コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

中田洋介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中田 洋介
名前
カタカナ ナカタ ヨウスケ
ラテン文字 NAKATA Yosuke
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1981-09-15) 1981年9月15日(43歳)
出身地 岩手県大船渡市
身長 173cm[1]
体重 64kg[1]
選手情報
ポジション DF[1]
利き足 右足
ユース
1997-1999 日本の旗 大船渡高校
2000-2003 日本の旗 駒澤大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2007 日本の旗 ベガルタ仙台 87 (0)
2008 日本の旗 横浜FC 28 (0)
2009-2010 日本の旗 グルージャ盛岡 26 (4)
2012-20xx 日本の旗 盛岡ゼブラ
通算 141 (4)
代表歴
2003 日本の旗 ユニバーシアード日本
監督歴
2014-2018 日本の旗 大船渡高校
2018- 日本の旗 盛岡商業高校
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

中田 洋介(なかた ようすけ、1981年9月15日 - )は、岩手県大船渡市出身の元サッカー選手、サッカー指導者、高校教諭[2]。ポジションはディフェンダー、もしくはミッドフィールダー

来歴

[編集]

岩手県大船渡市に生まれ、小学3年生の時に地元の大船渡三陸FCに入団しサッカーを始める。

1997年岩手県立大船渡高等学校入学。小笠原満男は高校時代の2学年先輩にあたる[3]。3年次に地元岩手で開かれた高校総体にチームのキャプテンとして出場した。第78回全国高等学校サッカー選手権大会にも出場したが1回戦で中山元気高松大樹擁する多々良学園に敗れた。

高校卒業後は、駒澤大学へ進学。1年先輩の巻誠一郎深井正樹、同学年の橋本早十らと供に数多くの大学タイトルを獲得。4年次にはキャプテンとして関東大学リーグMVPに輝き、ユニバシアード代表入りも果たした。

大学卒業後2004年ベガルタ仙台入団。1年目からレギュラーに定着。2005年には当時監督だった都並敏史に右サイドバックにコンバートされ新境地を開いた。しかし2007年に出場機会が激減、同年を以って戦力外となり、2008年横浜FCへ移籍。リーグ戦28試合に出場するも、同年シーズン終了を以って戦力外となり、1年でチームを去った。

2009年からグルージャ盛岡(現:いわてグルージャ盛岡)に入団し2年間主将を務め、2010年シーズン終了をもって現役引退した。引退後はサッカー指導やスポーツジャーナリストをしていたが、東日本大震災を経験して教師を志望し、富士大学にて保健体育の教員免許を取得した[2]

2014年より大船渡高校の教員となった[2]。2017年より高校の恩師の斎藤重信が勤める盛岡商業高校に赴任、2018年より同校サッカー部の監督を務めている[3][4]

所属クラブ

[編集]

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2001 駒大 11 - - -
2002 8 - -
2003 - - 1 0 1 0
2004 仙台 14 J2 26 0 - 1 0 27 0
2005 23 0 - 1 0 24 0
2006 31 0 - 2 0 33 0
2007 7 0 - 1 0 8 0
2008 横浜FC 8 28 0 - 1 0 29 0
2009 盛岡 5 東北1部 12 2 - 1 2 13 4
2010 14 2 - 2 2 16 4
2012 盛岡Z 23 1 0 - - 1 0
通算 日本 J2 115 0 - 6 0 121 0
日本 東北1部 27 4 - 3 4 30 8
日本 - - 1 0 1 0
総通算 142 4 - 10 4 152 8

代表歴

[編集]

獲得タイトル

[編集]

チーム

[編集]

個人

[編集]
  • 関東大学サッカーリーグ戦MVP (2003年)

代表

[編集]

出演

[編集]

テレビ番組

[編集]

ラジオ番組

[編集]

CM

[編集]
  • 岩手スポーツマガジンStandard(2010年)

脚注

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]