山本長市
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山本 長市(やまもと ちょういち、1902年(明治35年)5月[1] - 1966年(昭和42年)2月24日[2])は、日本の政治家。広島県松永市(現・福山市)長(2期)。旧姓「柳本」[3]。
経歴
[編集]広島県深安郡手城村(現福山市手城町・東手城町・南手城町)生まれ[3]。1921年(大正10年)旧制広島県立福山中学校(現・広島県立福山誠之館高等学校)卒業[4]。 1922年(大正11年)広島師範学校第二部卒業[4]。広島県内の小学校に勤務し、沼隈町立常石小学校、高須小学校、今津小学校、組合立大成館中学校の各校長となり[4]、 沼隈郡校長会会長に就任する[4]。その後、退職し、松永市教育長、松永塩業組合常務理事を経て[4]、1959年(昭和34年)12月松永市長石井謙三の辞職による市長選挙に立候補し、当選する[5]。1963年(昭和38年)に再選[6]。
在職中は松永市長として、福山市との合併に尽力するが、一方で尾道市を含めた3市合併を主張し、福山市との早期合併に慎重な市民から市長の山本に対するリコール運動が起こった。リコールの署名数の認定をめぐり紆余曲折があったが、法定署名数があったとして住民投票が1966年3月10日に行われる予定であった。しかし、山本は病気で入院し、2月に入院先の岡山大学附属病院で逝去した。
後継の市長選挙が福山市との事実上の合併を問う選挙となり、3月に合併推進派で前助役の矢野泰之が当選したことから[7]、合併への動きが加速され、松永市は5月1日に福山市に合併された。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。
- 広島県 編『広島県史』 現代、広島県、1983年。