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1973年の読売ジャイアンツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1973年の読売ジャイアンツ
成績
日本一
日本S 4勝1敗(対南海[1]
セントラル・リーグ優勝
66勝60敗4分 勝率.524[2]
本拠地
都市 東京都文京区
球場 後楽園球場
球団組織
オーナー 正力亨
経営母体 読売新聞社
監督 川上哲治
« 1972
1974 »

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1973年の読売ジャイアンツでは、1973年の読売ジャイアンツの動向をまとめる。

この年の読売ジャイアンツは、川上哲治監督の13年目のシーズンである。

概要

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前人未到の9連覇が期待されたチームだが、前年26勝の堀内恒夫東映から移籍の高橋善正が成績不振にあえぐなど投手陣が崩壊。それでも高橋一三倉田誠がローテーションを守り、チーム防御率は若干改善された。打線はこの年三冠王の王貞治が孤軍奮闘するも、長嶋茂雄は前年の.266に続いて.269の低打率にあえぐなど、世代交代の兆しが見え始める。前半戦を4位で終えたチームは8月以降の反撃でようやく首位浮上。その後も阪神とのマッチレースが続き、10月10日からの天王山2連戦を迎える。第1戦を田淵幸一の満塁本塁打で5-6で落としたあと、翌日の第2戦では長嶋が左手薬指を骨折するアクシデントで退き、3回までに阪神に0-7とリードされる。しかし、4回に富田勝江夏豊から3ランを放ち反撃開始、6回には代打萩原康弘の3ランで8-7とひっくり返し、最後は10-10の引き分けに持ち込んだ。一度は阪神に王手をかけられるが、10月20日に阪神が中日球場中日に敗れ、優勝は10月22日の甲子園球場での最終戦にもつれこむが、初回から爆発し、阪神投手陣を粉砕。.524という史上最低勝率(1975年阪急が.520で更新、ただし当時のパ・リーグは前期後期制を採用しており、阪急は前期優勝、後期最下位でプレーオフで近鉄に勝利し優勝。同年のパ・リーグ勝率1位は近鉄の.587)でのセ・リーグ9連覇を達成した(最下位の広島とのゲームは6.5差)。一方的な大敗で激昂した阪神ファンが優勝決定後に乱入したため、選手たちは急遽避難し、川上監督の胴上げはお預けとなった[注釈 1]日本シリーズ野村克也監督率いる南海との対戦になった。初戦こそ落としたが、第2戦以降は堀内が投打で活躍し、また南海の打線を封じて4連勝で前人未到のV9を達成。お預けとなっていた川上監督の胴上げは本拠地・後楽園でようやく実現したが、3月に発生した湯口事件の悪印象もあり、チームの人気は下降線を辿っていた。このため、ドラフト会議で1位指名した愛知学院大学小林秀一から、球団史上初めて入団拒否されることになった。

順位 10/1終 10/2終 10/3終 10/5終 10/6終 10/7終 10/8終 10/9終 10/10終 10/11終 10/12終 10/14終 10/15終 10/16終 10/18終 10/20終 10/22終
1位 -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- 優勝
2位 1.5 2.5 2.0 1.5 0.5 0.5 1.0 1.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.5 1.0 1.0 0.5 0.5
3位 2.0 3.0 2.0 2.5 2.5 3.5 4.0 3.5 3.5 3.5 3.0 2.5 3.0 3.5 3.0 2.0 2.0
試合
結果
洋5-2巨
神5-4広
中4-3ヤ
巨4-1中
ヤ4-1神
中3-0巨 神3-1中 広10-4巨
神3-0中
巨8-1広
神2-1中
巨5-2広 中5-1洋 神6-5巨
洋8-0中
巨10-10神
中6-6洋
中6-1洋 広5-2神
洋5-4巨
中3-2ヤ
ヤ4-1中
神4-1広 ヤ4-2巨
洋2-1中
中12-2洋 中4-2神 巨9-0神

