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上石巌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

上石 巌(あげいし いわお、1908年1月11日 - 1991年6月12日)は、新潟県高田市(現・上越市)出身のクロスカントリースキー選手。

来歴

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高田師範学校(現上越教育大学) → 高田フラタナル

1929年の第7回全日本スキー選手権大会クロスカントリースキー個人40kmで優勝。1931年の同大会でもクロスカントリースキー個人50kmを制し、1932年レークプラシッドオリンピックの代表に選出される。同オリンピックでは、クロスカントリースキー個人耐久(50km)に出場し、ストックを破損するトラブルに遭いながらも、17位の成績を残した。

引退後は樺太で指導者として活躍。戦後は全日本スキー連盟理事・評議員、新潟県スキー連盟会長などを歴任した。

また、新潟県東頸城郡松代町(現・十日町市)の小学校に勤務していた縁で、1987年より同町で「上石巌記念クロスカントリースキー大会」が開催されている。

参考文献

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  • 小川勝次「日本スキー発達史」朋文堂、1956年
  • 菅原悦子「歴史ポケットスポーツ新聞冬季オリンピック」大空出版、2009年
  • 新潟県スキー連盟編「スキーにいがた 2012 第37号 創立80周年記念誌」2012年

外部リンク

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