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1979年の阪急ブレーブス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1979年の阪急ブレーブス
成績
プレーオフ敗退
パシフィック・リーグ2位
PO 0勝3敗(対近鉄
75勝44敗11分 勝率.630[1]
前期2位 39勝21敗5分
勝率.650[1]
後期優勝 36勝23敗6分
勝率.610[1]
本拠地
都市 兵庫県西宮市
球場 阪急西宮球場
球団組織
オーナー 森薫
経営母体 阪急電鉄
監督 梶本隆夫
« 1978
1980 »

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1979年の阪急ブレーブスでは、1979年の阪急ブレーブスにおける動向をまとめる。

1979年の阪急ブレーブスは、梶本隆夫監督の1年目のシーズンである。

概要

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梶本監督1年目の前期は開幕6連勝と上々のスタートを切ったが、4月下旬から近鉄に引き離され、6月8日の時点で7ゲーム差を付けられた。ところがその翌日にチャーリー・マニエルが死球を受けて離脱したのを機に近鉄が急降下、その間に阪急が9連勝で急接近するが、近鉄が最終戦で優勝を決め前期は2位。後期は7月終了時点で唯一勝ち越して頭一つ抜け出すと、近鉄の8連敗もあり早々と独走状態。9月に近鉄が9連勝で2.5ゲーム差まで迫るが、10月5日に後期優勝を決めた。打撃陣ではこの年秀司から改名した加藤英司が絶好調で、三冠王も狙える勢いだったが、本塁打は8月に復帰したマニエルに抜かれ、結局首位打者と打点王の二冠に終わり、MVPもマニエルに奪われた。この年から打高投低傾向が強くなる中、投手陣は前年に腰を痛めた抑えの山口高志の不在を21勝で最多勝の山田久志を始め先発投手陣がカバー、64完投はリーグ最多で、チーム防御率が3.84とリーグ2位だった。パ・リーグ初の5連覇がかかったプレーオフは加藤英が無安打、ボビー・マルカーノも1安打でブレーキとなり、近鉄の山口哲治に抑えられ3連敗で敗退した。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー[2]
1 福本豊
2 簑田浩二
3 マルカーノ
4 加藤英司
5 島谷金二
6 高井保弘
7 ウイリアムス
8 中沢伸二
9 大橋穣
投手 山田久志
1979年パシフィック・リーグ順位変動
前期
順位 4月終了時 5月終了時 前期成績
1位 近鉄 -- 近鉄 -- 近鉄 --
2位 日本ハム 3.0 阪急 7.0 阪急 1.0
3位 阪急 3.5 日本ハム 7.5 日本ハム 6.0
4位 ロッテ 5.0 ロッテ 13.5 ロッテ 14.0
5位 南海 7.5 南海 15.0 南海 18.0
6位 西武 11.0 西武 23.0 西武 21.0
後期
順位 7月終了時 8月終了時 後期成績
1位 阪急 -- 阪急 -- 阪急 --
2位 日本ハム 3.5 ロッテ 3.5 近鉄 2.0
3位 南海 日本ハム 4.5 ロッテ 6.5
4位 ロッテ 4.0 近鉄 7.0 日本ハム 9.0
5位 近鉄 4.5 南海 7.5 西武 9.5
6位 西武 5.5 西武 10.5 南海 12.0
前期最終成績
順位 球団 勝率
1位 近鉄バファローズ 39 19 7 .672 優勝
2位 阪急ブレーブス 39 21 5 .650 1.0
3位 日本ハムファイターズ 34 26 5 .567 6.0
4位 ロッテオリオンズ 26 34 5 .433 14.0
5位 南海ホークス 23 39 3 .371 18.0
6位 西武ライオンズ 18 40 7 .310 21.0
後期最終成績
順位 球団 勝率
1位 阪急ブレーブス 36 23 6 .610 優勝
2位 近鉄バファローズ 35 26 4 .574 2.0
3位 ロッテオリオンズ 29 29 7 .500 6.5
4位 日本ハムファイターズ 29 34 2 .460 9.0
5位 西武ライオンズ 27 33 5 .450 9.5
6位 南海ホークス 23 34 8 .404 12.0