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー[4]
1 柴田勲
2 高田繁
3 王貞治
4 長嶋茂雄
5 黒江透修
6 末次民夫
7 土井正三
8 森昌彦
9 堀内恒夫
1973年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 中日 -- 大洋 -- 広島 -- 中日 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 大洋 0.5 広島 0.0 中日 阪神 3.0 阪神 0.5 阪神 2.5 阪神 0.5
3位 阪神 1.5 中日 1.0 阪神 1.0 広島 4.0 中日 1.0 中日 3.0 中日 1.5
4位 巨人 2.5 阪神 2.5 巨人 3.5 巨人 4.5 広島 2.0 ヤクルト 6.0 ヤクルト 4.5
5位 広島 3.5 巨人 4.0 大洋 4.0 ヤクルト 6.5 大洋 2.5 大洋 6.0 大洋 5.0
6位 ヤクルト 4.0 ヤクルト 7.5 ヤクルト 6.5 大洋 9.0 ヤクルト 3.0 広島 6.5 広島 6.5


1973年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 読売ジャイアンツ 66 60 4 .524 優勝
2位 阪神タイガース 64 59 7 .520 0.5
3位 中日ドラゴンズ 64 61 5 .512 1.5
4位 ヤクルトアトムズ 62 65 3 .488 4.5
5位 大洋ホエールズ 60 64 6 .484 5.0
6位 広島東洋カープ 60 67 3 .472 6.5

[2]

日本シリーズ

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1973年 日本シリーズ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月27日(土) 第1戦 読売ジャイアンツ 3 - 4 南海ホークス 大阪球場
10月28日(日) 第2戦 読売ジャイアンツ 3 - 2 南海ホークス
10月29日(月) 移動日
10月30日(火) 第3戦 南海ホークス 2 - 8 読売ジャイアンツ 後楽園球場
10月31日(水) 第4戦 南海ホークス 2 - 6 読売ジャイアンツ
11月1日(木) 第5戦 南海ホークス 1 - 5 読売ジャイアンツ
優勝:読売ジャイアンツ(9年連続17回目)

[1]

オールスターゲーム1973

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  • 選出選手及びスタッフ
ポジション 名前 選出回数
監督 川上哲治
投手 堀内恒夫 7
高橋一三 4
一塁手 王貞治 14
二塁手 土井正三 4
三塁手 長嶋茂雄 16
遊撃手 黒江透修 6
外野手 末次民夫 2
高田繁 6
柴田勲 9
  • 太字はファン投票による選出。

できごと

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  • 4月17日 - 長嶋茂雄が広島球場での対広島1回戦にて、2回表に2塁打を放ちプロ通算4000塁打を達成[7]
  • 7月16日 - 長嶋茂雄が後楽園での対中日17回戦に出場しプロ通算2000試合出場を達成[8]
  • 8月10日 - 王貞治が後楽園での対中日18回戦で30号本塁打を放ち、12年連続30本塁打を達成[9]
  • 8月26日 - 長嶋茂雄が神宮球場での対ヤクルト19回戦の6回表に安田猛から安打を放ち、自身と榎本喜八の持つ15年連続100本安打を抜く16年連続年間100安打のプロ野球新記録を達成[10]。また同試合の5回表、柴田勲がカウント2-1後のきわどいコースの球を見逃しの三振に取られると、バットをホームベースに投げつけ、この事で平光清球審に「故意に投げたのか」と聞きただすと、激怒した柴田は「故意じゃない。お前だっていつも間違ってるじゃないか!」と言い返したため、退場を命じられる[11]
  • 10月11日 - 長嶋茂雄が後楽園球場での対阪神25回戦の2回表に阪神の後藤和昭の打球を右手薬指に当てて負傷し退場。港区・慈恵医大病院で診断の結果、右第四指末節開放性骨折で全治4週間と判明。今シーズンの残り試合の出場が絶望に。この試合は0対7から10対10の延長10回時間切れ引き分け(3時間35分)となり、巨人対阪神の伝説の死闘だった[12]
  • 10月22日 - 甲子園での対阪神26回戦に9対0で勝利し、9年連続セ・リーグ優勝を達成(スコアはs:1973年セ・リーグの最終決戦参照)[13]
  • 11月1日 - 日本シリーズで南海を4勝1敗で下し、9年連続日本一達成。
  • 11月20日 - ドラフト会議が行われ、愛知学院大学小林秀一を1位指名するが球団史上初めて入団拒否される[14]

