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中郷村 (鳥取県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
なかのごうそん
中郷村
廃止日 1953年7月1日
廃止理由 新設合併
青谷町(初代)、勝部村中郷村日置谷村青谷町
現在の自治体 鳥取市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
気高郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 12.25 km2
総人口 1,457
[1]、1952年)
隣接自治体 青谷町(初代)、勝部村、日置村、日置谷村
東伯郡泊村
中郷村役場
所在地 鳥取県気高郡中郷村大字亀尻字深田156番1[2]
座標 北緯35度30分11秒 東経133度59分10秒 / 北緯35.5031度 東経133.986度 / 35.5031; 133.986座標: 北緯35度30分11秒 東経133度59分10秒 / 北緯35.5031度 東経133.986度 / 35.5031; 133.986
特記事項 座標は現在の中郷地区公民館位置
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中郷村(なかのごうそん[3][4][5]、ちゅうごうそん[6])は、鳥取県気高郡にあった自治体である。1896年(明治29年)3月31日までは気多郡に属した。

概要

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現在は鳥取市西端の青谷町亀尻・青谷町鳴瀧・青谷町北河原・青谷町山田・青谷町吉川・青谷町絹見・青谷町露谷、および青谷町栄町(青谷町亀尻の一部から設置[7])に相当する。勝部川中流域に位置した。

藩政時代には鳥取藩領の気多郡勝部中郷(かちべなかのごう)に属する吉川村(苔川村)・亀尻村・北河原村・鳴瀧村・山田村、絹見保(きぬみのほ)に属する絹見村、および露谷庄(つゆたにのしょう)に属する露谷村があった[1]

沿革

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  • 1883年(明治16年)3月 - 気多郡第七連合戸長役場を鳴瀧村に設置。なお吉川村・絹見村・露谷村は同六連合戸長役場(青谷村)の管轄区域となる[1]
  • 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、鳴瀧村・北河原村・山田村・亀尻村・吉川村・絹見村・露谷村が合併して村制施行し、気多郡中郷村が発足。旧村名を継承した7大字を編成し、役場を亀尻村に設置[1][4]
  • 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により、高草郡・気多郡の区域をもって気高郡が発足し、気高郡中郷村となる。
  • 1914年(大正3年)10月1日 - 「中郷村大字◯◯村」から大字の「村」を削除し、「中郷村大字◯◯」と改称[8]
  • 1953年(昭和28年)7月1日 - 青谷町(初代)・勝部村日置谷村と合併し、改めて青谷町(2代)が発足。同日中郷村廃止[9]

行政

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戸長

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  • 鳴瀧村外9ヶ村連合戸長役場:広富政蔵 - 後藤勘次郎[1][10]
    管轄区域:鳴瀧村・亀尻村・北河原村・山田村(後の中郷村の一部)、楠根村・紙屋村・田原谷村・八葉寺村・澄水村・桑原村(後の勝部村)[1][11]

歴代村長

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氏名 就任年月日 退任年月日 備考
後藤勘次郎 1889年(明治22年)11月 1893年(明治26年)11月
2 広富幸松 1893年(明治26年)11月 1894年(明治27年)11月
3 広富政蔵 1894年(明治27年)11月 1896年(明治29年)9月
4 山崎亀蔵 1896年(明治29年)9月 1899年(明治32年)12月
5 伊藤萬吉 1899年(明治32年)12月 1903年(明治36年)3月
6 渡辺鹿藏 1903年(明治36年)3月 1903年(明治36年)5月
7 伊藤萬吉 1903年(明治36年)5月 1907年(明治40年)6月
8 山崎輝蔵 1907年(明治40年)7月 1907年(明治40年)9月
9 広富政蔵 1907年(明治40年)9月 1907年(明治40年)11月
10 植田竹蔵 1907年(明治40年)12月 1908年(明治41年)8月
11 清水紋蔵 1908年(明治41年)8月 1909年(明治42年)3月
12 森源八 1909年(明治42年)3月 1911年(明治44年)11月
13 山崎輝蔵 1911年(明治44年)11月 1914年(大正3年)7月
14 後藤益蔵 1914年(大正3年)7月 1915年(大正4年)2月
15 後藤侃司 1915年(大正4年)3月 1917年(大正6年)5月
16 青木紋蔵 1917年(大正6年)7月 1918年(大正7年)12月
17 森竹蔵 1919年(大正8年)2月 1921年(大正10年)6月
18 鱸重吉 1921年(大正10年)10月 1923年(大正12年)12月
19 植田竹蔵 1924年(大正13年)1月 1926年(大正15年)1月
20 青木猪之吉 1926年(大正15年)1月 1930年(昭和5年)2月
21 小林甚平 1930年(昭和5年)2月 1934年(昭和9年)2月
22 森竹蔵 1934年(昭和9年)2月 1938年(昭和13年)2月
23 加藤辰次 1938年(昭和13年)2月 1946年(昭和21年)2月
24 広富潔 1946年(昭和21年)2月 1953年(昭和28年)6月30日 合併後、青谷町長代行を務めた
参考文献 - [1]

教育

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  • 中郷村立中郷小学校(後の鳥取市立中郷小学校、2007年閉校)
  • 中郷村外三か村学校組合立山西中学校(1947年4月 - 1948年3月):亀尻257番地に中郷村・勝部村・日置村・日置谷村の組合立として創設。しかし4ヶ村の組合立が地域的に困難であることから2ブロックに分かれることになり、1年で閉校した[1]
  • 中郷村勝部村学校組合立山西第一中学校(1948年4月以降):亀尻257番地に所在。合併後は青谷町立となる。1958年(昭和33年)9月30日統合により新・青谷中学校となり閉校、同第一校舎となる[1]

交通

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脚注

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関連項目

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