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高倉篤麿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高倉篤麿(藪篤麿)

高倉 篤麿(たかくら あつまろ、1880年明治13年〉2月15日[1] - 1964年昭和39年〉2月1日[1][2])は、日本宮内官、神職華族貴族院子爵議員伊勢神宮大宮司。旧姓・[1]1936年(昭和11年)2月、高倉に復姓中国語版した[1][3][4]

経歴

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東京府で華族・藪実休(さねたる)の二男として生まれる[1][3]1882年(明治15年)10月7日、祖父・藪実方の隠居に伴い家督を相続[1][3]1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[5]1907年(明治40年)明治大学政治科を卒業し[2][3]、さらに東京外国語学校仏語専修科で学んだ[3]

1890年(明治23年)侍従職出仕となり、1898年(明治31年)主猟官に転じた[2][3][6]1914年(大正3年)1月24日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[7][8]研究会に所属して活動し1940年(昭和15年)2月20日に辞任した[2][9][10]。同年、伊勢神宮大宮司に就任し、1951年(昭和26年)まで在任した[6]。その他、旧堂上華族保護資金調査委員を務めた[2]。墓所は多磨霊園(21-1-10)。

栄典

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親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成』下巻、8-9頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』46頁。
  3. ^ a b c d e f 『人事興信録』第14版 下、タ103頁。
  4. ^ 『官報』第2730号、昭和11年2月10日。
  5. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
  6. ^ a b 『神道人名辞典』483頁。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、23頁。
  8. ^ 『官報』第446号、大正3年1月26日。
  9. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、50頁。
  10. ^ 『官報』第3939号、昭和15年2月24日。
  11. ^ 『官報』第1680号「叙任及辞令」1918年3月12日。
  12. ^ a b おいた盛りから 元掌侍 藪嘉根子 『明治大帝』(大日本雄弁会講談社, 1927)
  13. ^ 藪篤麿『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 『神道人名辞典』神社新報社、1986年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
日本の爵位
先代
叙爵
子爵
高倉家(旧藪家)初代
1884年 - 1947年
次代
華族制度廃止