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エイドリアン・ギャレット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エイドリアン・ギャレット
Adrian Garrett
アトランタ・ブレーブス時代(1966年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 フロリダ州ブルックスビル
生年月日 (1943-01-03) 1943年1月3日
没年月日 (2021-04-22) 2021年4月22日(78歳没)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手一塁手捕手
プロ入り 1961年
初出場 MLB / 1966年4月13日
NPB / 1977年4月2日
最終出場 MLB / 1976年7月11日
NPB / 1979年11月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

ヘンリー・エイドリアン・ギャレット・ジュニアHenry Adrian Garrett Jr. , 1943年1月3日 - 2021年4月22日)は、アメリカ合衆国フロリダ州ブルックスビル出身の元プロ野球選手外野手)。

中日ドラゴンズでプレーしたウェイン・ギャレットは実弟。

経歴

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1961年ミルウォーキー・ブレーブスと契約。1966年メジャー初昇格を果たすが、4試合のみの出場に終わり、すぐにマイナーリーグ降格となる。

1970年シカゴ・カブスでメジャー再昇格を果たす。その後、1971年オークランド・アスレチックス1973年にシカゴ・カブス、1975年カリフォルニア・エンゼルスと渡り歩くものの、シーズンの大半をマイナーリーグで過ごす。

サンディエゴ・パドレス傘下AAA級ハワイ・アイランダースから1977年広島東洋カープへ入団。同年は35本塁打を放ち、翌1978年には広島所属の外国人選手としては初のシーズン40本塁打を記録するなど長距離砲として活躍した。開幕からハイペースで本塁打を量産し、4月には当時の日本プロ野球タイ記録の月間15本塁打を記録[1]。また4月4日の4試合目での5号本塁打と、4月13日の11試合目での9号から5月25日までの25試合目での17号本塁打までは、それまでのシーズン本塁打最短試合達成の日本プロ野球記録を更新した[2]また、同年に広島市民球場で行われたオールスターゲームでは1試合3本塁打を放ち、最優秀選手を獲得している。外野手を本職としたが、緊急時には捕手として12試合出場するなど器用な面も見せた。チームメイトにも「日本人以上に義理と人情が分かる男」と信頼を得ていた。

2002年広島県呉市呉二河球場で開催された日米OBドリームゲームでMVPを獲得した。

引退後の1982年からシカゴ・ホワイトソックス傘下の打撃コーチを皮切りに、1988年から1992年までカンザスシティ・ロイヤルズの三塁コーチ兼打撃コーチを務めた。その後、フロリダ・マーリンズ傘下のコーチを経て2003年から2012年までシンシナティ・レッズ傘下のAAA級ルイビルでコーチを務めた。退任後はスプリングトレーニングやドラフト後のミニキャンプなどで招聘されるパートタイプのコーチを2015年まで務めるなど、長きに渡ってコーチ業を行っていた。

2021年4月22日、肺炎のため死去[3]。78歳没。

人物

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野球一家で、弟のウェインもMLBNPBでプレーし、末弟のチャーリーもアトランタ・ブレーブスマイナーでプレーした。また、息子のジェイソンもフロリダ・マーリンズに指名され、4年間マイナーでプレーした。

広島時代、同じ年に広島に入団したジム・ライトルと自分の名前とを合わせて「ギャートルズ」と呼ばれていた。この呼び名を付けたのは当時の広島のチームメイトであった衣笠祥雄である[4]

当時のNPB選手としては巨体であったギャレットが日本人用のプロテクターを付けるとランドセルを背負っているように見えたとも伝わる[5]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1966 ATL 4 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
1970 CHC 3 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000
1971 OAK 14 26 21 1 3 0 0 1 6 2 0 0 0 0 5 1 0 7 0 .143 .308 .286 .593
1972 14 12 11 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 4 0 .000 .083 .000 .083
1973 CHC 36 60 54 7 12 0 0 3 21 8 1 0 0 2 4 1 0 18 1 .222 .267 .389 .656
1974 10 9 8 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 1 .000 .111 .000 .111
1975 16 23 21 1 2 0 0 1 5 6 0 0 0 1 1 0 0 8 0 .095 .130 .238 .369
CAL 37 123 107 17 28 5 0 6 51 18 3 0 1 1 14 0 0 28 0 .262 .344 .477 .821
'75計 53 146 128 18 30 5 0 7 56 24 3 0 1 2 15 0 0 36 0 .234 .310 .438 .748
1976 29 54 48 4 6 3 0 0 9 3 0 0 0 1 5 0 0 16 2 .125 .204 .188 .391
1977 広島 128 509 445 64 124 19 0 35 248 91 1 3 0 6 57 13 1 103 6 .279 .358 .557 .915
1978 130 543 462 76 125 9 0 40 254 97 2 4 0 1 72 10 8 104 17 .271 .378 .550 .927
1979 126 460 395 53 89 9 2 27 183 59 3 3 0 4 57 6 4 90 16 .225 .326 .463 .789
MLB:8年 163 313 276 30 51 8 0 11 92 37 4 0 1 5 31 2 0 87 4 .185 .263 .333 .596
NPB:3年 384 1512 1302 193 338 37 2 102 685 247 6 10 0 11 186 29 13 297 39 .260 .355 .526 .881

表彰

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NPB

記録

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NPB

背番号

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  • 18 (1966年)
  • 23 (1970年)
  • 3 (1971年 - 1972年)
  • 25 (1973年)
  • 5 (1974年、1977年 - 1979年)
  • 28 (1975年 - 同年途中)
  • 10 (1975年途中 - 1976年)

脚注

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  1. ^ ベースボールマガジン社刊「広島東洋カープ60年史 HISTORY 1950-2009」53ページ
  2. ^ 講談社刊 宇佐美徹也著「日本プロ野球記録大鑑」417ページ
  3. ^ "元広島のギャレット氏が死去、78歳 70年代後半広島黄金時代支える". ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. 24 April 2021. 2021年4月24日閲覧
  4. ^ よみがえる1970年代のプロ野球 別冊ベースボール Part4 1977年編(ベースボール・マガジン社、2022年4月刊)p.88
  5. ^ 外国人捕手はなぜ少ない?中日アリエル・マルティネスにかかる期待 FRIDAY DIGITAL 2020年07月09日 (2020年11月22日閲覧)

関連項目

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外部リンク

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