鈴木弘規
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基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 岩手県陸前高田市気仙町[1] |
生年月日 | 1956年9月11日(68歳) |
身長 体重 |
191 cm 79 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1974年 ドラフト4位 |
初出場 | 1979年10月10日 |
最終出場 | 1984年7月10日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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鈴木 弘規(すずき こうき、1956年9月11日 - )は、岩手県陸前高田市出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]岩手・水沢一高では、エースとして1974年夏の甲子園県予選決勝に進むが、一関商工に惜敗し、甲子園出場を逸する。
1979年の最終戦で初登板するが、同年11月30日に谷村智啓との交換トレードで阪神タイガースに移籍[1]。
1980年4月には読売ジャイアンツを相手に初先発、江川卓と投げ合い好投するが、敗戦投手となる。同年は主に中継ぎとして10試合に起用された。
1983年5月にも中日ドラゴンズ戦で先発するが、1回に2本塁打を浴びるなど打ち込まれて降板し、再び敗戦投手となる。同年11月10日に太田幸司との交換トレードで読売ジャイアンツに移籍する。
1985年11月25日に現役を引退する[1]。その後、1986年から2004年まで巨人の打撃投手を務めた[1]。
190cmを超える長身から投げ下ろす直球やカーブを持ち味としていたが、制球に難があり、活躍することはできなかった。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1979 | 阪急 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 5 | 1.0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.00 |
1980 | 阪神 | 10 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 83 | 18.2 | 21 | 3 | 9 | 0 | 1 | 13 | 2 | 0 | 13 | 13 | 6.16 | 1.61 |
1983 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 8 | 1.0 | 2 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 5 | 45.00 | 5.00 | |
1984 | 巨人 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 41 | 10.0 | 7 | 1 | 6 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 6 | 5 | 4.50 | 1.30 |
通算:4年 | 18 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | -- | .000 | 137 | 30.2 | 30 | 6 | 18 | 1 | 1 | 17 | 2 | 0 | 24 | 23 | 6.75 | 1.57 |
記録
[編集]- 初登板:1979年10月10日、対ロッテオリオンズ後期13回戦(川崎球場)、8回裏に2番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初先発登板:1980年4月29日、対読売ジャイアンツ4回戦(阪神甲子園球場)、5回1/3を2失点で敗戦投手
背番号
[編集]- 34 (1975年 - 1979年)
- 24 (1980年 - 1983年)
- 47 (1984年 - 1985年)
- 92 (1986年 - 1988年)
- 116 (1989年 - 2004年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 鈴木弘規 - NPB.jp 日本野球機構