1987年の読売ジャイアンツ
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1987年の読売ジャイアンツ | |
---|---|
成績 | |
日本シリーズ敗退 | |
日本S | 2勝4敗(対西武)[1] |
セントラル・リーグ優勝 | |
76勝43敗11分 勝率.639[2] | |
本拠地 | |
都市 | 東京都文京区 |
球場 | 後楽園球場 |
球団組織 | |
オーナー | 正力亨 |
経営母体 | 読売新聞社 |
監督 | 王貞治 |
« 1986 1988 » |
1987年の読売ジャイアンツ(1987ねんのよみうりジャイアンツ)では、1987年の読売ジャイアンツの動向をまとめる。
このシーズンの読売ジャイアンツは、王貞治監督の4年目のシーズンであり、後楽園球場の最後のシーズンである。
概要
[編集]3年間優勝から遠ざかっていたチームは、新たに打撃コーチとして1986年まで中日監督の山内一弘を招聘。「かっぱえびせん」(やめられない、止まらないの意味)と呼ばれた山内の熱心な指導で打線は3番から7番まで(クロマティ・原辰徳・吉村禎章・篠塚利夫・中畑清)3割打者が並ぶ強力打線を形成。その後を打つ山倉和博も22本塁打を放ち「恐怖の8番打者」と恐れられた。山倉は捕手としても、2年目で防御率1位・15勝の桑田真澄をはじめ江川卓・槙原寛己・水野雄仁、抑えの鹿取義隆といった投手陣をリードし、巨人軍の捕手として初のMVPを獲得した。
チームは6月13日に首位に立つと以後は一度も首位を明け渡すことなく、2位の広島が中日に敗戦したのを受けて10月9日に優勝が決定、後楽園最終年に花を添えた。チームは前年優勝の広島に最終戦で勝てず完全優勝はならなかったが、5位の大洋に18勝7敗1分、最下位阪神には18勝8敗と大きく勝ち越した。宿敵西武との4年ぶりの対戦となった日本シリーズは2勝2敗で迎えた第5戦に守備のミスで自滅。結局、西武に守備・走塁でレベルの違いを見せつけられ2勝4敗で敗退。王監督4年目での日本一はならなかった。シーズン終了後、江川が突如現役引退を発表。一方で松本匡史には任意引退扱いで戦力外通告するなど、東京ドーム向けの戦力再編を進めていく。
チーム成績
[編集]レギュラーシーズン
[編集]1 | 左 | 松本匡史 |
---|---|---|
2 | 遊 | 鴻野淳基 |
3 | 二 | 篠塚利夫 |
4 | 中 | クロマティ |
5 | 右 | 吉村禎章 |
6 | 三 | 中畑清 |
7 | 一 | 駒田徳広 |
8 | 捕 | 山倉和博 |
9 | 投 | 西本聖 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1位 | 巨人 | -- | 中日 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- |
2位 | 広島 | 1.5 | 巨人 | 0.0 | 広島 | 2.0 | 広島 | 3.5 | 中日 | 4.0 | 広島 | 7.5 | 中日 | 8.0 |
3位 | 中日 | 3.0 | 広島 | 3.5 | 中日 | 4.0 | 中日 | 6.0 | 広島 | 5.5 | 中日 | 8.5 | 広島 | 11.5 |
4位 | 大洋 | 5.0 | ヤクルト | 10.5 | ヤクルト | 11.5 | ヤクルト | 16.0 | ヤクルト | 16.0 | ヤクルト | 17.0 | ヤクルト | 19.5 |
5位 | ヤクルト | 5.0 | 大洋 | 10.5 | 大洋 | 12.5 | 大洋 | 20.0 | 大洋 | 18.0 | 大洋 | 20.0 | 大洋 | 22.5 |
6位 | 阪神 | 6.5 | 阪神 | 13.5 | 阪神 | 17.0 | 阪神 | 29.5 | 阪神 | 31.5 | 阪神 | 34.0 | 阪神 | 37.5 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 76 | 43 | 11 | .639 | 優勝 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 68 | 51 | 11 | .571 | 8.0 |
3位 | 広島東洋カープ | 65 | 55 | 10 | .542 | 11.5 |
