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中園町 (山口市)

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日本 > 山口県 > 山口市 > 中園町
中園町
山口情報芸術センター
山口情報芸術センター
中園町の位置(山口県内)
中園町
中園町
中園町の位置
北緯34度10分08秒 東経131度28分00秒 / 北緯34.16889度 東経131.46667度 / 34.16889; 131.46667
日本の旗 日本
都道府県 山口県の旗 山口県
市町村 山口市
人口
2023年令和5年)4月30日現在)[1]
 • 合計 380人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
753-0075[2]
市外局番 083[3]
ナンバープレート 山口

中園町(なかぞのちょう)は、山口県山口市にある町。山口市の中央西部。湯田温泉街の東。隣接する町に北西に緑町・北東に中央5丁目・南東に三和町・南西に泉都町。南境の石州街道筋には古くは多く商店があった。

概要

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1965年昭和40年)に現在の町名になった。以前は、小字で中讃井1、中讃井2、中讃井3、清水1、清水2、清水10、古角、中古角、中込田、下込田、八反田、下八反田の12区分されていた[4]。 1986年(昭和61年)当時の世帯数262。人口704人 (男324人 女380人)。山口情報芸術センター、NHK放送局、中央公園がある[5]。三和町に面している道路は、江戸時代に石州街道であった。縄文時代から中世時代の中込田遺跡が現在の山口ケーブルビジョン付近一帯に発見される[6]

  • 面積126020.508 m2
  • 周辺長1464.89 m

地理

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地名の由来

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中園町の中園は、所在している中央公園の中と園の2文字をとり、これを訓読したもの[7]

世帯数と人口

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2010年平成22年)から2024年令和6年)までの世帯数及び人口の推移は以下の通りである[8]

世帯数と人口の推移(単位:人)
年代 世帯数 合計
2010年(平成22年3月31日) 212 187 242 429
2011年(平成23年3月31日) 221 194 250 444
2012年(平成24年3月31日) 223 200 256 456
2013年(平成25年3月31日) 226 215 265 480
2014年(平成26年3月31日) 217 208 257 465
2015年(平成27年3月31日) 223 222 258 480
2016年(平成28年3月31日) 220 209 244 453
2017年(平成29年3月31日) 212 201 230 431
2018年(平成30年3月31日) 213 201 227 428
2019年(平成31年3月31日) 214 194 218 412
2020年(令和2年3月31日) 215 193 221 414
2021年(令和3年3月31日) 212 182 216 398
2022年(令和4年3月31日) 217 182 217 399
2023年(令和5年4月30日) 210 174 206 380
2024年(令和6年6月30日) 203 166 201 367

空中写真

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歴史

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年表

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  • 1908年(明治41年)10月 - 大日本軌道山口支社が小郡-山口間に軽便鉄道を開業。路線は山口県道204号宮野大歳線上に敷設。
  • 1950年(昭和25年)9月1日 - 県内の醸造業者及び従業員の教育の為、中園町3番39号(当時の下清水)に山口県醸造試験場を設置[9]。1967年(昭和42年)に市内大歳の山口県商工指導センターの技術部門に統合。
  • 1951年(昭和26年)3月 - 下清水に山口市民球場完成。
  • 1953年(昭和28年)9月 - 下清水に市営グランド完成[10]
  • 1956年(昭和31年)4月 - 山口県立山口中央高等学校が西白石校舎(暫定的に使用していた山口女子高等学校)から山口市中園町に移転。
  • 1958年(昭和33年)3月29日 - 現在の中央公園旧国道に面した側に市内で初めて4階建店舗付き市営住宅完成(店舗6戸・住宅18戸)。
  • 1960年(昭和35年8月4日)- 下清水に県立体育館完成。
  • 1962年(昭和37年4月15日)- 下清水(現在の中央5丁目)にNHK山口放送会館完成し放送開始
  • 1963年(昭和38年)10月 - 県立体育館で第18回国民体育大会の体操競技が開催。
  • 1965年(昭和40年)3月14日 - 中央公園にカラー噴水完成
  • 1984年(昭和59年)5月14日 - 山口ケーブルビジョン株式会社設立。
  • 1995年(平成7年)4月 - 山口県立山口中央高等学校が中園町地区の市街地再開発に伴い、山口市宮島町(現在地)の新校舎に移転。
    山口県立山口中央高校跡地の碑
  • 1999年(平成11年)4月19日 - 中込田遺跡の試掘調査始まる。
  • 1999年(平成11年)5月6日 - 中込田遺跡の第1次発掘調査が始まる。
  • 2000年(平成12年)8月11日 - 山口情報芸術センター(当時の仮称:山口文化交流プラザ)の基本設計案を設計者の磯崎新氏が山口市役所で説明[11]
  • 2001年(平成13年)8月 - 中園町市営アパート完成。「全日本建設技術協会賞」受賞[12]
  • 2003年(平成15年)11月1日 - 山口情報芸術センター開館。
  • 2005年(平成17年)4月11日 - 山口放送会館が中央5丁目から中園町地区に移転。
  • 2017年(平成29年)8月 - スターバックス山口市中央公園店に山口市内での初オープン。
  • 2017年(平成29年)12月26日 - 株式会社コア 中園町に本社移転。
  • 2023年(令和5年)11月1日- 山口情報芸術センター開館20周年を迎える[13]

経済

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企業

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商業

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地域

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校区

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  • 小学校:白石小学校
  • 中学校:白石中学校

施設

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史跡

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井上馨候遭難の碑
  • 井上馨候遭難の碑
    • 1864年(元治元年)9月25日の夜 山口政事堂から湯田の自宅へ帰宅途中に数名の俗論派に襲われひん死の重症をおった。しかし名医の所郁太郎の手当てで命を救われのちに明治政府の外相として国家に尽くしのち鹿鳴館を創設した。銅像は湯田温泉町の井上公園にある[14]。碑は1931年(大正6年9月1日)に建立。揮毫は、野村素介による[15]

交通

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道路

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  • 山口県道204号宮野大歳線(旧国道9号線)
  • 市道 糸米十王線 (通称一盃堂小路)
  • 市道 横町札/辻線 (旧石州街道,通称本町通り)
  • 市道 熊野台線

路線バス

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周辺関連施設

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脚注

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  1. ^ 山口市の人口(令和5年4月30日現在)”. 山口市. 2023年5月21日閲覧。
  2. ^ 郵便番号”. 日本郵便. 2022年4月24日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2022年4月24日閲覧。
  4. ^ 高橋文雄「山口市町名覚え書」1981年8月31日、p161
  5. ^ 角川書店「角川日本地名大辞典35 山口県」1998年12月8日、p923
  6. ^ 山口市教育委員会 文化財保護課「山口市埋蔵文化財調査報告 第79集 中込田遺跡」2002年3月、p1
  7. ^ 高橋文雄「山口市町名覚え書」1981年8月31日、p160
  8. ^ 山口市役所デジタル推進課ホームページ2024年6月30日閲覧
  9. ^ 伊藤理基、「山口市史 各説篇」1971年3月10日、p397-398
  10. ^ 山口市役所企画財政広報広聴課、「市報やまぐち 1995年 特別号」1995年12月25日、p23
  11. ^ 「基本設計案を磯崎氏が説明」、山口新聞社、2000年8月12日、p14
  12. ^ 全日本建設技術協会「月刊建設」2002年8月、p47
  13. ^ 総合政策部広報広聴課「市報やまぐち2023年12月1日号」、p3
  14. ^ 栗林和彦「昭和の残像」2005年12月、p71
  15. ^ 内田伸「明治維新と山口市」1985年11月、p45