中臣習宜山守
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中臣習宜 山守(なかとみのすげ の やまもり、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。姓は朝臣。官位は従五位上・伊勢神宮大宮司。
出自
[編集]『新撰姓氏録』「右京神別」によると、「中臣習宜朝臣」は「同神孫味瓊杵田命之後也習宜」とある。習宜は大和国添下郡の地名。
経歴
[編集]『二所太神宮例文』の大宮司次第に、「(第十四)」褶宜朝臣山守(天平宝字六年(762年)七月八日任。在任二年)」と記されている。
称徳朝の天平神護元年(765年)正月、改元とともに日置蓑麻呂・多治比長野・多治比乙麻呂・下道色夫多・大伴呰麻呂・弓削秋麻呂・弓削牛養らとともに外従五位下から内位の従五位下に昇叙[1]。
光仁朝の宝亀6年(775年)正月、高向家主・藤原鷲取・佐伯国守とともに、従五位上に昇叙[2]。以降の事績については知られていない。
官歴
[編集]注記のないものは『続日本紀』による。
- 天平宝字6年(762年)7月2日:伊勢神宮大宮司(『仁所太神宮例文』)
- 天平宝字8年(764年)散位
- 時期不詳:外従五位下
- 天平神護元年(765年)10月22日:従五位下(内位)
- 宝亀6年(775年) 正月16日:従五位上