1979年の日本シリーズ
1979年の日本シリーズ | |
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ゲームデータ | |
日本一 広島東洋カープ 初優勝 4勝3敗 | |
試合日程 | 1979年10月27日-11月4日 |
最高殊勲選手 | 高橋慶彦 |
敢闘賞選手 | 井本隆 |
チームデータ | |
広島東洋カープ(セ) | |
監督 | 古葉竹識 |
シーズン成績 | 67勝50敗13分(シーズン1位) |
近鉄バファローズ(パ) | |
監督 | 西本幸雄 |
シーズン成績 | 74勝45敗11分(前期1位・PO優勝) |
パリーグプレーオフ | |
1979年のパシフィック・リーグプレーオフ | |
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1979年の日本シリーズ(1979ねんのにっぽんシリーズ、1979ねんのにほんシリーズ)は、1979年10月27日から11月4日まで行われたセ・リーグ優勝チームの広島東洋カープとパ・リーグ優勝チームの近鉄バファローズによる第30回プロ野球日本選手権シリーズである。
概要
[編集]1975年以来2度目の出場となった古葉竹識監督率いる広島東洋カープと、プレーオフで阪急ブレーブスに3連勝し初出場となった西本幸雄監督率いる近鉄バファローズの対決は、日本シリーズ史上1975年の阪急対広島以来4年ぶり6度目の「どちらが勝っても初の日本一」となる対戦だったが[1]、広島が4勝3敗で球団創設以来初の日本一。MVPは7戦全試合で安打を放ち4割4分4厘、1本塁打、2得点の好成績を挙げた高橋慶彦が選ばれた[2]。
東海地方以西の球団同士となる日本シリーズは通算4回目で1975年以来4年ぶり。
第6戦までは全てホームチームが勝利という「内弁慶シリーズ」だったが(第7戦まで全てホームチームが勝利する「内弁慶シリーズ」は2003年が初)[3]、第7戦では後に「江夏の21球」と語り継がれる9回裏の攻防で球史に残る名場面を生んだ。山本浩二、栗橋茂ら主力打者が不振だった一方[4]、先発陣は山根和夫と井本隆がそれぞれ2勝、鈴木啓示も1勝止まりながら防御率0.95を記録した。
選手以外では、コーチとして仰木彬が近鉄ベンチ入りしている。
近鉄主管は日生球場または藤井寺球場で開くところだが、日生は収容人数が30,000人に満たず、藤井寺も当時はナイター設備がなかったため、当時南海ホークスの本拠地だった大阪球場を借りて行われた(プレーオフも同様)。同球場での日本シリーズは1973年以来6年ぶり。
なお、本シリーズにおける優勝球団である広島の総得点(17点)は近鉄(23点)より6点少ない。このように優勝球団の総得点が敗退球団のそれを下回った事例は同年を含め、2023年までに9度ある(直近は2022年 [5])が、本シリーズは敗退球団の総得点数が優勝球団のそれを最も大きく上回ったシリーズである[6]。
試合結果
[編集]日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
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10月27日(土) | 第1戦 | 広島東洋カープ | 2 - 5 | 近鉄バファローズ | 大阪球場 |
10月28日(日) | 第2戦 | 広島東洋カープ | 0 - 4 | 近鉄バファローズ | |
10月29日(月) | 移動日 | ||||
10月30日(火) | 第3戦 | 近鉄バファローズ | 2 - 3 | 広島東洋カープ | 広島市民球場 |
10月31日(水) | 第4戦 | 近鉄バファローズ | 3 - 5 | 広島東洋カープ | |
11月1日(木) | 第5戦 | 近鉄バファローズ | 0 - 1 | 広島東洋カープ | |
11月2日(金) | 移動日 | ||||
11月3日(土) | 第6戦 | 広島東洋カープ | 2 - 6 | 近鉄バファローズ | 大阪球場 |
