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戸田忠能

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
戸田忠能
時代 江戸時代初期
生誕 天正14年(1586年
死没 正保4年1月3日1647年2月7日
戒名 道林寺殿一機全通大居士
墓所 愛知県田原市大久保町の長興寺
官位 従五位下因幡
幕府 江戸幕府
主君 徳川秀忠家光
三河田原藩
氏族 戸田氏
父母 父:戸田尊次、母:萬松院(松平伊忠娘)
兄弟 忠能正次生勝忠継忠高
蒔田定正正室、水野忠保室、辻某室、 滝川一乗室、戸田某室ら
久昌院九鬼守隆の娘)
養子:忠昌
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戸田 忠能(とだ ただよし)は、三河田原藩の第2代藩主。宇都宮藩戸田家2代。

生涯

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愛知県田原市の長興寺にある戸田忠能の墓(2016年4月)

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに従軍し、慶長19年(1614年)から慶長20年(1615年)にかけての大坂の陣では徳川秀忠に従った。

元和元年(1615年)に父尊次が死去したため、その跡を継いだ。藩政においては野田村などの検地を実施して藩政の基礎を固めたが、寛永19年(1642年)からの全国的な飢饉の影響を受け、その後に来た台風で舟が破損するなど、晩年の治世は多難であった。正保4年1月3日1647年2月7日)に62歳で死去した。嗣子が無かったため、弟忠継の長男である忠昌(忠治)が跡を継いだ。

系譜

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父母

正室

養子