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1953年の阪急ブレーブス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1953年の阪急ブレーブス
成績
パシフィック・リーグ2位
67勝52敗1分 勝率.563[1]
本拠地
都市 兵庫県西宮市
球場 阪急西宮球場
球団組織
オーナー 小林一三
経営母体 京阪神急行電鉄
監督 浜崎真二
« 1952
1954 »

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1953年の阪急ブレーブスでは、1953年の阪急ブレーブスの動向をまとめる。

この年の阪急ブレーブスは、浜崎真二監督の7年目(途中就任の1947年含む)のシーズンである。

概要

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浜崎監督が就任して7年、ビジターを戦前使用された「紺地にH」を復活[2]、チームは「今年こそ優勝」を期待されるものの4月を11勝13敗と平凡なスタートで、6月までは勝ったり負けたりの試合が続いた。7月に11勝2敗1分、8月に14勝9敗1分と勝ち越して借金を返済。借金返済のチームは9月以降の成績によっては優勝が期待されたが、9月8日から4連敗すると、翌週の16日からも4連敗。南海とのゲーム差が縮まるどころか広がり、終盤に9連勝含めて11勝1敗と大きく勝ち越すも時すでに遅く、最終的に南海の3連覇を許して2位に終わった。シーズン終了後、浜崎監督が辞任して西村正夫助監督が監督に復帰した。投手陣は3位の大映とタッチの差でチーム防御率は2.68と2位だった。打撃陣はチーム打率、盗塁数ともに2位だったが本塁打は西鉄に大きく引き離された。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー
1 藤井道夫
2 古川清蔵
3 中谷準志
4 戸倉勝城
5 ブリットン
6 レインズ
7 新留国良
8 伊勢川真澄
9 柴田英治
1953年パシフィック・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 毎日 -- 南海 -- 南海 -- 大映 -- 大映 -- 南海 --
2位 近鉄 1.0 大映 0.5 大映 南海 0.5 阪急 0.5 阪急 4.0
3位 南海 2.0 近鉄 1.5 近鉄 1.0 阪急 2.0 南海 4.0 大映 6.5
4位 西鉄 4.0 毎日 3.0 毎日 1.5 近鉄 5.0 近鉄 7.0 西鉄 13.5
5位 阪急 4.0 阪急 5.0 阪急 4.0 毎日 7.5 毎日 8.0 毎日 14.5
6位 大映 4.5 西鉄 7.0 西鉄 6.5 西鉄 11.5 西鉄 12.5 東急 20.0
7位 東急 5.5 東急 7.5 東急 8.0 東急 12.0 東急 13.5 近鉄 22.0


1953年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 南海ホークス 71 48 1 .597 優勝
2位 阪急ブレーブス 67 52 1 .563 4.0
3位 大映スターズ 63 53 4 .543 6.5
4位 西鉄ライオンズ 57 61 2 .483 13.5
5位 毎日オリオンズ 56 62 2 .475 14.5
6位 東急フライヤーズ 50 67 3 .427 20.0
7位 近鉄パールス 48 69 3 .410 22.0

[1]

オールスターゲーム

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ファン投票 選出なし
監督推薦 柴田英治 伊勢川真澄 レインズ 戸倉勝城

できごと

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選手・スタッフ

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[3]

表彰選手

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リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
レインズ 盗塁王 61個 初受賞
ベストナイン
選出なし

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b 年度別成績 1953年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年5月24日閲覧。
  2. ^ 『日本プロ野球ユニフォーム大図鑑』ベースボール・マガジン社、170頁。 
  3. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7