1953年の大阪タイガース
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1953年の大阪タイガース | |
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成績 | |
セントラル・リーグ2位 | |
74勝56敗 勝率.569[1] | |
本拠地 | |
都市 | 兵庫県西宮市 |
球場 | 甲子園球場 |
球団組織 | |
オーナー | 野田誠三 |
経営母体 | 阪神電気鉄道 |
監督 | 松木謙治郎 |
« 1952 1954 » |
1953年の大阪タイガース(1953ねんのおおさかタイガース)では、1953年シーズンの大阪タイガースの動向をまとめる。
この年の大阪タイガースは、松木謙治郎監督の4年目のシーズンである。
概要
[編集]前年に巨人の2連覇こそ許したものの、3.5ゲーム差の2位で終えた松木監督はディフェンス陣の強化を図るべく、立命館大学中退の吉田義男が入団。また藤村隆男や梶岡忠義に頼る投手陣の若返りのため、1962年の優勝に貢献する小山正明が加入。ルーキーの吉田は白坂長栄から遊撃のポジションを奪い、吉田の加入で白坂が二塁に入ることになり、そのあおりで二塁手だった河西俊雄(後にスカウトとして名をはせる)が控えに回ることになった。もう一人のルーキー小山は打撃投手として一軍の練習に帯同していたが、松木監督のすすめもあり後半戦からはローテに入って5勝をあげる活躍を見せた。新戦力の加入にベテラン陣も刺激を受けたのかチームは開幕からまずまずの成績をあげたが、最後は巨人の3連覇を許して2年連続の2位でシーズンを終えた。
また、この年の7月23日に初のナイターが行われたが、甲子園球場にはナイター施設が無く、補助球場の大阪球場で行われた。しかし3度に渡るトラブルが起き、これが1年2日後の1954年7月25日に起きた放棄試合へつながる事になる。
チーム成績
[編集]レギュラーシーズン
[編集]1 | 三 | 与儀真助 |
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2 | 二 | 白坂長栄 |
3 | 左 | 小島勝治 |
4 | 一 | 藤村富美男 |
5 | 中 | 田宮謙次郎 |
6 | 右 | 渡辺博之 |
7 | 遊 | 吉田義男 |
8 | 捕 | 徳網茂 |
9 | 投 | 藤村隆男 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | ||||||
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1位 | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- |
2位 | 名古屋 | 2.5 | 名古屋 | 3.0 | 名古屋 | 3.5 | 名古屋 | 5.5 | 名古屋 | 7.5 | 大阪 | 16.0 |
3位 | 洋松 | 4.5 | 大阪 | 6.0 | 大阪 | 5.5 | 大阪 | 8.0 | 大阪 | 9.5 | 名古屋 | 18.5 |
4位 | 大阪 | 5.0 | 洋松 | 11.0 | 広島 | 13.5 | 広島 | 16.5 | 広島 | 18.0 | 広島 | 36.0 |
5位 | 国鉄 | 9.0 | 広島 | 12.5 | 洋松 | 16.0 | 洋松 | 17.5 | 洋松 | 23.5 | 洋松 | 37.5 |
6位 | 広島 | 9.0 | 国鉄 | 21.5 | 国鉄 | 24.5 | 国鉄 | 30.5 | 国鉄 | 31.5 | 国鉄 | 42.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 87 | 37 | 1 | .702 | 優勝 |
2位 | 大阪タイガース | 74 | 56 | 0 | .569 | 16.0 |
3位 | 名古屋ドラゴンズ | 70 | 57 | 3 | .551 | 18.5 |
4位 | 広島カープ | 53 | 75 | 2 | .414 | 36.0 |
5位 | 大洋松竹ロビンス | 52 | 77 | 1 | .403 | 37.5 |
6位 | 国鉄スワローズ | 45 | 79 | 1 | .363 | 42.0 |
オールスターゲーム1953
[編集]→詳細は「1953年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
コーチ | ファン投票 | 監督推薦 |
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松木謙治郎 | 選出なし | 藤村隆男 梶岡忠義 徳網茂 藤村富美男 金田正泰 |
できごと
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- 5回裏、白坂長栄の二塁ゴロをめぐって、巨人二塁手・千葉茂と一塁走者の大阪・金田正泰が激突。審判の判定は「金田の守備妨害」だが、これに金田が抗議、スタンドからも大阪ファンからの空き缶投げがあった。
- 7回表、巨人の攻撃で打者・千葉が大阪投手・藤村隆男から左ひざにデッドボール。「5回の報復」だと金田がマウンドへ歩み寄る。
- 9回裏、一死後、金田正泰が右中間に大飛球、巨人センター・与那嶺要は飛球をキャッチし、ランナー・田宮謙次郎は戻れずアウトでダブルプレー、ゲームセット。これに対し松木監督は「フェンスに当たってから捕球した」と猛抗議、ファンがグラウンドへ雪崩降りる大トラブルに。
選手・スタッフ
[編集]表彰選手
[編集]リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
藤村富美男 | 本塁打王 | 27本 | 4年ぶり3度目 |
打点王 | 98打点 | 4年ぶり5度目 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
与儀真助 | 三塁手 | 初受賞 |
金田正泰 | 外野手 | 2年ぶり3度目 |
出典
[編集]- ^ “年度別成績 1953年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年4月30日閲覧。
- ^ “阪神・中野、新人遊撃手100安打到達 球団では吉田義男以来68年ぶり”. デイリースポーツ (2021年9月22日). 2021年9月22日閲覧。
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
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優勝 | 読売ジャイアンツ | 2位 | 大阪タイガース | 優勝 | 南海ホークス | 2位 | 阪急ブレーブス |
3位 | 名古屋ドラゴンズ | 4位 | 広島カープ | 3位 | 大映スターズ | 4位 | 西鉄ライオンズ |
5位 | 大洋松竹ロビンス | 6位 | 国鉄スワローズ | 5位 | 毎日オリオンズ | 6位 | 東急フライヤーズ |
7位 | 近鉄パールス | ||||||
:日本一 :日本シリーズ出場 | |||||||