1979年の阪急ブレーブス
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1979年の阪急ブレーブス | |
---|---|
成績 | |
プレーオフ敗退 | |
パシフィック・リーグ2位 | |
PO | 0勝3敗(対近鉄) |
75勝44敗11分 勝率.630[1] | |
前期2位 |
39勝21敗5分 勝率.650[1] |
後期優勝 |
36勝23敗6分 勝率.610[1] |
本拠地 | |
都市 | 兵庫県西宮市 |
球場 | 阪急西宮球場 |
球団組織 | |
オーナー | 森薫 |
経営母体 | 阪急電鉄 |
監督 | 梶本隆夫 |
« 1978 1980 » |
1979年の阪急ブレーブスでは、1979年の阪急ブレーブスにおける動向をまとめる。
1979年の阪急ブレーブスは、梶本隆夫監督の1年目のシーズンである。
概要
[編集]梶本監督1年目の前期は開幕6連勝と上々のスタートを切ったが、4月下旬から近鉄に引き離され、6月8日の時点で7ゲーム差を付けられた。ところがその翌日にチャーリー・マニエルが死球を受けて離脱したのを機に近鉄が急降下、その間に阪急が9連勝で急接近するが、近鉄が最終戦で優勝を決め前期は2位。後期は7月終了時点で唯一勝ち越して頭一つ抜け出すと、近鉄の8連敗もあり早々と独走状態。9月に近鉄が9連勝で2.5ゲーム差まで迫るが、10月5日に後期優勝を決めた。打撃陣ではこの年秀司から改名した加藤英司が絶好調で、三冠王も狙える勢いだったが、本塁打は8月に復帰したマニエルに抜かれ、結局首位打者と打点王の二冠に終わり、MVPもマニエルに奪われた。この年から打高投低傾向が強くなる中、投手陣は前年に腰を痛めた抑えの山口高志の不在を21勝で最多勝の山田久志を始め先発投手陣がカバー、64完投はリーグ最多で、チーム防御率が3.84とリーグ2位だった。パ・リーグ初の5連覇がかかったプレーオフは加藤英が無安打、ボビー・マルカーノも1安打でブレーキとなり、近鉄の山口哲治に抑えられ3連敗で敗退した。
チーム成績
[編集]レギュラーシーズン
[編集]1 | 中 | 福本豊 |
---|---|---|
2 | 左 | 簑田浩二 |
3 | 二 | マルカーノ |
4 | 一 | 加藤英司 |
5 | 三 | 島谷金二 |
6 | 指 | 高井保弘 |
7 | 右 | ウイリアムス |
8 | 捕 | 中沢伸二 |
9 | 遊 | 大橋穣 |
投手 | 山田久志 |
|
|
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 近鉄バファローズ | 74 | 45 | 11 | .622 | 優勝 |
2位 | 阪急ブレーブス | 75 | 44 | 11 | .630 | -1.0 |
3位 | 日本ハムファイターズ | 63 | 60 | 7 | .512 | 13.0 |
4位 | ロッテオリオンズ | 55 | 63 | 12 | .466 | 18.5 |
5位 | 南海ホークス | 46 | 73 | 11 | .387 | 28.0 |
6位 | 西武ライオンズ | 45 | 73 | 12 | .381 | 28.5 |
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
プレーオフ
[編集]日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
10月13日(土) | 第1戦 | 阪急ブレーブス | 1 - 5 | 近鉄バファローズ | 大阪球場 |
10月14日(日) | 第2戦 | 阪急ブレーブス | 4 - 7 | 近鉄バファローズ | |
10月15日(月) | 移動日 | ||||
10月16日(火) | 第3戦 | 近鉄バファローズ | 2 - 1 | 阪急ブレーブス | 阪急西宮球場 |
年間優勝:近鉄バファローズ |
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オールスターゲーム1979
[編集]→詳細は「1979年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
ポジション | 名前 | 選出回数 |
---|---|---|
投手 | 山田久志 | 8 |
今井雄太郎 | 初 | |
三浦広之 | 初 | |
捕手 | 中沢伸二 | 4 |
二塁手 | マルカーノ | 4 |
