中村勝治
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中村 勝治 なかむら かつじ | |
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生年月日 | 1945年6月20日(79歳) |
出生地 | 鳥取県境港市 |
出身校 | 国士舘大学政経学部 |
前職 | 境港市職員 |
所属政党 | 無所属 |
称号 | 旭日小綬章 |
親族 | 父・中村実三(境港市議会議員) |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 2004年7月25日 - 2020年7月24日 |
中村 勝治(なかむら かつじ、1945年(昭和20年)6月20日[1] - )は、日本の政治家。元鳥取県境港市長(4期)。
経歴
[編集]鳥取県境港市生まれ。同市湊町在住[2]。鳥取県立境高等学校を経て、1968年3月、国士舘大学政経学部卒業[2]。日本電信電話公社に勤務する。1996年4月、境港市企画部次長[2]。1998年1月、境港市市民生活部次長[2]。同年12月、境港市市民生活部長[2]。2002年4月、境港市総務部長[2]。
2004年6月5日、境港市長の黒見哲夫が健康上の理由により辞職届を提出[3]。里見の辞職に伴い7月25日に行われた市長選挙に立候補し初当選した[4]。
2011年10月29日、全国豊かな海づくり大会レセプション出席のため、鳥取市へ向かう際に公用車が交通事故を起こし、腰骨骨折の重傷を負った[5]。
2016年の市長選で4期目の当選を果たした。
2020年境港市長選には出馬せず、退任。
家族・親族
[編集]中村家
[編集]- 大正8年(1919年)10月福井県丹生郡越前町に父壁伍吉の次男として生まれた[7]。昭和15年(1940年)6月現役兵として舞鶴海兵団入団[7]。新兵教育の後軍艦利根に乗組み東シナ海方面に出動する[7]。昭和16年(1941年)3月横須賀海軍航空隊に航空機整備技術練習生として入隊[7]。6ヶ月の教育終了後同航空隊に整備兵として軍務に従事するも11月南方へ出発、サイパン島を通過した辺りで大東亜戦争の開戦を知る[7]。マーシャル群島ヤール島到着、水上飛行機の整備に従事する[7]。昭和19年(1944年)3月厚木飛行場にて高等科整備術練習生として教育を受ける[7]。6月横須賀海軍航空隊転属[7]。11月鹿児島海軍航空隊転属[7]。昭和20年(1945年)3月美保航空隊転属[7]。美保基地に勤務の後美保航空自衛隊に入隊、昭和45年(1970年)3月退官[7]。その後同隊に職員として勤務、昭和55年(1980年)3月定年退職をなす[7]。
脚注
[編集]関連項目
[編集]公職 | ||
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先代 黒見哲夫 |
鳥取県境港市長 2004年 - 2020年 |
次代 伊達憲太郎 |