1979年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 近鉄バファローズ 74 45 11 .622 優勝
2位 阪急ブレーブス 75 44 11 .630 -1.0
3位 日本ハムファイターズ 63 60 7 .512 13.0
4位 ロッテオリオンズ 55 63 12 .466 18.5
5位 南海ホークス 46 73 11 .387 28.0
6位 西武ライオンズ 45 73 12 .381 28.5

*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定


プレーオフ

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1979年 パシフィック・リーグプレーオフ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月13日(土) 第1戦 阪急ブレーブス 1 - 5 近鉄バファローズ 大阪球場
10月14日(日) 第2戦 阪急ブレーブス 4 - 7 近鉄バファローズ
10月15日(月) 移動日
10月16日(火) 第3戦 近鉄バファローズ 2 - 1 阪急ブレーブス 阪急西宮球場
年間優勝:近鉄バファローズ

オールスターゲーム1979

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選出選手及びスタッフ
ポジション 名前 選出回数
投手 山田久志 8
今井雄太郎
三浦広之
捕手 中沢伸二 4
二塁手 マルカーノ 4
内野手 加藤英司 8
島谷金二 5
外野手 福本豊 9
  • 太字はファン投票で選ばれた選手。

できごと

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  • 5月24日 - この日の終了時点でのパ・リーグ各球団の勝率が、近鉄(.784)、日本ハム(.600)、阪急(.571)、ロッテ(.469)、南海(.371)、西武(.211)と1割台きざみに並んだ[3]
  • 6月28日 - ウイリアムスがプロ野球4万号ホームランを放った[4]
  • 10月5日 - 阪急が西京極球場での対南海戦に6-6で引き分け、後期優勝を決める[5]
  • 10月16日 - パ・リーグプレーオフ第3戦(西宮)が行われ、前期優勝の近鉄が後期優勝の阪急に2対1で勝利し、3勝0敗で球団創立初のパ・リーグ制覇[6]
  • 12月4日 - 中日の松本幸行と阪急の三枝規悦が交換トレード[7]

選手・スタッフ

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表彰選手

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リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
加藤英司 首位打者 .364 6年ぶり2度目
打点王 104打点 3年ぶり3度目
最多安打 163本 初受賞
最高出塁率 .437 2年ぶり3度目
福本豊 盗塁王 60個 10年連続10度目
山田久志 最多勝利 21勝 3年ぶり3度目
最高勝率 .808 2年連続4度目
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
山田久志 投手 2年ぶり5度目
加藤英司 一塁手 2年ぶり5度目
マルカーノ 二塁手 3年連続4度目
島谷金二 三塁手 2年連続2度目
福本豊 外野手 4年連続7度目
ダイヤモンドグラブ賞
選手名 ポジション 回数
山田久志 投手 3年連続3度目
マルカーノ 二塁手 2年連続4度目
島谷金二 三塁手 3年連続4度目
福本豊 外野手 8年連続8度目
簑田浩二 2年連続2度目

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ドラフト

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順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 木下智裕 投手 東海大学 入団
2位 森浩二 投手 高知商業高 入団
3位 八木茂 内野手 東芝 入団
4位 矢田万寿男 投手 倉吉北高 入団

出典

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  1. ^ a b 年度別成績 1979年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2015年9月22日閲覧。
  2. ^ 『読売新聞』1979年4月8日付朝刊、14版、16面
  3. ^ 講談社刊 宇佐美徹也著「日本プロ野球記録大鑑」147ページ
  4. ^ プロ野球10万号まであと「4」本 メモリアル弾には賞金100万円”. スポーツニッポン. 2017年9月29日閲覧。
  5. ^ 読売新聞1979年10月6日19面「阪急"土壇場アーチ"で後期優勝」読売新聞縮刷版1979年10月p225
  6. ^ 読売新聞1979年10月17日1面「『パ』近鉄が初優勝 球団創設30年目」読売新聞縮刷版1979年10月p583
  7. ^ 中日新聞社刊「中日ドラゴンズ70年史」86ページ
  8. ^ LEGEND OF Bs 2011 〜蘇る黄金の70's〜オリックス・バファローズ公式HP