内野手 | 加藤英司 | 8 |
島谷金二 | 5 | |
外野手 | 福本豊 | 9 |
- 太字はファン投票で選ばれた選手。
できごと
[編集]- 5月24日 - この日の終了時点でのパ・リーグ各球団の勝率が、近鉄(.784)、日本ハム(.600)、阪急(.571)、ロッテ(.469)、南海(.371)、西武(.211)と1割台きざみに並んだ[3]。
- 6月28日 - ウイリアムスがプロ野球4万号ホームランを放った[4]。
- 10月5日 - 阪急が西京極球場での対南海戦に6-6で引き分け、後期優勝を決める[5]。
- 10月16日 - パ・リーグプレーオフ第3戦(西宮)が行われ、前期優勝の近鉄が後期優勝の阪急に2対1で勝利し、3勝0敗で球団創立初のパ・リーグ制覇[6]。
- 12月4日 - 中日の松本幸行と阪急の三枝規悦が交換トレード[7]。
選手・スタッフ
[編集]表彰選手
[編集]リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
加藤英司 | 首位打者 | .364 | 6年ぶり2度目 |
打点王 | 104打点 | 3年ぶり3度目 | |
最多安打 | 163本 | 初受賞 | |
最高出塁率 | .437 | 2年ぶり3度目 | |
福本豊 | 盗塁王 | 60個 | 10年連続10度目 |
山田久志 | 最多勝利 | 21勝 | 3年ぶり3度目 |
最高勝率 | .808 | 2年連続4度目 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
山田久志 | 投手 | 2年ぶり5度目 |
加藤英司 | 一塁手 | 2年ぶり5度目 |
マルカーノ | 二塁手 | 3年連続4度目 |
島谷金二 | 三塁手 | 2年連続2度目 |
福本豊 | 外野手 | 4年連続7度目 |
ダイヤモンドグラブ賞 | ||
選手名 | ポジション | 回数 |
山田久志 | 投手 | 3年連続3度目 |
マルカーノ | 二塁手 | 2年連続4度目 |
島谷金二 | 三塁手 | 3年連続4度目 |
福本豊 | 外野手 | 8年連続8度目 |
簑田浩二 | 2年連続2度目 |
ドラフト
[編集]→詳細は「1979年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
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1位 | 木下智裕 | 投手 | 東海大学 | 入団 |
2位 | 森浩二 | 投手 | 高知商業高 | 入団 |
3位 | 八木茂 | 内野手 | 東芝 | 入団 |
4位 | 矢田万寿男 | 投手 | 倉吉北高 | 入団 |
出典
[編集]- ^ a b “年度別成績 1979年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2015年9月22日閲覧。
- ^ 『読売新聞』1979年4月8日付朝刊、14版、16面
- ^ 講談社刊 宇佐美徹也著「日本プロ野球記録大鑑」147ページ
- ^ “プロ野球10万号まであと「4」本 メモリアル弾には賞金100万円”. スポーツニッポン. 2017年9月29日閲覧。
- ^ 読売新聞1979年10月6日19面「阪急"土壇場アーチ"で後期優勝」読売新聞縮刷版1979年10月p225
- ^ 読売新聞1979年10月17日1面「『パ』近鉄が初優勝 球団創設30年目」読売新聞縮刷版1979年10月p583
- ^ 中日新聞社刊「中日ドラゴンズ70年史」86ページ
- ^ LEGEND OF Bs 2011 〜蘇る黄金の70's〜オリックス・バファローズ公式HP
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
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優勝 | 広島東洋カープ | 2位 | 横浜大洋ホエールズ | 優勝 | 近鉄バファローズ | 2位 | 阪急ブレーブス |
3位 | 中日ドラゴンズ | 4位 | 阪神タイガース | 3位 | 日本ハムファイターズ | 4位 | ロッテオリオンズ |
5位 | 読売ジャイアンツ | 6位 | ヤクルトスワローズ | 5位 | 南海ホークス | 6位 | 西武ライオンズ |
:日本一 :前期優勝・日本シリーズ出場 :後期優勝(パ・リーグ) | |||||||