11月4日(日) | 第7戦 | 広島東洋カープ | 4 - 3 | 近鉄バファローズ | |
優勝:広島東洋カープ(初優勝) |
第1戦
[編集]10月27日 大阪 入場者25121人
近鉄の先発は井本隆。広島は北別府学。
1回裏近鉄の先頭打者平野光泰のショートゴロを高橋慶彦がエラーしこれをきっかけに2死満塁のチャンスを作ると、羽田耕一が中前打を放ち2点先制。広島は2回に水谷実雄の適時打で1点を返す。4回裏近鉄は永尾泰憲の適時打で1点を追加。6回にも2番手の大野豊を攻め2死満塁とすると、代わった福士明夫から石渡茂が2点適時打を放ち[7]5-1。井本は9回に1点を失ったが結局完投し[8]、近鉄が1勝を挙げる。
公式記録関係(日本野球機構ページ)
第2戦
[編集]10月28日 大阪 入場者27848人
近鉄の先発は鈴木啓示。広島は山根和夫。
試合は鈴木と山根の投手戦となる。山根は5回まで近鉄打線をパーフェクトに抑えるが、対する攻撃陣が3回・4回・5回と立て続けにバント失敗→併殺打の拙攻でチャンスを作れない。7回裏、近鉄は小川亨が山根からチーム初安打を放ち、次打者のチャーリー・マニエルはツーボールとなり、ここで広島ベンチは山根に代えて江夏を投入する[9]。近鉄ベンチは打者走者の小川に変えて藤瀬史朗を代走に送る。マニエルは江夏から安打を放ち無死1、3塁とする。マニエルの代走に阿部成宏。近鉄は続く栗橋茂の代打クリス・アーノルドが中犠飛を放って1点先制。続く羽田が適時打でもう1点を追加。さらに有田修三が江夏から中越え2ランを放ち4-0[10]。
第2戦の先発に回された鈴木は、エースの意地で広島打線を4安打に抑えて完封勝利[11]。
公式記録関係(日本野球機構ページ)
第3戦
[編集]10月30日 広島 入場者29032人
先発は広島が池谷公二郎、近鉄は村田辰美。広島は不振の衣笠祥雄とエイドリアン・ギャレットがスタメン落ち。
近鉄は1回表に1死満塁から押し出し四球と併殺崩れで2点を先制。しかし広島は2回に水谷の本塁打で1点を返す。池谷も3回から立ち直り近鉄に追加点を許さない。広島は7回裏先頭の山崎隆造が二塁打を放つ。ライトルの2塁ゴロで1死3塁となり、続く代打萩原康弘がカウント2-0と追い込まれるが続く3球目の内角球を死球[12]。1死1・3塁から代打内田順三の適時打で同点に追いつく。ここで近鉄はストッパーの山口哲治を投入するが、途中出場のギャレットが適時打を放ち逆転[13]。このシリーズ初めてリードを奪った広島は8回から江夏を投入。江夏は8回のピンチを三振併殺で切り抜けると9回も抑え、広島がシリーズ通算9戦目で初勝利を挙げた。
公式記録関係(日本野球機構ページ)
第4戦
[編集]10月31日 広島 入場者29057人
近鉄は第1戦完投勝利の井本、一方広島はこの年、松原明夫から改名した福士。シリーズでの先発は南海時代の1973年第3戦以来。近鉄はここまで無安打の平野がスタメン落ち、石渡も腰痛で戦線離脱。
近鉄は3回にマニエルの2ランで先制。しかし広島は4回裏、無死1・3塁から山本浩二が右翼への浅い飛球を放つも、マニエルの本塁送球が逸れて山崎が生還。さらにこの送球の間に1塁走者の三村敏之も2塁へ。これで楽になった次打者の水谷は左越えに逆転2ランを放つ。7回裏、連投の村田が2死3塁のピンチを招くと西本監督は山口を連日のリリーフ起用。しかしその代わり端を高橋が叩き右越え2ランで突き放す。福士は9回に有田修にソロ本塁打を浴びるも完投勝利。シーズン途中から日本シリーズを見据えて調整を続けており、この日の投球を「100点満点の1000点」と自賛した[14]。
公式記録関係(日本野球機構ページ)
第5戦
[編集]11月1日 広島 入場者29090人
先発は広島山根、近鉄鈴木と第2戦と同じ顔合わせ。試合は第2戦同様投手戦となった。広島は6回裏、先頭の山根が中前打で出塁、その後2死2塁とすると三村は右方向へ大飛球を打ち上げる。マニエルは懸命に追ったが打球はその頭上を越え山根が生還[15]。山根は近鉄打線を2安打に抑え完封、第2戦の雪辱を果たした。広島が2連敗の後地元で3連勝し、日本一に王手をかけた。なおこの試合、衣笠の出番はなかった[16]。
