1936年の大阪タイガース
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1936年の大阪タイガース | |
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成績 | |
年度優勝決定戦敗退 1勝2敗(対巨人)[1][2] | |
本拠地 | |
都市 | 兵庫県武庫郡鳴尾村(現:西宮市) |
球場 | 甲子園球場 |
球団組織 | |
経営母体 | 阪神電気鉄道 |
監督 |
森茂雄(春期) 石本秀一(秋季) |
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1936年の大阪タイガース(1936ねんのおおさかタイガース)では、1936年シーズンの大阪タイガースの動向をまとめる。
1月10日、阪神電鉄社内から懸賞付きで募集していたチーム名が「大阪タイガース」に決定した[3]。日本職業野球リーグ創設1年目のシーズンである。
当年使用したユニフォームをモデルにした復刻ユニフォームによる試合が、2023年5月26日〜28日(甲子園)と8月8日〜10日(東京ドーム)に行われた[4]。
チーム成績
[編集]球団 | 甲子園大会 | 鳴海大会 | 宝塚大会 | ||||
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勝(引)敗 | 勝(引)敗 | 勝(引)敗 | |||||
東京巨人軍 | アメリカ合衆国遠征のため、不参加 | ||||||
大阪タイガース | 3(0)2 | 1(0)1 | 1(0)1 | ||||
名古屋軍 | 2(0)3 | 1(0)1 | 0(0)2 | ||||
東京セネタース | 4(0)1 | 3(0)0 | 2(0)0 | ||||
阪急軍 | 2(0)3 | 1(0)2 | 2(0)0 | ||||
大東京軍 | 0(1)4 | 0(0)2 | 0(0)2 | ||||
名古屋金鯱軍 | 3(1)1 | 不参加 |
球団 | トーナメント戦 | ||
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東京大会 | 大阪大会 | 名古屋大会 | |
東京巨人軍 | 敗者復活戦敗退 | 1回戦敗退 | 敗者復活戦敗退 |
大阪タイガース | 準決勝敗退 | 1回戦敗退 | 首位 |
名古屋軍 | 首位 | 準決勝敗退(シード) | 敗者復活後敗退 |
東京セネタース | 決勝敗退 | 決勝敗退 | 準決勝敗退 |
阪急軍 | 準決勝敗退 | 首位 | 決勝敗退 |
大東京軍 | 敗者復活戦敗退 | 1回戦敗退 | 敗者復活戦敗退 |
名古屋金鯱軍 | 敗者復活後敗退 | 準決勝敗退 | 準決勝敗退 |
球団 | リーグ戦 | トーナメント戦 | リーグ戦 | 勝ち点 | |||
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大阪大会 | 名古屋大会 | 大阪大会 | 東京大会 | 大阪大会 | 東京大会 | ||
勝(引)敗 | 成績 | 勝(引)敗 | 勝(引)敗 | 勝(引)敗 | |||
東京巨人軍 | 5(0)1 | 1回戦敗退 | 首位(シード) | 4(0)2 | 5(0)1 | 2(0)4 | 2.5 |
大阪タイガース | 4(0)2 | 首位 | 準決勝敗退 | 5(0)1 | 5(0)1 | 5(0)1 | 2.5 |
名古屋軍 | 3(0)3 | 1回戦敗退 | 1回戦敗退 | 5(0)1 | 2(0)4 | 2(0)4 | 0.5 |
東京セネタース | 2(0)4 | 決勝敗退 | 1回戦敗退 | 3(0)3 | 2(0)4 | 3(0)3 | 0 |
阪急軍 | 3(1)2 | 準決勝敗退 | 決勝敗退 | 2(0)4 | 3(0)3 | 5(0)1 | 0.5 |
大東京軍 | 2(1)3 | 準決勝敗退(シード) | 1回戦敗退 | 0(0)6 | 0(0)6 | 3(0)3 | 0 |
名古屋金鯱軍 | 1(0)5 | 1回戦敗退 | 準決勝敗退 | 2(0)4 | 4(0)2 | 1(0)5 | 0 |
できごと
[編集]- 3月25日 - 前年末に結成された球団の激励会が甲子園ホテルで開催され、その席上で球団歌「大阪タイガースの歌」(作詞・佐藤惣之助、作曲・古関裕而)の初演奏が行われる。出席者には日本コロムビアに製造を委託した中野忠晴歌唱のSPレコード(品番:A-305)が配布された[5]。
- 4月29日 - 開幕戦となる名古屋金鯱軍戦、先発の藤村富美男投手は1安打完封勝利を収め、日本初の「初登板初完封勝利」を達成、また打っても4打数3安打2打点と活躍する。この「初登板1安打完封勝利」は、51年後の1987年8月9日に、中日の近藤真一が対巨人戦でノーヒットノーランを達成するまで「最少安打記録」となる。
選手・スタッフ
[編集]表彰選手
[編集]リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
景浦將 | 最優秀防御率 | 0.79 | 初受賞 |
最高勝率 | 1.000 | ||
藤村富美男 | 本塁打王 | 2本 | 初受賞 |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “年度別成績 1936年春 日本野球連盟”. 日本野球機構. 2018年9月11日閲覧。
- ^ “年度別成績 1936年秋 日本野球連盟”. 日本野球機構. 2018年9月11日閲覧。
- ^ "内田雅也が行く 猛虎の地(4)「タイガース」の由来は天守閣の虎!?". スポニチアネックス. スポーツニッポン新聞社. 4 December 2019. 2024年1月11日閲覧。
- ^ “阪神タイガース・読売ジャイアンツ共同プロジェクト 「伝統の一戦~THE CLASSIC SERIES ~」共通ビジュアル発表ならびに協賛企業決定”. 阪神タイガース (2023年3月8日). 2023年8月13日閲覧。
- ^ 菊池清麿『日本プロ野球歌謡史』(彩流社、2021年), p30 ISBN 978-4-7791-2789-2
- ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 102
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。
日本野球連盟 | ||||
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優勝 | 東京巨人軍 | 大阪タイガース | 名古屋軍 | 東京セネタース |
阪急軍 | 大東京軍 | 名古屋金鯱軍 |