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久野収

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
久野 収
人物情報
生誕 (1910-06-10) 1910年6月10日
日本の旗 日本大阪府堺市
死没 1999年2月9日(1999-02-09)(88歳没)
出身校 京都帝国大学
学問
研究分野 哲学思想史
研究機関 昭和高等商業学校学習院大学
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久野 収(くの おさむ、1910年明治43年〉6月10日 - 1999年平成11年〉2月9日)は、日本の哲学者、思想評論家

経歴

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生い立ち(戦前まで)

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1910年、大阪府堺市生まれ。奈良県立五條中学校(現:奈良県立五條高等学校)、第五高等学校を経て、1934年京都帝国大学文学部哲学科卒業[1]。京都帝国大学在学中の1933年、学生の立場で「滝川事件」に関わる。

大学卒業後は、中井正一らと共に1935年に雑誌『世界文化』にかかわる。1936年からは隔週刊新聞『土曜日』にかかわる。これら雑誌のようなマルクス主義とは一線を引いた、軍国主義反対のメディア刊行物の発行を行ってゆく。久野は一時期、中井正一宅に居候をしていて、先輩の中井を支えた。しかし、1937年治安維持法違反で逮捕された(1939年に釈放)。1936年から1938年2月まで昭和高等商業学校(現:大阪経済大学)に勤務[2]

戦後

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戦後は、思想の科学研究会の主要メンバーとなり、60年安保反対闘争ベトナムに平和を!市民連合などの思想的指導者として活動。学習院大学専任講師を長らく務め、その後教授になる。

風流夢譚事件が起きた際の思想の科学研究会の会長だった[3]1962年には、有限会社「思想の科学社」の初代社長に就任。雑誌『思想の科学』編集長も務めた[4]1993年には『週刊金曜日』の創刊にも関わり、死去するまで編集委員を務めた。

死後の関連事項

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活動内容・業績

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  • 体系だった著作や、いわゆる「主著」と呼ばれるものがないものの、多くの評論や対談などを通じて、戦後日本の政治思想や社会思想に大きな影響を与えた。「戦後民主主義」の形成に寄与した人物の一人である。
  • 久野を理解するキーワードは「市民」であるといわれている。「政治的市民の復権」という書名が示すように、それは政治と無縁に生きる市民ではなく、状況と参画して生きる「市民」像であった。

久野に対する批判

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林房雄から山田宗睦1965年に刊行した『危険な思想家』に「ここには彼の血がほとばしっている[5]」という「外科医的讃辞を書いている[5]」推薦文を寄せたことを批判されており[6]竹内洋によると吉本隆明から山田や久野らは自分たちのネットワークを壊し孤立させようとしている学者を告発しているに過ぎないと批判されている[7][注釈 1]

著作

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単著

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共編著

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  • 『現代日本の思想―その五つの渦』鶴見俊輔岩波新書 1956
  • 『哲学の名著』毎日新聞社 1959
  • 『戦後日本の思想』鶴見俊輔、藤田省三共著、中央公論社 1956、勁草書房 1966、講談社文庫 1976、岩波同時代ライブラリー 1995、岩波現代文庫 2010
  • 『思想の科学事典』鶴見俊輔共編 勁草書房 1969
  • 『現代への視角』松田道雄五木寛之共著 三一新書 1972
  • 『わが心のスペイン』五木寛之斉藤孝共著 晶文社 1972
  • 『思想のドラマトゥルギー』林達夫対談、平凡社 1974、のちライブラリー
  • 『天皇制』論集 神島二郎共編 三一書房 1974
  • 『人間・労働・技術』星野芳郎共著、三一新書 1977
  • 『思想の折り返し点で』鶴見俊輔 朝日新聞社 1990、のち選書、岩波現代文庫
  • 『回想の林達夫』日本エディタースクール出版部 1992.9
  • 『久野収市民として哲学者として』高畠通敏聞き手 毎日新聞社 1995.9
  • 『市民の精神 利を越えて理に生きる』佐高信共著 ダイヤモンド社 1995.1
  • 城山三郎と久野収の「平和論」』〈共著/城山三郎 編/佐高信〉七つ森書館 2009ISBN 9784822809898

翻訳

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関連図書

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  • 佐高信『面々授受 市民久野収の生き方』岩波書店 2003 ISBN 4000022601

関連項目

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脚注

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出典

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  1. ^ 京都帝国大学一覧 昭和9年』京都帝国大学、1934年、457頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1447092/236 
  2. ^ 昭和高等商業学校 編『昭和高等商業学校一覧 自昭和14年4月至昭和15年3月』昭和高等商業学校、1939年、55頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1441086/34 
  3. ^ 黒川創『鶴見俊輔伝』(新潮社)P.324
  4. ^ 『「思想の科学」五十年 源流から未来へ』(思想の科学社)p.56
  5. ^ a b 林房雄『大東亜戦争肯定論』番町書房 1970 p.606
  6. ^ 林房雄 『大東亜戦争肯定論』 番町書房 1970 p.606
  7. ^ 竹内洋『革新幻想の戦後史』中央公論新社、2011年10月、326頁。ISBN 978-4-12-004300-0 

注釈

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  1. ^ 展望』1965年10月号 吉本隆明「わたしたちが山田宗睦の著書や、この著書におおげさな推薦の辞をよせている市民民主主義者や進歩主義者の心情から理解できるのは、じぶんたちがゆるく結んでいる連帯の人的なつながりや党派的なつながりが崩壊するのではないか、孤立しつつあるのではないかという深い危機感をかれらが抱きはじめているということだけである。そして、かれらの党派を崩壊させるような言葉をマスコミのなかでふりまいているようにみえる文学者政治学者経済学者を〈告発〉しようというわけだ。」

外部リンク

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