公式記録関係(日本野球機構ページ)
第6戦
[編集]11月3日 大阪 入場者27813人
近鉄は第4戦でKOされた井本が志願の中2日での先発[17]。一方広島の先発は池谷。近鉄は4番にアーノルド、5番に梨田昌崇を起用、石渡がスタメンに復帰。
広島が1回表に三村の右越え本塁打で先制。近鉄は2回裏に1死1・3塁から平野の一ゴロで同点とすると、3回にもマニエルの適時打と梨田の2ランで3点を勝ち越した。4回にも平野の犠飛で1点を追加すると、6回には無死1・3塁から平野がスクイズで6-1とした。平野はこの試合で先発出場するも3打席無安打でシリーズ新記録となる20打席連続無安打となったが、3打点を挙げ活躍。井本は9回に山本にソロ本塁打を浴びるも気迫で完投勝利、シリーズを3勝3敗のタイに持ち込んだ。
公式記録関係(日本野球機構ページ)
第7戦
[編集]11月4日 大阪 入場者24376人
第7戦は広島が山根、近鉄は鈴木。両者とも中2日での先発。
広島は1回表、高橋の右前打をマニエルが後逸、無死3塁とするとスタメン復帰の衣笠が適時打を放ち先制。さらに3回にも水谷の適時打で2-0とする。近鉄は5回裏、1死2塁から21打席連続無安打の平野がシリーズ初安打となる1号2ランを放ち同点。しかし広島は6回表、2死から萩原が安打で出塁すると続く水沼四郎が左越え2ランを放ち4-2と勝ち越し。近鉄は6回裏1死2・3塁から羽田の三ゴロで1点を返す。その後、広島は7回2死から江夏を投入、近鉄も1点ビハインドの8回から山口を登板させる総力戦。
そして9回裏、近鉄は先頭の羽田が中前打で出塁。アーノルドの打席で代走の藤瀬が盗塁を試みると、捕手水沼の送球が逸れ無死3塁。その後アーノルドが四球で出塁し、代走の吹石徳一が盗塁。広島は満塁策を取り、平野を敬遠して無死満塁となる。近鉄は代打に佐々木を起用するが三振。続く石渡の打席で近鉄ベンチはスクイズを敢行するが、江夏はスローカーブでこれを外し藤瀬が本塁手前で憤死。その後石渡も空振り三振に倒れ、ここに広島の初の日本一が決定した。
なお、球審の前川芳男が後年に語ったところによると、9回の時点で雨が降っていたため、もし9回終了時点で同点となった場合はコールドゲームとして翌日に再試合を行うことが検討されていた[18]。
公式記録関係(日本野球機構ページ)
表彰選手
[編集]- 最優秀選手賞、打撃賞:高橋慶彦 (広)
なお、本来MVP受賞者にはトヨタ自動車協賛の乗用車が贈られるが、カープの資本関係上東洋工業協賛のものが贈呈された。
翌年からは優秀選手賞に一本化されたため、日本シリーズでの打撃賞、最優秀投手賞、技能賞の表彰はこの年が最後となった。
テレビ・ラジオ中継
[編集]テレビ中継
[編集]- 第1戦:10月27日
- 第2戦:10月28日
- 朝日放送≪ANN系列≫ 実況:安部憲幸(ABC) 解説:皆川睦雄 ゲスト解説:広岡達朗
- 第3戦:10月30日
- 第4戦:10月31日
- 第5戦:11月1日
- 第6戦:11月3日
- 第7戦:11月4日
ラジオ中継
[編集]- 第1戦:10月27日
- 第2戦:10月28日
- 第3戦:10月30日
- 第4戦:10月31日
- 第5戦:11月1日
- 第6戦:11月3日
- 第7戦:11月4日
- NHKラジオ第1 実況:島村俊治 解説:加藤進、川上哲治
- 2020年6月6日に放送された特別番組『ラジオが伝えたプロ野球名勝負・名場面』では、広島のベンチに入っていた大野豊(NHK野球解説者)のコメントを交えながら、この試合の実況を収録した音源から「江夏の21球」に該当するシーンを全球にわたって再生した。
- TBSラジオ(JRN・朝日放送制作) 解説:小山正明 ゲスト解説:江本孟紀
- 文化放送(NRN・毎日放送制作) 実況:三宅定雄 (毎日放送) 解説:宅和本司、米田哲也 ゲスト解説:中西太
- ニッポン放送 実況:宮田統樹 解説:関根潤三
