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平地区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
九品寺町から転送)
平地区
たいらちく
日章旗 日本
地方 東北地方
都道府県 福島県
自治体 いわき市
旧自治体 平市
世帯数
38,545世帯
総人口
98,077
住民基本台帳、2012年4月1日現在)
隣接地区 内郷地区常磐地区小名浜地区四倉地区小川地区好間地区三和地区
いわき市役所平地区
北緯37度3分1.51秒 東経140度53分15.65秒 / 北緯37.0504194度 東経140.8876806度 / 37.0504194; 140.8876806座標: 北緯37度3分1.51秒 東経140度53分15.65秒 / 北緯37.0504194度 東経140.8876806度 / 37.0504194; 140.8876806
平地区の位置(福島県内)
平地区
平地区
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平市街 (2012年)
いわき駅前 (2012年)
平地区中心部周辺の空中写真。1975年撮影の8枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

平地区(たいらちく)は、現在の福島県いわき市の中北部にある地区。夏井川流域に位置する旧城下町である。1966年10月の大規模合併前には、平市(たいらし)というであった。旧磐前郡1896年より石城郡)。

戦国時代(16世紀初頭)ごろから岩城氏の本拠地として「平」という地名が見られるようになる。江戸時代には「岩」の字が変更されて磐城平(いわきたいら)と呼ばれていたが、戊辰戦争奥羽越列藩同盟明治政府に敗けた結果、漢字一字の「平」に改名された。

概要

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福島県浜通りの南部に位置する旧城下町である。平安時代末期から戦国時代までは岩城氏の本拠地として、江戸時代には内藤氏安藤氏などが治める磐城平藩の城下町として盛えた。廃藩置県当初の1872年1月9日から1876年8月20日までは、現在の浜通りを範囲とする磐前県の県庁所在地であった。

現在でもいわき市の中心地区であり、また浜通り地方の最大の商業地区を形成している。

浜通りから茨城県宮城県中通りの三方を結ぶ交通拠点であるが、明治維新以降は常磐線など茨城県からの交通網が早く整備されたため、南の茨城県北東部(日立市水戸市など)との繋がりが最も深い。

地理

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太平洋に面していることもあり、気候は年間通して温暖で、でもは少ない。

地名の由来

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「平」の由来には諸説がある。

一つは、岩城則道が本拠地を構えた時に、妻の徳姫(とくひめ。藤原清衡の娘)がかつて居住していた平泉に因んで、中心部を「平」と称して、郊外を「白水」と称したという説である[1]

もう一つは、阿武隈高地太平洋に挟まれた地域の中でも、平坦な地形が比較的広かった点に由来する説である。

令制国陸奥国を頭に付ける際には、「陸奥磐城平」「奥州磐城平」というように、徳川時代の名称であった磐城平(いわきたいら)で呼称されることが多い。「いわ」の字が「岩」から「磐」に変更された時期は、鳥居忠政が入府した時である[2]

行政

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官公署

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いわき市の機関

警察・消防

国の機関

福島県の機関

  • 福島県いわき合同庁舎

行政区(町大字水準)

経済

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浜通り最大の商業地区となっており、市街地向き大型店鋪映画館も集中している。商圏は磯原から富岡までに及ぶ。また、城下町から発達したためか、行政都市や商業都市という色が濃い。

2000年代以後は郊外化に悩まされており、平市街地の落ち込みが激しい。2001年には、平字中町にあった百貨店大黒屋が経営破綻するなど、険しい環境にある。2007年にはいわき駅ビル「ヤン・ヤン」が閉鎖され、ペデストリアンデッキとバスロータリーとなり、代わって2007年10月25日にいわき駅前再開発ビル「ラトブ」が開設され、風景や人の流れが一変している。

主要学校

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高等専門学校

私立大学

交通

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鉄道

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道路

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十五町目交差点
  • 道路元標十五町目交差点(国道6号(陸前浜街道)と国道399号(磐城街道)の交点)
    (※ 事実上の道路元標は尼子橋北口に位置する内郷御台境交差点で、ここは国道6号本線と国道49号旧道の交差点。)

最寄りの高速道路

国道

観光地

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白水阿弥陀堂は、いわき駅より内郷駅の方が近い。

施設

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娯楽施設

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文化施設

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商業施設

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駅前再開発ビル

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公園

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脚註

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  1. ^ 現在でも、徳姫に因んだ地名として、国道6号の「尼子橋」がある。
  2. ^ 龍ヶ城美術館の館員の話による。鳥居忠政は岡崎出身で、同郷の徳川家康の幼なじみ。岩城氏は関ヶ原合戦で徳川軍に与しなかったため、「岩城」の字を使うことを嫌った。

関連項目

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外部リンク

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