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与楽カンジョ古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
与楽カンジョ古墳

墳丘・石室開口部
別名 乾城古墳
所属 与楽古墳群
所在地 奈良県高市郡高取町大字与楽(字カンジョ・字フロノタニ)
位置 北緯34度27分53.64秒 東経135度46分48.00秒 / 北緯34.4649000度 東経135.7800000度 / 34.4649000; 135.7800000座標: 北緯34度27分53.64秒 東経135度46分48.00秒 / 北緯34.4649000度 東経135.7800000度 / 34.4649000; 135.7800000
形状 方墳
規模 一辺36m
高さ10m
埋葬施設 両袖式横穴式石室
出土品 金銅製耳環・銀製指輪・須恵器土師器ほか
築造時期 6世紀末-7世紀前半
被葬者 (一説)東漢氏一族
史跡 国の史跡「与楽カンジョ古墳」
(「与楽古墳群」に包含)
地図
与楽 カンジョ 古墳の位置(奈良県内)
与楽 カンジョ 古墳
与楽
カンジョ
古墳
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与楽カンジョ古墳(ようらくカンジョこふん、乾城古墳)は、奈良県高市郡高取町与楽(ようらく)にある古墳。形状は方墳与楽古墳群英語版を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「与楽古墳群」のうち)。

概要

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史跡「与楽古墳群」[1]
古墳名 形状 埋葬施設 築造時期
与楽鑵子塚古墳 円墳 片袖式横穴式石室 6c後半
与楽カンジョ古墳 方墳 両袖式横穴式石室 6c末-7c前半
寺崎白壁塚古墳 方墳 横口式石槨 7c中葉

奈良盆地南縁、貝吹山丘陵から南に延びる尾根の先端部に築造された古墳である。丘陵尾根上では寺崎白壁塚古墳与楽鑵子塚古墳・与楽カンジョ古墳が北から南に並び、周辺丘陵には約100基の古墳が分布する[1]2002年度(平成14年度)以降に発掘調査が実施されている。

墳形は方形で、一辺36メートル・高さ10メートルを測る[1](かつては円墳として認知された)。墳丘は2段築成[1]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南方向に開口する。石室全長11.8メートルを測る大型石室であり、天井はドーム状を呈し、特に石室高さは5.3メートルと非常に高く奈良県内では最大規模になる。石室内の副葬品としては金銅製耳環・銀製指輪・不明鉄製品・砥石・須恵器土師器(ミニチュア土器把手含む)等が検出されている[2][1]

築造時期は、古墳時代後期-終末期6世紀末-7世紀前半頃の築造と推定され[1]8世紀初頭頃までの追葬が認められる[2]。与楽鑵子塚古墳・与楽カンジョ古墳・寺崎白壁塚古墳の3基は一帯の古墳群の首長墓であり、ミニチュア炊飯土器の出土(鑵子塚・カンジョ・白壁塚)・ドーム状石室(鑵子塚・カンジョ)の点で渡来系氏族の墳墓群と想定され[1]、特に被葬者としては東漢氏一族とする説が挙げられている[2]

古墳域は2013年(平成25年)に国の史跡に指定されている[1]。現在では史跡整備のうえで公開されているが、石室内部への立ち入りは制限されている。

遺跡歴

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  • 1976年昭和51年)3月30日、奈良県指定史跡に指定[3]
  • 2002-2008年度(平成14-20年度)、発掘調査:第1-3次調査(高取町教育委員会、20122014年に報告書刊行)。
  • 2013年(平成25年)3月27日、与楽鑵子塚古墳・寺崎白壁塚古墳と合わせて「与楽古墳群」として国の史跡に指定[1]
  • 史跡整備事業に伴う発掘調査(高取町教育委員会)[4]
  • 2017年(平成29年)2月9日、史跡範囲の追加指定[1]
  • 2018年度(平成30年度)、史跡整備事業完了。

埋葬施設

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石室俯瞰図
石室展開図

埋葬施設としては、両袖式横穴式石室が構築されており、南方向に開口する。石室の規模は次の通り[1]

  • 石室全長:11.8メートル
  • 玄室:長さ6.0メートル、幅3.8メートル、高さ5.3メートル
  • 羨道:長さ5.8メートル、幅1.8メートル、高さ1.8メートル

石室には閃緑岩の巨石が使用されており[2]、石室内面に比較的扁平な面を向ける[5]。側壁は左壁で5段積み、右壁は4段積み[5]。四壁を内側に持ち送り、ドーム状天井を形成する。天井石は巨石1枚[5]。玄室床面は礫敷であり、玄室の中央には漆喰を塗った棺台を据える[1]

玄室は床面積に比べて非常に高い特異な形態であるが、これは付近の与楽鑵子塚古墳や真弓鑵子塚古墳(明日香村)でも知られており、この地域の横穴式石室の特色として捉えられる[5][1]

文化財

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国の史跡

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  • 与楽カンジョ古墳(史跡「与楽古墳群」のうち)
    2013年(平成25年)3月27日、与楽鑵子塚古墳・与楽カンジョ古墳・寺崎白壁塚古墳の3基を合わせて「与楽古墳群」として指定。
    2017年(平成29年)2月9日に史跡範囲の追加指定[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 与楽古墳群 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  2. ^ a b c d 「高取 埋蔵文化財(埋文)散策マップ 第二版」 (PDF) 高取町教育委員会(高取町ホームページ)。
  3. ^ 史跡説明板。
  4. ^ 『高取の考古学III -速報-高取の発掘調査最前線2015-』 (PDF) 高取町教育委員会、2016年(リンクは高取町ホームページ)。
  5. ^ a b c d 乾城古墳(平凡社) 1981.

参考文献

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(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡説明板(奈良県教育委員会、2000年設置)
  • 「乾城古墳」『日本歴史地名大系 30 奈良県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4582490301 
  • 関川尚功「乾城古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 

関連文献

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(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 『与楽カンジョ古墳・与楽鑵子塚古墳発掘調査報告書(高取町文化財調査報告 第39冊)』高取町教育委員会、2012年。 
  • 『与楽カンジョ古墳・与楽鑵子塚古墳発掘調査報告書附論編(高取町文化財調査報告 第39-2冊)』高取町教育委員会、2014年。 

関連項目

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外部リンク

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