高倉篤麿
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高倉 篤麿(たかくら あつまろ、1880年〈明治13年〉2月15日[1] - 1964年〈昭和39年〉2月1日[1][2])は、日本の宮内官、神職、華族。貴族院子爵議員、伊勢神宮大宮司。旧姓・藪[1]。1936年(昭和11年)2月、高倉に復姓した[1][3][4]。
経歴
[編集]東京府で華族・藪実休(さねたる)の二男として生まれる[1][3]。1882年(明治15年)10月7日、祖父・藪実方の隠居に伴い家督を相続[1][3]。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[5]。1907年(明治40年)明治大学政治科を卒業し[2][3]、さらに東京外国語学校仏語専修科で学んだ[3]。
1890年(明治23年)侍従職出仕となり、1898年(明治31年)主猟官に転じた[2][3][6]。1914年(大正3年)1月24日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[7][8]、研究会に所属して活動し1940年(昭和15年)2月20日に辞任した[2][9][10]。同年、伊勢神宮大宮司に就任し、1951年(昭和26年)まで在任した[6]。その他、旧堂上華族保護資金調査委員を務めた[2]。墓所は多磨霊園(21-1-10)。
栄典
[編集]親族
[編集]- 父 藪実休(幼名・亀丸時代は明治天皇のお相手を務めた)[12]
- 妻 高倉篤子(あつこ、三条実美六女)[1]
- 養嗣子 高倉公朋(河鰭実英三男、医学博士)[1]
- 叔母・藪嘉根子(明治18年より昭憲皇太后崩御まで女官を務めた。元掌侍)[13][12]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成』下巻、8-9頁。
- ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』46頁。
- ^ a b c d e f 『人事興信録』第14版 下、タ103頁。
- ^ 『官報』第2730号、昭和11年2月10日。
- ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
- ^ a b 『神道人名辞典』483頁。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、23頁。
- ^ 『官報』第446号、大正3年1月26日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、50頁。
- ^ 『官報』第3939号、昭和15年2月24日。
- ^ 『官報』第1680号「叙任及辞令」1918年3月12日。
- ^ a b おいた盛りから 元掌侍 藪嘉根子 『明治大帝』(大日本雄弁会講談社, 1927)
- ^ 藪篤麿『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 『神道人名辞典』神社新報社、1986年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
子爵 高倉家(旧藪家)初代 1884年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |