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1953年の大阪タイガース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1953年の大阪タイガース
成績
セントラル・リーグ2位
74勝56敗 勝率.569[1]
本拠地
都市 兵庫県西宮市
球場 甲子園球場
球団組織
オーナー 野田誠三
経営母体 阪神電気鉄道
監督 松木謙治郎
« 1952
1954 »

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1953年の大阪タイガース(1953ねんのおおさかタイガース)では、1953年シーズンの大阪タイガースの動向をまとめる。

この年の大阪タイガースは、松木謙治郎監督の4年目のシーズンである。

概要

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前年に巨人の2連覇こそ許したものの、3.5ゲーム差の2位で終えた松木監督はディフェンス陣の強化を図るべく、立命館大学中退の吉田義男が入団。また藤村隆男梶岡忠義に頼る投手陣の若返りのため、1962年の優勝に貢献する小山正明が加入。ルーキーの吉田は白坂長栄から遊撃のポジションを奪い、吉田の加入で白坂が二塁に入ることになり、そのあおりで二塁手だった河西俊雄(後にスカウトとして名をはせる)が控えに回ることになった。もう一人のルーキー小山は打撃投手として一軍の練習に帯同していたが、松木監督のすすめもあり後半戦からはローテに入って5勝をあげる活躍を見せた。新戦力の加入にベテラン陣も刺激を受けたのかチームは開幕からまずまずの成績をあげたが、最後は巨人の3連覇を許して2年連続の2位でシーズンを終えた。

また、この年の7月23日に初のナイターが行われたが、甲子園球場にはナイター施設が無く、補助球場の大阪球場で行われた。しかし3度に渡るトラブルが起き、これが1年2日後の1954年7月25日に起きた放棄試合へつながる事になる。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー
1 与儀真助
2 白坂長栄
3 小島勝治
4 藤村富美男
5 田宮謙次郎
6 渡辺博之
7 吉田義男
8 徳網茂
9 藤村隆男
1953年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 名古屋 2.5 名古屋 3.0 名古屋 3.5 名古屋 5.5 名古屋 7.5 大阪 16.0
3位 洋松 4.5 大阪 6.0 大阪 5.5 大阪 8.0 大阪 9.5 名古屋 18.5
4位 大阪 5.0 洋松 11.0 広島 13.5 広島 16.5 広島 18.0 広島 36.0
5位 国鉄 9.0 広島 12.5 洋松 16.0 洋松 17.5 洋松 23.5 洋松 37.5
6位 広島 9.0 国鉄 21.5 国鉄 24.5 国鉄 30.5 国鉄 31.5 国鉄 42.0


1953年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 読売ジャイアンツ 87 37 1 .702 優勝
2位 大阪タイガース 74 56 0 .569 16.0
3位 名古屋ドラゴンズ 70 57 3 .551 18.5
4位 広島カープ 53 75 2 .414 36.0
5位 大洋松竹ロビンス 52 77 1 .403 37.5
6位 国鉄スワローズ 45 79 1 .363 42.0

オールスターゲーム1953

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コーチ ファン投票 監督推薦
松木謙治郎 選出なし 藤村隆男
梶岡忠義
徳網茂
藤村富美男
金田正泰

できごと

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吉田義男が新人遊撃手として100安打を達成[2]

  1. 5回裏、白坂長栄の二塁ゴロをめぐって、巨人二塁手・千葉茂と一塁走者の大阪・金田正泰が激突。審判の判定は「金田の守備妨害」だが、これに金田が抗議、スタンドからも大阪ファンからの空き缶投げがあった。
  2. 7回表、巨人の攻撃で打者・千葉が大阪投手・藤村隆男から左ひざにデッドボール。「5回の報復」だと金田がマウンドへ歩み寄る。
  3. 9回裏、一死後、金田正泰が右中間に大飛球、巨人センター・与那嶺要は飛球をキャッチし、ランナー・田宮謙次郎は戻れずアウトでダブルプレー、ゲームセット。これに対し松木監督は「フェンスに当たってから捕球した」と猛抗議、ファンがグラウンドへ雪崩降りる大トラブルに。

選手・スタッフ

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表彰選手

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リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
藤村富美男 本塁打王 27本 4年ぶり3度目
打点王 98打点 4年ぶり5度目
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
与儀真助 三塁手 初受賞
金田正泰 外野手 2年ぶり3度目

出典

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  1. ^ 年度別成績 1953年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年4月30日閲覧。
  2. ^ 阪神・中野、新人遊撃手100安打到達 球団では吉田義男以来68年ぶり”. デイリースポーツ (2021年9月22日). 2021年9月22日閲覧。