- ラジオ大阪 解説:辻佳紀、清俊彦
- NHKラジオ第1 実況:島村俊治 解説:加藤進、川上哲治
出典
[編集]- ^ 他第1回毎日オリオンズ対松竹ロビンス、第2回読売ジャイアンツ対南海ホークス、第4回中日ドラゴンズ対西鉄ライオンズ、第13回東映フライヤーズ対阪神タイガース
- ^ 報知新聞1979年11月5日1面「やったぜ車と百万円 高橋慶 『最高の年です』一流の階段かけ上がる」
- ^ 日刊スポーツ1979年11月4日15面「あなたの社会部 なんでこうなるの!?近・広決戦 変ですネ 内弁慶シリーズ」
- ^ 日刊スポーツ1979年11月3日3面「どん底シリーズ 山本浩 衣笠 栗橋 平野 4人で1安打!」
- ^ "【データ】総得点はオリックス「22」-ヤクルト「23」最多38人継投で守り切って日本一". 日刊スポーツ. 日刊スポーツNEWS. 30 October 2022. 2024年10月26日閲覧。
- ^ 宇根夏樹「両球団の総得点差が大きかった日本シリーズ。20得点以上の差は過去3度。今年はその4度目になる!?」『Yahoo!ニュース』ヤフー、2020年11月25日。オリジナルの2022年4月26日時点におけるアーカイブ。2022年4月26日閲覧。
- ^ 読売新聞1979年10月28日17面「言葉うわずる石渡」読売新聞縮刷版1979年10月p1063
- ^ 読売新聞1979年10月28日17面「SBO 山口の助け借りぬ!」読売新聞縮刷版1979年10月p1063
- ^ 読売新聞1979年10月29日17面「広島いぜん片目開かず」読売新聞縮刷版1979年10月p1095
- ^ 読売新聞1979年10月29日17面「SBO あの球を打つとは・・必ずお返しを 江夏」読売新聞縮刷版1979年10月p1095
- ^ 読売新聞1979年10月29日「アングル オレはエース、勝負だ 鈴木“セの主砲”山本浩を仕とめる」読売新聞縮刷版1979年10月p1095
- ^ 読売新聞10月31日17面「SBO 若ゴイ山崎、起爆の長打 プロ3年目、スイッチ実る」読売新聞縮刷版1979年10月p1175
- ^ 読売新聞1979年10月31日17面「右投手攻略はボクの役割ネ G砲ニンマリ」読売新聞縮刷版1979年10月p1175
- ^ 中国新聞1979年11月1日14面「福士 一球入魂の快投 自分で『満点です』初戦の屈辱 見事晴らす」
- ^ 報知新聞1979年11月2日2面「不安的中 一番弱いところマニエルへ球が・・」
- ^ 報知新聞1979年11月2日3面「衣笠ついに出番なし」
- ^ 報知新聞1979年11月4日1面「日本一へ燃える男の詩 井本隆 大舞台・救援(初出場)の経験実る」
- ^ 報知新聞公式ブログ「ブログ報知」2012年11月20日発信「捕手たちに育てられた昔の審判員(第708回)」
関連項目
[編集]- 1979年のパシフィック・リーグプレーオフ
- 1980年の日本シリーズ - この年と同じ顔合わせだったが、近鉄主管はこの年と同じく大阪球場での開催だった。
- 2003年の日本シリーズ - 全ての試合でホームが勝った初の内弁慶シリーズ
- 江夏の21球
外部リンク
[編集]- NPB公式記録 - NPB.jp 日本野球機構
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
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優勝 | 広島東洋カープ | 2位 | 横浜大洋ホエールズ | 優勝 | 近鉄バファローズ | 2位 | 阪急ブレーブス |
3位 | 中日ドラゴンズ | 4位 | 阪神タイガース | 3位 | 日本ハムファイターズ | 4位 | ロッテオリオンズ |
5位 | 読売ジャイアンツ | 6位 | ヤクルトスワローズ | 5位 | 南海ホークス | 6位 | 西武ライオンズ |
:日本一 :前期優勝・日本シリーズ出場 :後期優勝(パ・リーグ) | |||||||