1948年の読売ジャイアンツ
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1948年の読売ジャイアンツ | |
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成績 | |
レギュラーシーズン2位 83勝55敗2分 勝率.601[1] | |
本拠地 | |
都市 | 東京都文京区 |
球場 | 後楽園球場 |
球団組織 | |
オーナー | 正力松太郎 |
経営母体 | 読売新聞社 |
監督 | 三原脩 |
« 1947 1949 » |
1948年の読売ジャイアンツ(1948ねんのよみうりジャイアンツ)では、1948年シーズンの読売ジャイアンツの動向をまとめる。
この年の読売ジャイアンツは、職業野球公式戦再開3年目のシーズンである。
概要
[編集]シーズン序盤から借金を重ね、6月終了時点で借金6の5位に沈んだ巨人は7月に入るとチーム成績を建て直し、7月に借金を完済、首位南海を猛追した。最大14.5差あったゲーム差を9月中旬には1.5差まで詰め寄るが、直接対決で敗れてシーズンを2位で終え三原監督の胴上げはならなかった。投手陣は中日から復帰の藤本英雄などの活躍でリーグ1位の29完封を記録し、チーム防御率も2.27で優勝の南海に次ぐ2位だった。打撃陣は青田昇が阪急から復帰したこともあり好調で、95本塁打はリーグダントツで、チーム打率は3位の阪神に次ぐ.256を記録した。
チーム成績
[編集]レギュラーシーズン
[編集]1 | 遊 | 白石敏男 |
---|---|---|
2 | 中 | 青田昇 |
3 | 二 | 千葉茂 |
4 | 一 | 川上哲治 |
5 | 左 | 平山菊二 |
6 | 右 | 中島治康 |
7 | 三 | 山川喜作 |
8 | 捕 | 武宮敏明 |
9 | 投 | 川崎徳次 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 大阪 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- | 南海 | -- |
2位 | 大陽 | 4.0 | 阪急 | 6.0 | 大阪 | 4.5 | 南海 | 0.5 | 大阪 | 4.0 | 巨人 | 2.5 | 巨人 | 5.0 |
3位 | 中日 | 4.5 | 大阪 | 7.0 | 阪急 | 8.0 | 巨人 | 6.0 | 巨人 | 7.0 | 阪急 | 11.0 | 大阪 | 17.0 |
4位 | 大阪 | 5.0 | 金星 | 7.5 | 金星 | 10.0 | 阪急 | 7.0 | 阪急 | 12.5 | 大阪 | 11.0 | 阪急 | 20.0 |
5位 | 阪急 | 6.0 | 中日 | 11.0 | 巨人 | 13.5 | 金星 | 7.5 | 大陽 | 14.0 | 大陽 | 13.0 | 急映 | 24.5 |
6位 | 巨人 | 6.0 | 巨人 | 11.5 | 急映 | 15.0 | 中日 | 11.5 | 中日 | 15.0 | 金星 | 15.0 | 大陽 | 25.5 |
7位 | 急映 | 7.0 | 急映 | 12.0 | 大陽 | 15.5 | 急映 | 13.5 | 金星 | 15.5 | 急映 | 20.0 | 金星 | 25.5 |
8位 | 金星 | 7.5 | 大陽 | 13.0 | 中日 | 17.5 | 大陽 | 14.0 | 急映 | 20.0 | 中日 | 23.5 | 中日 | 34.5 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
---|---|---|---|---|---|---|
優勝 | 南海ホークス | 87 | 49 | 4 | .640 | - |
2位 | 読売ジャイアンツ | 83 | 55 | 2 | .601 | 5.0 |
3位 | 大阪タイガース | 70 | 66 | 4 | .515 | 17.0 |
4位 | 阪急ブレーブス | 66 | 68 | 6 | .493 | 20.0 |
5位 | 急映フライヤーズ | 59 | 70 | 11 | .457 | 24.5 |
6位 | 大陽ロビンス | 61 | 74 | 5 | .452 | 25.5 |
7位 | 金星スターズ | 60 | 73 | 7 | .451 | 25.5 |
8位 | 中日ドラゴンズ | 52 | 83 | 5 | .385 | 34.5 |
個人成績
[編集]主な投手成績
[編集]- 色付きは規定投球回(220イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高
選手 | 登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
中尾碩志 | 47 | 39 | 25 | 8 | 2 | 27 | 12 | -- | -- | .692 | 1347 | 343.0 | 245 | 8 | 116 | -- | 3 | 187 | 0 | 1 | 93 | 70 | 1.84 | 1.05 |