選手・スタッフ

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[15]

表彰選手

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リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
王貞治 最優秀選手 3年ぶり6度目
首位打者 .355 3年ぶり4度目
本塁打王 51本 12年連続12度目
打点王 114打点 3年連続8度目
最多安打 152本 3年ぶり3度目
最多出塁数 280個 7年連続7度目
史上3人目(セ・リーグ初)の三冠王達成
高橋一三 最多奪三振 238個 初受賞
沢村賞 4年ぶり2度目
倉田誠 最高勝率 .667 初受賞
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
高橋一三 投手 4年ぶり2度目
王貞治 一塁手 12年連続12度目
長嶋茂雄 三塁手 16年連続16度目
柴田勲 外野手 3年連続4度目
ダイヤモンドグラブ賞
選手名 ポジション 回数
堀内恒夫 投手 2年連続2度目
王貞治 一塁手 2年連続2度目
長嶋茂雄 三塁手 2年連続2度目
柴田勲 外野手 2年連続2度目
高田繁 2年連続2度目

ドラフト

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順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 小林秀一 投手 愛知学院大学 拒否・熊谷組入社
2位 黒坂幸夫 投手 糸魚川商工高 拒否・鷺宮製作所入社
3位 中村裕二 捕手 住友金属 拒否
4位 迫丸金次郎 外野手 愛知学院大学 入団
5位 尾西和夫 投手 新日本製鐵堺 拒否
6位 新谷祐二 投手 福井工業大学附属福井高 入団
7位 金島正彦 内野手 武相高 入団

脚注

[編集]

注釈

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  1. ^ この日、公の場での胴上げはお預けとなったが、宿舎に戻ってから広間で「控えめ」に胴上げが行われた[3]

出典

[編集]
  1. ^ a b 1973年度日本シリーズ”. 日本野球機構. 2015年10月25日閲覧。
  2. ^ a b 年度別成績 1973年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2015年10月25日閲覧。
  3. ^ 週刊ベースボール 2023年10月30日号「球界の記念日にタイムスリップ あの日、あのとき、あの場所で」100-101頁
  4. ^ 『読売新聞』1973年4月15日付朝刊、14版、19面
  5. ^ 読売新聞1973年1月26日19面「トレード三選手の入団発表 巨人、日拓ホーム」
  6. ^ 毎日新聞1973年3月23日23面「巨人・湯口投手が急死 入院中に『心臓マヒ』」毎日新聞縮刷版1973年3月p713
  7. ^ 毎日新聞1973年4月18日17面「長島が四千塁打」毎日新聞縮刷版1973年4月p573
  8. ^ 朝日新聞1973年7月17日19面「これでファン投票に面目立つ・・・長島サヨナラ2ラン」朝日新聞縮刷版1973年7月p593
  9. ^ 朝日新聞1973年8月11日18面「最多本塁打記録ともに564本 王、12年連続連続30号 野村も負けずに2ラン」朝日新聞縮刷版1973年8月p374
  10. ^ 朝日新聞1973年8月27日18面「長島 16年連続100本安打」朝日新聞縮刷版1973年8月p922
  11. ^ 『20世紀プロ野球事件簿』メディア・ポート、2001年、201頁。 
  12. ^ プロ野球デキゴトロジー週刊ベースボールONLINE(2017年10月11日配信)
  13. ^ 毎日新聞1973年10月23日17面「巨人、猛打の逆転V9 阪神6投手を粉砕 高橋一二塁を踏ませず」毎日新聞縮刷版1973年10月p759
  14. ^ 【11月20日】1973年(昭48) 大監督の言葉で入団せず 巨人ドラ1を唯一蹴った男・小林秀一スポーツニッポン 2008年11月17日
  15. ^ 読売巨人軍公式HP 背番号変遷”. 読売ジャイアンツ. 2015年10月25日閲覧。