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中野有光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中野 有光(なかの ありみつ、1865年11月23日慶応元年10月6日[1]〉 - 1939年昭和14年〉4月11日[2])は、明治時代後期から昭和時代前期の政治家警察官僚統監府朝鮮総督府官僚。関東都督府官僚。広島県福山市長。幼名は輝松[3]。旧姓は広川[4]

経歴

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安芸広島藩御調郡、のちの美ノ郷村(現広島県尾道市)出身[1]。広川忠蔵の長男として生まれ、のち中野半兵衛の養子となる[4]1894年(明治27年)和仏法律学校を卒業し、1902年(明治35年)高等文官試験に合格[1]。翌年2月、山梨県属兼警部となり、警視庁属兼警部、大阪府警視を経て、1907年(明治40年)7月、富山県事務官に任じ警察署長となる[1]1909年(明治42年)2月、渡韓し警視となり、内務書記官を兼任したのち、統監府事務官兼警視、朝鮮総督府事務官を歴任し、1917年(大正6年)10月、青島守備軍民政部事務官に転じ、青島民政署長を任ぜられた[1]1919年(大正8年)1月、関東都督府事務官となり大連民政署長となった[1]。民政署長のとき、阿片事件に関与し懲役1年4か月の判決を受けた[5]

1921年(大正10年)3月、休職[1]1924年(大正13年)1月23日付で正五位返上を命じられ、同1月21日付で勲三等及び韓国併合記念章大礼記念章を褫奪された[6]1927年(昭和2年)9月7日、福山市長に就任した[1]。1939年(昭和14年)4月、死去[2]。墓所は福山市明王院[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 帝国自治協会 1938, 54頁.
  2. ^ a b c 福山市制六十周年記念誌「風雪に耐えて」編纂会 1977, 188頁.
  3. ^ 秦 1981, 456頁.
  4. ^ a b 人事興信所 1937, ナ93頁.
  5. ^ 『大阪朝日新聞』「阿片事件判決」大正11年8月9日。
  6. ^ 官報 1924年1月24日 三一七頁

参考文献

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