4位 | ヤクルトスワローズ | 58 | 64 | 8 | .475 | 19.5 |
5位 | 横浜大洋ホエールズ | 56 | 68 | 6 | .452 | 22.5 |
6位 | 阪神タイガース | 41 | 83 | 6 | .331 | 37.5 |
日本シリーズ
[編集]日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
---|---|---|---|---|---|
10月24日(土) | 第1戦 | 雨天中止 | 西武ライオンズ球場 | ||
10月25日(日) | 読売ジャイアンツ | 7 - 3 | 西武ライオンズ | ||
10月26日(月) | 第2戦 | 読売ジャイアンツ | 0 - 6 | 西武ライオンズ | |
10月27日(火) | 移動日 | ||||
10月28日(水) | 第3戦 | 西武ライオンズ | 2 - 1 | 読売ジャイアンツ | 後楽園球場 |
10月29日(木) | 第4戦 | 西武ライオンズ | 0 - 4 | 読売ジャイアンツ | |
10月30日(金) | 第5戦 | 西武ライオンズ | 3 - 1 | 読売ジャイアンツ | |
10月31日(土) | 移動日 | ||||
11月1日(日) | 第6戦 | 読売ジャイアンツ | 1 - 3 | 西武ライオンズ | 西武ライオンズ球場 |
優勝:西武ライオンズ(2年連続7回目) |
オールスターゲーム1987
[編集]→詳細は「1987年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 選出選手及びスタッフ
ポジション | 名前 | 選出回数 |
---|---|---|
コーチ | 王貞治 | |
投手 | 桑田真澄 | 初 |
鹿取義隆 | 初 | |
江川卓 | 8 | |
捕手 | 山倉和博 | 7 |
二塁手 | 篠塚利夫 | 6 |
三野手 | 原辰徳 | 7 |
外野手 | 松本匡史 | 6 |
吉村禎章 | 2 |
- 太字はファン投票による選出。
できごと
[編集]選手・スタッフ
[編集]試合結果
[編集]表彰選手
[編集]- 桑田真澄(投手、初受賞)
- 山倉和博(捕手、4年ぶり3度目)
- 篠塚利夫(二塁手、2年連続5度目)
- 原辰徳(三塁手、4年ぶり2度目)
- ウォーレン・クロマティ(外野手、2年連続2度目)
- 吉村禎章(外野手、2年連続2度目)
- 桑田真澄(投手、初受賞)
- 山倉和博(捕手、4年ぶり3度目)
- 中畑清(一塁手、6年連続6度目)
- 原辰徳(三塁手、初受賞)
ドラフト
[編集]→詳細は「1987年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
---|---|---|---|---|
1位 | 橋本清 | 投手 | PL学園高 | 入団 |
2位 | 後藤孝次 | 内野手 | 中京高 | 入団 |
3位 | 磯貝公伸 | 投手 | 宮崎南高 | 入団 |
4位 | 小沢浩一 | 内野手 | 三菱自動車水島 | 入団 |
5位 | 益田明典 | 投手 | 愛知学院大学 | 入団 |
6位 | 杉山直樹 | 捕手 | 沼津学園高 | 入団 |
出典
[編集]- ^ a b “1987年度日本シリーズ”. 日本野球機構. 2015年11月4日閲覧。
- ^ “年度別成績 1987年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2015年11月4日閲覧。
- ^ 『読売新聞』1987年4月11日付朝刊、14版、14面
- ^ “読売巨人軍公式HP 背番号変遷”. 読売ジャイアンツ. 2015年11月4日閲覧。
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
優勝 | 読売ジャイアンツ | 2位 | 中日ドラゴンズ | 優勝 | 西武ライオンズ | 2位 | 阪急ブレーブス |
3位 | 広島東洋カープ | 4位 | ヤクルトスワローズ | 3位 | 日本ハムファイターズ | 4位 | 南海ホークス |
5位 | 横浜大洋ホエールズ | 6位 | 阪神タイガース | 5位 | ロッテオリオンズ | 6位 | 近鉄バファローズ |
:日本一 :日本シリーズ出場 | |||||||