丹霞郷
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丹霞郷(たんかきょう)は、長野県飯綱町の南部に位置する桃畑である。毎年5月の連休ごろ、地元住民主催により「丹霞郷花まつり」が開催される。
概要
[編集]1968年(昭和43年)に平出地区につくられた10haほどの桃専用果樹園に、約900本の桃の木がある。桃の花が一面に咲き、背景に北信五岳がそびえる様子は美しく、飯綱町の観光名所となっている。しかし、近年は果樹園での栽培農家が減り、桃は少なくなった。[1][2][3] 丹霞郷の名前の由来は、1933年(昭和8年)春、桃の花の満開のころ、洋画家 岡田三郎助がこの地を訪れたところ、「まるで丹(あか)い霞がたなびいているようだ。」と言ったことから命名された[4]。
歴史
[編集]- 1933年(昭和8年)春 - 豊野村商工会で町発展の一環として事業を計画し、長野市出身の国会議員田中弥助を介して、当時の帝展審査員 岡田三郎助のほか、和田三造・町田曲江・加藤静児ら一流の画家を招いて豊野近郷の名所を訪ね歩いた。たまたま平出地区の庚申塚古墳周辺を訪れ、桃の花の満開の様を桃源郷の風景にもなぞらえて描画された。この時、平出の前田盛之助園芸組合長が案内をして、丹霞郷と名づけてもらう。
- 1938年(昭和13年) - 田中弥助から和田三造画伯書の大額が平出神社に寄進される。
- 1968年(昭和43年) - それまで庚申塚古墳の南側周辺にあった丹霞郷が、この年の構造改善事業によって、東方の俗称十文字の山林9町歩を新たに桃畑として造成し加える。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 牟礼村誌・学校誌編纂委員会『牟礼村誌』上巻、420-421頁。