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松永市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
まつながし
松永市
松永市章
松永市章
1954年9月制定
廃止日 1966年5月1日
廃止理由 新設合併
福山市、松永市 → 福山市
現在の自治体 福山市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 広島県
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 50.26km2
総人口 34,610
(1966年5月1日)
隣接自治体 尾道市、福山市、芦品郡芦田町沼隈郡沼隈町
松永市役所
所在地 729
広島県松永市松永町三丁目1番29号
座標 北緯34度26分59秒 東経133度15分25秒 / 北緯34.44964度 東経133.257度 / 34.44964; 133.257座標: 北緯34度26分59秒 東経133度15分25秒 / 北緯34.44964度 東経133.257度 / 34.44964; 133.257
特記事項 市役所は現在、福山市役所松永支所となっている。
ウィキプロジェクト

松永市(まつながし)は、かつて広島県に存在したである。

1966年5月1日福山市と合併し、新たに福山市を新設した(新設合併)。福山・松永両市での合併は中国地方では初めての市同士の合併であった。

沿革

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歴代市長

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  • 石井謙三 (初代、2代) 1954年5月2日 - 1959年11月9日[1]
  • 山本長市 (3代、4代) 1959年12月23日[2] - 1966年2月24日
  • 矢野泰之 (5代) 1966年3月13日 - 5月1日

第4代の山本市長は福山市との早期の合併に慎重な市民(将来、松永市と福山市に尾道市を加えた3市合併を主張していた)からリコール運動を起こされ、署名数の認定をめぐり紆余曲折があったが、法定署名数があったとして住民投票が1966年3月10日に行われるはずであった。しかし山本市長が2月に入院先の岡山大学附属病院で病死したため、新市長選挙が事実上の合併を問う選挙となり、合併推進派の矢野市長が当選したことから、わずか2ヶ月で福山市との合併が決行された。[3]

地理

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  • 福山藩士の本庄重政が播磨国赤穂塩田技術を応用し、当時は干潟であった松永湾を干拓し塩田を開設した跡地が現在の主要市街地で旧福山市側中心市街地とは独立した市街を形成している。沼隈半島向島百島に囲まれた安定した松永湾の海域に貯木場が設けられた。

河川

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  • 新川
  • 鍋田川
  • 羽原川
  • 藤井川
  • 本郷川

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  • 大谷山(401.3m)
  • 馬背山(298.5m)
  • 竜王山(221.3m)
  • 鏡山(147.5m)

産業

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観光

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町名

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  • 今津町(いまづちょう)
  • 金江町金見(かなえちょうかなみ)
  • 金江町藁江(かなえちょうわらえ)
  • 神村町(かむらちょう)
  • 高西町川尻(たかにしちょうかわじり)
  • 高西町真田(たかにしちょうさなだ)
  • 東村町(ひがしむらちょう)
  • 藤江町(ふじえちょう)
  • 本郷町(ほんごうちょう)
  • 松永町(まつながちょう)
  • 柳津町(やないづちょう)
  • 宮前町(みやまえちょう)

交通

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鉄道

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道路

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教育

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小学校

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中学校

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高等学校

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備考

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1950年代、松永湾に川崎製鉄の工場を誘致する計画があり、最終的に残った倉敷市水島との誘致活動に負けた。招致に成功していれば、合併も無くなっていた可能性がある[要出典]

脚注

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注釈

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  1. ^ 1960年に廃止。
  2. ^ 生徒数減少により1970年福山市立大成館中学校に統合され消滅。

出典

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  1. ^ 『朝日新聞』1959年11月10日朝刊2面。
  2. ^ 『朝日新聞』1959年12月24日朝刊1面。
  3. ^ 福山史編纂委員会編「福山史 下篇」 1968年(1978年再版)発刊

関連項目

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外部リンク

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