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石渡茂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石渡 茂
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県川崎市中原区
生年月日 (1948-08-12) 1948年8月12日(76歳)
身長
体重
178 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手二塁手
プロ入り 1970年 ドラフト2位
初出場 1971年8月31日
最終出場 1985年10月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴

石渡 茂(いしわた しげる、1948年8月12日 - )は、神奈川県川崎市中原区[1]出身の元プロ野球選手内野手)。

経歴

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プロ入り前

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早実高では1966年夏の甲子園東京都予選準決勝に進出するが、辻正孝のいた修徳高に敗退。高校の1年上に大矢明彦荒川(出沢)尭がいた。卒業後は中央大学へ進学。東都大学野球リーグでは、1年生の時にエース宮本幸信を擁し1967年春季リーグで優勝、全日本大学野球選手権大会でも決勝で慶大を降し優勝した。1970年秋季に2度目の優勝を経験している。この時の主戦投手は同期の杉田久雄。在学中リーグ戦全試合に出場した。リーグ通算103試合出場、353打数86安打、打率.244、9本塁打、39打点。ベストナイン(遊撃手)2回。

現役時代

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1970年ドラフト2位で近鉄バファローズに入団[1]

1974年には遊撃手として58試合に先発出場。

1975年は開幕から一番打者に抜擢され、西村俊二に代り遊撃手のレギュラーに定着した[1]。同年は初めて規定打席(34位、打率.209)に到達。

1977年には全試合に出場し打率.285を記録、ベストテン9位に入った。同年は初のベストナインに選出されている。

1979年は打率.281(25位)、自己最多の11本塁打の好記録を残し、2度目のベストナインに選ばれる。広島東洋カープとの1979年の日本シリーズでは江夏豊スクイズプレイを外されたことで知られる(江夏の21球)。

1981年は開幕から打撃不振に陥り、レギュラーの座を吹石徳一に譲る。

1982年には定位置を奪還するが、森脇浩司の成長により出場機会は減少。

1983年開幕直前の3月、太田幸司と共に大石滋昭プラス金銭との交換トレードで読売ジャイアンツに移籍。主に右の代打要員や守備固めとして起用される。

1985年のシーズン前半には河埜和正に代り遊撃手として36試合に先発出場を果たす。しかしシーズン後半には岡崎郁が台頭し出場機会が減少、同年限りで現役を引退[1]

引退後

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現役引退後は近鉄のスカウトを長く務めた。

1996年から1999年まではチーフスカウトを務めた[1]

2000年から2004年までは二軍監督を務めた[1]

2005年福岡ソフトバンクホークスの球団職員(編成部長)となる。

2007年二軍監督に就任。

2008年にはウエスタン・リーグ優勝、ファーム日本一を達成。

2009年からはフロントに戻り、同年12月2日限りで一旦退団した。

2010年2月1日からソフトバンクで編成アドバイザーを務め、同年11月1日からは編成育成部長補佐兼国内担当チーフを務める[1]

2011年12月20日に、杉内俊哉の巨人へのFA移籍の責任をとって、取締役を辞任した小林至の後任として、編成育成部長となる。

2013年10月28日からは二軍監督に就任[2]

2014年ウエスタン・リーグ優勝。同年11月5日に今季限りで退団することが明らかになった[3]。12月26日に球団統括本部副本部長補佐に就任する[4]

2016年から三軍監督に就任することが発表された[5]。同年10月28日に三軍監督を退任[6]

2017年1月30日、国際担当アドバイザーに就任した[7]。同年12月27日退団[8]

2019年1月23日、ベースボール・チャレンジ・リーグ滋賀ユナイテッドベースボールクラブゼネラルマネージャーに就任することが発表された[9](現在は退団)。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1971 近鉄 5 3 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .000 .333 .000 .333
1973 21 35 32 3 7 0 0 1 10 2 2 2 0 0 3 0 0 4 0 .219 .286 .313 .598
1974 95 206 179 20 32 4 1 2 44 12 13 4 1 1 24 0 1 30 5 .179 .278 .246 .524
1975 122 415 363 34 76 16 0 2 98 24 7 2 19 0 31 0 2 58 3 .209 .275 .270 .545
1976 116 416 355 37 92 17 0 6 127 26 7 5 14 2 44 0 1 42 5 .259 .341 .358 .699
1977 130 555 508 57 145 22 3 4 185 48 16 6 10 8 27 0 2 48 12 .285 .319 .364 .683
1978 126 502 440 59 117 8 3 8 155 28 13 3 17 4 35 1 6 56 7 .266 .326 .352 .678
1979 121 443 395 51 111 21 1 11 167 45 10 0 12 0 35 0 1 35 11 .281 .341 .423 .764
1980 117 422 373 50 99 18 1 9 146 47 5 2 5 5 35 0 4 33 9 .265 .331 .391 .722
1981 59 144 131 16 25 4 1 2 37 13 6 0 1 0 11 0 1 14 3 .191 .259 .282 .541
1982 90 249 224 19 51 9 0 4 72 20 3 2 6 0 16 0 3 19 8 .228 .288 .321 .609
1983 巨人 52 77 68 4 11 2 0 1 16 4 1 0 2 1 5 0 1 11 1 .162 .227 .235 .462
1984 56 43 37 5 11 1 0 1 15 2 1 0 1 0 5 0 0 4 0 .297 .381 .405 .786
1985 66 130 102 9 23 1 0 2 30 9 0 0 5 3 19 3 1 19 5 .225 .344 .294 .638
通算:14年 1176 3640 3209 364 800 123 10 53 1102 280 84 26 93 24 291 4 23 373 69 .249 .314 .343 .657
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

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記録

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初記録
節目の記録
  • 1000試合出場:1982年10月7日 ※史上232人目
その他の記録

背番号

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  • 32 (1971年 - 1975年)
  • 6 (1976年 - 1982年)
  • 31 (1983年)
  • 27 (1984年 - 1985年)
  • 76 (2000年 - 2004年、2007年 - 2008年)
  • 82 (2014年)
  • 92 (2016年)

脚注

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  1. ^ a b c d e f プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、46ページ
  2. ^ 二軍監督及びコーチ人事について福岡ソフトバンクホークス公式サイト2013年10月28日配信
  3. ^ コーチの退団について福岡ソフトバンクホークス公式サイト2014年11月5日配信
  4. ^ ソフトB 石渡茂氏が副本部長補佐に就任 スポーツニッポン、2014年12月26日。
  5. ^ 三軍監督について 福岡ソフトバンクホークス公式サイト、2015年11月3日
  6. ^ コーチの退任について - 福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルサイト 2016年10月28日
  7. ^ 2017/01/30 プレスリリース 球団人事について”. 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト (2017年1月30日). 2017年5月13日閲覧。
  8. ^ 退団者について - 福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルサイト 2017年12月27日
  9. ^ GM、コーチ就任のお知らせ - 滋賀ユナイテッドベースボールクラブ(2019年1月23日)

関連項目

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外部リンク

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