下飯坂権三郎
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下飯坂 権三郎(しもいいざか ごんざぶろう、旧字体:下飯󠄀坂 權三郞、1852年12月25日(嘉永5年11月15日[1][2][注 1])- 1923年(大正12年)12月19日[3])は、明治時代の政治家。衆議院議員(4期)。岩手県胆沢郡水沢町長。自由民権運動家。次男は朝鮮総督府官僚、岩手県胆沢郡水沢町長を務めた下飯坂元。
経歴
[編集]1852年(嘉永5年)、仙台藩水沢城下に仙台藩士族として生まれる[1][注 2]。旧姓は油井。家は代々牧畜業を営んだ[1]。養賢堂で漢学を修めた[1]。1875年(明治8年)水沢県庁に出仕[4]。1877年(明治10年)の西南戦争では新撰旅団警視隊に属し、分隊長として出征した[1]。1880年(明治13年)、求我社に入社。翌1881年(明治14年)、板垣退助の主催する自由党に入党。
1881年(明治14年)10月、岩手県庁より塩釜村・北下幅村学務委員を命ぜられ、ついで塩釜村会議員を経て、1883年(明治16年)2月、岩手県会議員となった[1]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では岩手県第4区から立憲自由党所属で出馬し当選[1][3]。以後、1898年(明治31年)まで第3回、第4回、第6回総選挙で当選し、通算4期在任した[3]。
議員引退後は、水沢町長(明治35・1902年-大正3・1914年まで13年間)となり[1]、町長退任後は4年間、水沢農会長を勤めた。(大正3・1914年-大正6・1917年)その間、自由党の後身である立憲政友会の育成に尽力し、政友会岩手支部幹事、胆沢政友会を結成するなど政界人として活躍した。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 菅原藤四郎 (寺峰居士) 編『岩手県国会議員候補者列伝 : 一名・撰挙便覧』三省書店、1890年。
- 山崎謙 編『衆議院議員列伝』衆議院議員列伝発行所、1901年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。
- 『岩手人名辞典』(財)新渡戸基金、2009年。