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1953年の日本シリーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
NPB 1953年の日本シリーズ
ゲームデータ
日本一
読売ジャイアンツ
3年連続3回目
4勝2敗1分
試合日程 1953年10月10日-10月16日
最高殊勲選手 川上哲治
敢闘賞選手 簑原宏
チームデータ
読売ジャイアンツ()
監督 水原茂
シーズン成績 87勝37敗1分(シーズン1位) 
南海ホークス()
監督 山本一人
シーズン成績 71勝48敗1分(シーズン1位)
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1953年の日本シリーズ(1953ねんのにっぽんシリーズ、1953ねんのにほんシリーズ)は、1953年10月10日から10月16日まで行われた第4回プロ野球日本選手権シリーズである。水原茂監督率いる読売ジャイアンツ山本一人監督率いる南海ホークスとの3年連続同一カードによると対決となり、10月に後楽園球場大阪球場甲子園球場で行われた。

概要

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巨人は独走状態でセ・リーグを勝ち上がり、対する南海は首位が28回も入れ替わるという史上まれに見る大混戦のパ・リーグを勝ち上がっての対決で、3年連続「巨人-南海」の同一カードだった。

この年、日本シリーズ終了後に行われる日米野球の影響から、大阪→東京→大阪/西宮→東京と3度の長距離移動があったにもかかわらず移動日が無い[1]というハードなシリーズだった(第3戦が引き分けとなったことにより、第7戦で南海が勝利して3勝3敗となった場合は、第8戦は11月にずれ込むことになっていた)。また、巨人軍は日本シリーズ前に、国鉄スワローズとのレギュラーシーズンリーグ5試合を消化しないままでそれに突入したが、上記の日米野球の日程の都合により空きスケジュールが調整できなかったことと、この段階でリーグ戦順位が確定したこともあって、この5試合は延期せず、ペナントレースを打ち切った。

甲子園球場で行われた第6戦の入場者数6346人は、日本シリーズ史上最少入場者数である。

試合結果

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1953年 日本ワールドシリーズ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月10日(土) 第1戦 読売ジャイアンツ 3 - 4 南海ホークス 大阪球場
10月11日(日) 第2戦 読売ジャイアンツ 5 - 3 南海ホークス
10月12日(月) 第3戦 南海ホークス 2 - 2 読売ジャイアンツ 後楽園球場
10月13日(火) 第4戦 南海ホークス 0 - 3 読売ジャイアンツ
10月14日(水) 第5戦 読売ジャイアンツ 5 - 0 南海ホークス 大阪球場
10月15日(木) 第6戦 読売ジャイアンツ 0 - 2 南海ホークス 甲子園球場
10月16日(金) 第7戦 南海ホークス 2 - 4 読売ジャイアンツ 後楽園球場
優勝:読売ジャイアンツ(3年連続3回目)

第1戦

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10月10日 大阪球場 入場者数:24913人(延長12回)

巨人 0 1 0 0 0 0 1 0 1 0 0 0 3
南海 2 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1x 4
(巨) 大友、●別所(1敗) - 広田、楠
(南) 大神、○柚木(1勝) - 松井、筒井

[審判]パ二出川(球)セ筒井、パ横沢、セ津田(塁)パ浜崎、セ円城寺(外)


公式記録関係(日本野球機構ページ)

第2戦

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10月11日 大阪球場 入場者数:30524人

巨人 0 1 0 0 0 0 4 0 0 5
南海 0 0 0 0 1 1 0 1 0 3
(巨) ○藤本(1勝)、中尾 - 広田
(南) ●中村(1敗)、藤江 - 松井、筒井
本塁打
(巨) 与那嶺1号2ラン(7回中村)、千葉1号ソロ(7回中村)、南村1号ソロ(7回中村)
(南) 飯田1号ソロ(8回藤本)

[審判]セ(球)パ上田、セ津田、パ横沢(塁)セ筒井、パ浜崎(外)


公式記録関係(日本野球機構ページ)

第3戦

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10月12日 後楽園球場 入場者数:22546人(9回降雨コールド引き分け)

南海 0 0 1 0 0 0 0 1 2
巨人 1 0 0 0 1 0 0 0 2
(南) 中原、大神 - 松井、筒井
(巨) 別所 - 広田
本塁打
(南) 中原1号ソロ(3回別所)

[審判]パ二出川(球)セ津田、パ横沢、セ円城寺(塁)パ上田、セ筒井(外)


公式記録関係(日本野球機構ページ)

第4戦

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10月13日 後楽園球場 入場者数:25953人

南海 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
巨人 0 1 0 0 2 0 0 0 X 3
(南) ●中谷(1敗)、藤江、小畑 - 松井、筒井
(巨) ○ 大友 (1勝) - 広田

[審判]セ島(球)パ上田、セ筒井、パ横沢(塁)セ円城寺、パ浜崎(外)


公式記録関係(日本野球機構ページ)

第5戦

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10月14日 大阪球場 入場者数:21652人

巨人 1 0 0 1 0 0 0 0 2 1 5
南海 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
(巨) ○ 入谷(1勝) - 広田
(南) ●柚木(1勝1敗)、中村 - 筒井
本塁打
(巨) 岩本1号ソロ(9回中村)

[審判]パ二出川(球)セ筒井、パ浜崎、セ円城寺(塁)パ上田、セ津田(外)


公式記録関係(日本野球機構ページ)

第6戦

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10月15日 甲子園球場 入場者数:6346人

巨人 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
南海 0 0 2 0 0 0 0 0 X 2
(巨) ●藤本(1勝1敗)、中尾 - 広田
(南) ○大神 (1勝) - 松井

[審判]セ島(球)パ横沢、セ円城寺、パ上田(塁)セ津田、パ浜崎(外)


公式記録関係(日本野球機構ページ)

第7戦

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10月16日 後楽園球場 入場者数:21332人

南海 0 0 0 0 0 2 0 0 0 2
巨人 1 0 0 0 0 0 3 0 X 4
(南) 小畑、●大神 (1勝1敗)、中原、藤江 - 松井
(巨) 別所、○大友(2勝) - 広田
本塁打
(南) 松井1号ソロ(6回別所)、木塚1号ソロ(6回別所)

[審判]パ二出川(球)セ津田、パ横沢、セ筒井(塁)パ浜崎、セ円城寺(外)


公式記録関係(日本野球機構ページ)

テレビ・ラジオ中継

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テレビ中継

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この年の2月1日NHKがテレビ本放送を開始し、続いて8月28日日本テレビが開局した。日本テレビは開局翌日の8月29日読売ジャイアンツ大阪タイガース戦の模様を後楽園球場から中継しプロ野球中継の幕が明けた。そして10月の日本選手権シリーズも第3戦を除いてテレビ放映されることとなった。

なお、大阪府ではまだこの時はテレビ放送は行われていなかった(NHK大阪放送局は翌1954年3月1日にテレビ本放送開始。民放の大阪テレビ開局は1956年まで待たなけならばなかった)。

ラジオ中継

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脚注

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  1. ^ 当時はまだ東海道新幹線が開業する前で、東海道本線も全線電化前のため、東京-大阪間は最速列車ですら所要時間片道8時間で、航空便も日本航空東京-大阪間をダグラス DC-4で所要片道約2時間、1日僅か4往復を運行するのみだった。

関連項目

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外部リンク

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