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中島そのみ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中島 そのみ
手前から中島そのみ・団令子重山規子の「お姐ちゃんトリオ」
基本情報
出生名 岩下 宏子
生誕 (1936-01-02) 1936年1月2日
出身地 日本の旗 日本長野県小県郡丸子町
死没 (2023-02-26) 2023年2月26日(87歳没)
学歴 長野県丸子実業高等学校
ジャンル カントリー
ロカビリー
歌謡曲
職業 歌手女優
担当楽器 ボーカル
活動期間 1954年 - 1960年
女優としては1958年 - 1964年
レーベル 日本コロムビア
共同作業者 チャック・ワゴン・ボーイズ

中島 そのみ(なかじま そのみ、1936年1月2日[1] - 2023年2月26日[要出典])は、日本歌手女優長野県小県郡丸子町(現・上田市)出身。本名:近藤宏子(旧姓:岩下)。夫はテレビプロデューサー近藤洲弘

来歴・人物

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1954年、長野県丸子実業高等学校(現在の長野県丸子修学館高等学校)を卒業。兄を頼って上京し、ドレスメーカー女学院に入学。ジャズ喫茶に出入りするうちに、ウエスタン歌手に転向し、チャック・ワゴン・ボーイズに加入。その個性的な声色と唱法により頭角を表す。

1956年1月、小坂一也の紹介で日本コロムビアから『テキサスの恋唄』でソロ・デビュー。小坂一也とワゴン・マスターズやスイング・ウエストと共演。1958年2月、第1回日劇ウエスタンカーニバルに出演する頃には、人気歌手となっていた。代表曲に『フラフープソング』などがある。

1958年6月、日活の舞台に出演した縁で日活映画『大阪娘と野郎ども』で映画デビュー。1959年には、東宝に入社。多くの映画に出演し、団令子重山規子とのトリオ(お姐ちゃんトリオ)でよく出演していた。

1963年4月にNETのディレクター近藤洲弘と結婚、1964年1月公開の映画「社長紳士録」を最後に芸能界を引退していたが、『ちびっこ怪獣ヤダモン』ではアニメ制作会社ピー・プロダクションの社長であるうしおそうじから直接中島に「声の出演をしてもらいたい」との説得を受け、出演するに至った経緯がある[2]

「トサカにくる」という俗語は、中島が映画「お姐ちゃんシリーズ」で使ったことで流行した[3]

ディスコグラフィー

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SP

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  • テキサスの恋唄 (1956年1月。日本コロムビア A-2442。小坂一也との共演。バックはワゴン・マスターズ。B面は小坂一也「ヒュッテのランプ」)
  • たくましき男たち (1956年2月。日本コロムビア JL-168。バックはワゴン・マスターズ。B面は東京マムボ・オーケストラ「マムボ・バカン」)
  • チャチャチャ天国 (1956年3月。日本コロムビア A-2485。小坂一也との共演。A面は小坂一也「東京チャチャ」)
  • 西部の姐御 (1956年5月。日本コロムビア A-2535。バックはワゴン・マスターズ。A面は小坂一也「ビリー・ザ・キッドの物語」)
  • 西部のM型娘 (1956年6月。日本コロムビア A-2553。バックはワゴン・マスターズ。A面は小坂一也「銀座横町」)
  • 赤い月の下で (1956年10月。日本コロムビア A-2625。バックはワゴン・マスターズ。A面は小坂一也「インディアンの襲撃」)
  • カゴシマ・オハーラ (1957年3月。日本コロムビア A-2725。バックはワゴン・マスターズ。A面は小坂一也「炭坑節」)
  • 二人歩けば (1958年2月。日本コロムビア A-2980。A面は若山彰「若い僕ら」)
  • にゃんにゃんおどり (1958年6月。日本コロムビア CP-87)
  • ハイティーン・ベビー (1958年6月。日本コロムビア A-3051。バックは堀威夫とスイング・ウエスト。A面は神戸一郎「俺はハイティーン」)
  • この先通行止め (1959年2月。日本コロムビア A-3148。神戸一郎との共演。A面は神戸一郎「恋人を待つなら」)

7インチシングル

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  • ハイティーン・ベビー (1958年6月。日本コロムビア SA-105。バックは堀威夫とスイング・ウエスト。A面は神戸一郎「俺はハイティーン」)
  • 東京ベベ(1958年10月。日本コロムビア SA-134。バックはフォア・コインズ、ワゴン・マスターズ。B面は小坂一也「口笛吹けば」)
  • 月は地球をまわってる/フラ・フープ・ソング (1958年11月。日本コロムビア SA-149。バックは堀威夫とスイング・ウエスト、東京メール・クワルテット)
  • 大学生のお姐ちゃん/銀座ブラブラ(1959年3月。日本コロムビア SA-166。バックは西条孝之助とウエスト・ライナーズ、A面のみクリスタル・シスターズ)
  • バリ島よいとこ (1959年5月。日本コロムビア SA-197。三木のり平との共演。B面は筑紫まり「青い真珠」)
  • 真夏の磯の昼下り (1959年8月。日本コロムビア SA-234。バックは堀威夫とスイング・ウエスト。A面は守屋浩「恋の渚」)
  • お姐ちゃんに任しとキ (1960年7月。日本コロムビア SA-420。中島そのみ・重山規子・団令子名義。バックは大森俊雄とスイング・ウエスト。B面は神戸一郎「海にゃ俺らの夢がある」)
  • ヤダモン/オー・ノー・ヤダモン (1967年。キング BS-755)
  • ヤダモン/オー・ノー・ヤダモン (1967年。東芝音楽工業 TC-1091)

CD

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  • フラ・フープ・ソング (1997年10月。Pヴァイン PCD-1562) *日本コロムビア時代の音源を網羅したコンピレーション

出演

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映画

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テレビドラマ

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テレビ人形劇

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テレビ特撮

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テレビアニメ

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CMソング

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脚注

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  1. ^ 野村宏平、冬門稔弐「1月2日 / 1月3日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、12頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 
  2. ^ 但馬オサム「ピー・プロワークス1 アニメ製作」『別冊映画秘宝電人ザボーガー』&ピー・プロ特撮大図鑑』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2011年11月14日、33頁。ISBN 978-4-86248-805-3 
  3. ^ トサカにくる:日本語俗語辞書

外部リンク

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