川崎徳次 | 47 | 39 | 25 | 12 | 2 | 27 | 15 | -- | -- | .643 | 1282 | 318.1 | 257 | 7 | 113 | -- | 5 | 82 | 0 | 0 | 101 | 82 | 2.31 | 1.16 |
多田文久三 | 31 | 29 | 16 | 6 | 2 | 13 | 9 | -- | -- | .591 | 848 | 206.2 | 171 | 6 | 80 | -- | 4 | 63 | 0 | 0 | 79 | 68 | 2.96 | 1.21 |
藤本英雄 | 22 | 12 | 9 | 0 | 1 | 8 | 5 | -- | -- | .615 | 517 | 131.0 | 104 | 3 | 24 | -- | 3 | 51 | 2 | 1 | 33 | 25 | 1.72 | 0.98 |
小松原博喜 | 34 | 8 | 5 | 1 | 0 | 4 | 6 | -- | -- | .400 | 556 | 134.1 | 114 | 8 | 51 | -- | 3 | 54 | 0 | 0 | 52 | 34 | 2.27 | 1.23 |
緒方俊明 | 16 | 8 | 0 | 0 | 0 | 2 | 6 | -- | -- | .250 | 261 | 58.2 | 58 | 1 | 32 | -- | 3 | 9 | 0 | 0 | 30 | 21 | 3.20 | 1.53 |
八島米雄 | 15 | 5 | 1 | 1 | 0 | 2 | 2 | -- | -- | .500 | 271 | 63.0 | 68 | 2 | 18 | -- | 1 | 12 | 0 | 0 | 28 | 17 | 2.39 | 1.37 |
主な打撃成績
[編集]- 色付きは規定打席(400打数)以上の選手
- 太字はリーグ最高
選手 | 試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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[[]]| |
できごと
[編集]- 4月14日 - 中尾碩志が対南海戦で日本プロ野球通算1500投球回、史上6人目[2]。
- 5月1日 - 中尾碩志が対阪急戦で日本プロ野球通算100勝、史上5人目[2]。
- 5月16日 -川上哲治が対金星戦(仙台)の1回に2ラン本塁打と3ラン本塁打を放ち、日本プロ野球新記録の1イニング5打点[3]。1イニング2本塁打は日本プロ野球初[4]。
- 5月28日 - 川崎徳次が対中日戦で、日本プロ野球通算1000投球回、史上26人目[2]。
- 5月29日 - 川崎徳次が対中日戦で、9回裏無死一塁の場面で登板、中日の杉山悟への初球を逆転サヨナラ2ラン本塁打されサヨナラ負け。日本プロ野球史上初の1球による敗戦を記録、スコアは13対12。
- 7月10日 - 対太陽戦で6月27日の対急映戦から球団新記録の9試合連続2桁安打。
- 8月17日 - 日本初のプロ野球ナイターが、横浜ゲーリッグ球場(後の横浜平和球場、現在の横浜スタジアム)の対中日戦で行われる。試合開始前、元メジャーリーガーのベーブ・ルースの訃報が入り、全選手やファンによって黙祷が捧げられた。試合は中日が3-2で勝利。
- 9月5日 - 対南海戦(後楽園)で9月2日の対中日戦から球団タイ記録の4試合連続完封勝利と、8月29日対阪急戦の6回からこの日の9回まで球団新記録の40イニング無失点。
- 10月3日 - 対大阪戦(甲子園)の9回裏、大阪・藤村富美男の体当たり本塁突入で武宮敏明捕手は衝突して失神、決勝点を許す。1980年以降では常識の「本塁突入による激突」もこの時期では巨人が46分間の抗議に。
- 10月16日 - この日の対太陽戦(大須)で球団記録(2012年現在)の1試合27安打と、最多得点の26点、14日からの同カード3連戦の合計で56安打で連続3試合安打の最多球団記録(2012年現在)。7本塁打は当時の球団新記録。試合は26対5で巨人が勝利。
- 10月19日 - 中尾碩志が対金星戦で日本プロ野球通算1000奪三振、史上3人目[2]。
- 11月7日 - 藤本英雄が対大阪戦で日本プロ野球通算100勝、史上7人目[2]。
選手・スタッフ
[編集]- 登録名変更
- 呉新亨→呉元敞
表彰選手
[編集]- 青田昇(25本、初受賞)
- 川上哲治(25本、8年ぶり2度目)
- 中尾碩志(27勝、初受賞)
- 川崎徳次(27勝、初受賞)
- 中尾碩志(投手、初受賞)
- 川上哲治(一塁手、2年連続3度目)
- 千葉茂(二塁手、2年連続2度目)
- 青田昇(外野手、初受賞)
出典
[編集]日本野球連盟 | |||||||
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優勝 | 南海ホークス | 2位 | 読売ジャイアンツ | 3位 | 大阪タイガース | 4位 | 阪急ブレーブス |
5位 | 急映フライヤーズ | 6位 | 大陽ロビンス | 7位 | 金星スターズ | 8位 | 中日ドラゴンズ |