中沢春雄
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 茨城県常総市 |
生年月日 | 1946年4月13日(78歳) |
身長 体重 |
179 cm 70 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1970年 ドラフト3位 |
初出場 | 1971年4月10日 |
最終出場 | 1973年10月13日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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中沢 春雄(なかざわ はるお、1946年4月13日 - )は、茨城県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
来歴・人物
[編集]下妻第一高校から立教大学へ進学。東京六大学野球リーグでは1966年春季リーグで優勝を経験、しかしその後は優勝に届かなかった。4年時には主将をつとめ、三塁手、三番打者として活躍。同期のエース土井池憲治、捕手の田中鞆雅(日本石油)のバッテリーを擁し、1年下の望月充とクリーンアップを組み、低迷期の立大を支えた。
卒業後は1970年に本田技研工業へ入社し、同年の都市対抗に四番打者として出場。河本昭人らの好投もあり準々決勝に進むが、住友金属の山中正竹らに抑えられ、渡辺弘基(日産自動車から補強)のサヨナラ押し出し四球で延長11回サヨナラ負け[1]。同大会の優秀選手に選出された。この大会の南関東予選では首位打者となっている。この時のチームメートに黒田正宏、藤村哲也がいた。
1970年ドラフト会議で近鉄バファローズから3位指名を受け入団。1年目の1971年から一軍で起用され、同年10月には三塁手として初の先発出場を果たす。その後の2年間も、シーズン終盤の消化試合でそれぞれ1試合に先発するが、あまり活躍の場はなく1974年限りで引退した。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1971 | 近鉄 | 26 | 14 | 10 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 4 | 0 | .000 | .167 | .000 | .167 |
1972 | 8 | 9 | 8 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | .125 | .222 | .125 | .347 | |
1973 | 2 | 4 | 4 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .250 | .250 | .750 | 1.000 | |
通算:3年 | 36 | 27 | 22 | 7 | 2 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | 1 | 1 | 2 | 0 | 3 | 0 | 0 | 8 | 0 | .091 | .200 | .182 | .382 |
背番号
[編集]- 28 (1971年 - 1974年)
脚注
[編集]- ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年