことによる[26]

隣の駅

[編集]
江若鉄道
江若鉄道線
日吉駅 - 雄琴温泉駅 - 堅田駅

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f 江若鉄道の思い出, p. 38.
  2. ^ a b c d e f 今尾 2008, pp. 31–32.
  3. ^ 田中, 宇田 & 西藤 1998, p. 394.
  4. ^ a b 新修大津市史第7巻, pp. 341–342.
  5. ^ 江若鉄道の思い出, p. 40.
  6. ^ a b c 江若鉄道の思い出, p. 41.
  7. ^ 江若鉄道の思い出, p. 124.
  8. ^ a b レイル, p. 80.
  9. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年4月6日(国立国会図書館デジタル化資料)
  10. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年12月8日(国立国会図書館デジタル化資料)
  11. ^ 今尾 2008, p. 32では1952年から1962年の間とする。
  12. ^ a b c 竹内 1967.
  13. ^ a b 寺田 2010, p. 10.
  14. ^ レイル, p. 79.
  15. ^ a b レイル, p. 81.
  16. ^ 江若鉄道の思い出, p. 39.
  17. ^ 『滋賀県統計全書』大正12年版(国立国会図書館デジタル化資料)
  18. ^ 『滋賀県統計全書』大正13年版(国立国会図書館デジタル化資料)
  19. ^ 『滋賀県統計全書』昭和6年版(国立国会図書館デジタル化資料)
  20. ^ 『滋賀県統計全書』昭和9年版(国立国会図書館デジタル化資料)
  21. ^ 『滋賀県統計全書』昭和10年版(国立国会図書館デジタル化資料)
  22. ^ 『滋賀県統計全書』昭和11年版(国立国会図書館デジタル化資料)
  23. ^ a b c 寺田 2010, pp. 24–25.
  24. ^ 新・鉄道廃線跡を歩く, p. 32.
  25. ^ 吉田 1998, p. 187.
  26. ^ a b 吉田 1998, p. 186.

参考文献

[編集]
  • 今尾恵介(監修)日本鉄道旅行地図帳』 9 関西2、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790027-2 
  • 今尾恵介(編著)『新・鉄道廃線跡を歩く』 4(近畿・中国編)、JTBパブリッシング、2010年。ISBN 978-4-533-07861-3 
  • 大津市歴史博物館 編『江若鉄道の思い出 ありし日の沿線風景』サンライズ出版、2015年。ISBN 978-4-88325-554-2 
  • 竹内龍三「私鉄車両めぐり(70) 江若鉄道」『鉄道ピクトリアル』第17巻第1号(通巻192号)、鉄道図書刊行会、1967年1月、70-77頁、ISSN 0040-4047 (再録:『私鉄車両めぐり 関西』鉄道図書刊行会〈鉄道ピクトリアル別冊 鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション 19〉、2010年、102-114頁。全国書誌番号:21848519 
  • 田中真人、宇田正、西藤二郎「第16章 琵琶湖の首飾り―江若鉄道・湖西線」『京都滋賀 鉄道の歴史』京都新聞社、1998年。ISBN 4-7638-0445-6 
  • 寺田裕一『新 消えた轍 ―ローカル私鉄廃線跡探訪―』 8 近畿、ネコ・パブリッシング〈NEKO MOOK〉、2010年。ISBN 978-4-7770-1075-2 
  • 吉田恭一『地形図で辿る廃線跡 古地図とともにいまはなき鉄道を歩く』心交社、1998年。ISBN 4-88302-345-1 
  • 「江若鉄道 その車輛・列車・歴史・駅をめぐる」『レイル No.84』エリエイ/プレス・アイゼンバーン、2012年。ISBN 978-4-87112-484-3 
  • 『新修大津市史』 第7巻(北部地域)、大津市、1984年。全国書誌番号:85022939 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]