三宅康和
表示
時代 | 江戸時代後期 |
---|---|
生誕 | 寛政10年8月9日(1798年9月18日) |
死没 | 文政6年2月8日(1823年3月20日) |
改名 | 元吉(幼名)、康和 |
戒名 | 篤巌院殿源底透徹大居士 |
墓所 | 愛知県田原市北番場の霊巌寺 |
官位 | 従五位下、備中守、対馬守 |
幕府 | 江戸幕府 大坂加番 |
藩 | 三河国田原藩主 |
氏族 | 三宅氏 |
父母 |
父:三宅康友 母:大岡忠喜の娘・美濃(黙笑院) |
兄弟 |
於佐恵(加藤伝兵衛室)、亀吉、康和、康明、 友信 |
子 | 養子:康明 |
三宅 康和(みやけ やすかず)は、三河田原藩の第9代藩主。田原藩三宅家12代。
生涯
[編集]寛政10年(1798年)8月9日、第8代藩主・三宅康友の次男として江戸で生まれる。文化3年(1806年)2月に兄の亀吉が死去したため、4月25日に世子となった。文化6年(1809年)、父が死去したため家督を継いだ。
文化7年(1810年)6月から藩財政再建などを中心とした藩政改革に取り組み、9月には藩校・成章館を創設し、文化9年(1812年)や文政元年(1818年)10月などには5ヵ年にわたる倹約令を出すなどしたが、日光祭祀奉行や江戸城和田倉門番などにおける出費、さらに康和自身が病弱だったため、改革は失敗した。文化12年(1815年)12月16日に従五位下・備中守に叙位・任官し、文化14年(1817年)9月に対馬守に遷任している。
文政6年(1823年)2月8日、江戸で死去した。享年26。跡を弟で養子の康明が継いだ。
系譜
[編集]父母
養子
- 三宅康明 ー 実弟