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五百峠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
五百峠
五百峠(右奥は大倉岳高原スキー場山頂部へ通じる)
所在地 石川県小松市
座標
五百峠の位置(日本内)
五百峠
北緯36度16分25.27秒 東経136度32分2.97秒 / 北緯36.2736861度 東経136.5341583度 / 36.2736861; 136.5341583座標: 北緯36度16分25.27秒 東経136度32分2.97秒 / 北緯36.2736861度 東経136.5341583度 / 36.2736861; 136.5341583
標高 450 m
山系 大倉岳・動山
通過路 国道416号(五百峠トンネル)
プロジェクト 地形
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国道416号標識 五百峠(ごひゃくとうげ)は、石川県小松市にある標高450m[1]である。

概要

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小松市南部の西尾地区の最南部、郷谷川(一級河川梯川支流)の最上流部である尾小屋町と、新丸地区北端部であり、一級河川手取川の支流の1つである大日川沿いの丸山町との境に位置する。最頂部周辺はスギなどの木々が生い茂っているが、後述の五百峠トンネルを境に、トンネル北側は大倉岳(標高650.7m)を、南側は動山(ゆるぎやま・標高604.3m)や、遠く加賀平野を望むことができる。

歴史

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木々が生い茂り、通行困難であった当峠を、斧500挺を使って切り開いたことから名づけられたと伝えられている[2]

かつてのルートは郷谷往来(郡道小松新丸線)と呼ばれ、現在の尾小屋町から、尾小屋鉱山資料館に併設されたポッポ汽車展示館付近に位置する白山市阿手町(旧石川郡鳥越村阿手)に至るルートとの交差点を南に分岐し、丸山道と呼ばれた集落跡[3]や現在の大倉岳高原スキー場付近にあった500枚の小さな棚田を経て、更に20以上の九十九折りの急坂を行くものであった[4]が、1919年大正8年)以降10年に渡り、五百峠トンネルの開鑿などといった大工事を行い、自動車が通行できる現在のルートとなった[5]

このルートは郡道小松新丸線(郷谷往来)から新丸小松線(七十四號)として県道に認定され[6]、その後丸山上本折線(64号)[7]主要地方道小松勝山線[8]を経て、現在の国道416号[9]となっている。新丸村の村制時代から小松市中心部へ至るメインルートである[5]

現況

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五百峠トンネル付近の様子

かつての郷谷往来は廃道となり、当時の五百峠を示す標識などは設置されていない[10]。現在の峠道である国道416号の最頂部は分岐点となっており、大倉岳高原スキー場山頂部の無料休憩所であるホットハウスや綿谷に沿って大日湖(大日川ダム)に至る道路[11]が通じている。このうち、綿谷に沿って大日湖畔へ通じる道路は、かつての県道深瀬尾小屋停車場線[12]の一部であり、ダム湖に沈んだ小松市小原町のある大日湖畔へ至る。

峠に通じる国道416号の峠前後の車道は1車線の幅員である。峠北側はところどころに自動車が行き違いできる程度の拡幅が施されているものの、急坂急勾配の坂道が続き、また自動車の行き違いが困難な断崖絶壁の狭隘部も存在している。対照的に、峠南部は比較的緩い坂道で、見通しの良い直線区間もある。

新丸地区の過疎化が進行し、同地区全域が冬期無人集落となったことから、現在では当峠を含む尾小屋町以南の国道416号は、毎年12月上旬頃から翌年4月下旬頃まで閉鎖される。

五百峠トンネル

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五百峠トンネル

五百峠の北にある、小松市尾小屋町に位置する国道416号のトンネルである。延長81m[13]、総幅員3.4m[13]。路面はコンクリートで舗装されており[13]、平面線形は直線[13]で、縦断勾配0.5%[13]である。照明設備は無く、非常電話消火器火災報知機といった非常施設も設置されていない[13]。有効高4.0m[13]であるが、高さ制限3.1mの規制標識がトンネルの前後に、また尾小屋町の国道416号の異常気象時閉鎖(冬期閉鎖)ゲートにも同様の看板が標示されている。

周辺

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  • 大倉岳高原スキー場:1923年(大正12年)の開業当初は「尾小屋高原スキー場」と呼ばれていた。
  • 大日川ダム

脚注

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  1. ^ 角川日本地名大辞典 17 石川県』 p385、角川書店1981年
  2. ^ 川良雄編集『小松市史 3 市政篇』 p276、小松市教育委員会、1963年
  3. ^ 別名「小屋町」と呼ばれた集落で、1954年昭和29年)に廃村となった。
  4. ^ 『石川県能美郡誌』 p1141、能美郡役所、1923年
  5. ^ a b 川良雄著『新丸村の歴史』 p337、1966年
  6. ^ 『大正十二年四月一日 石川縣公報 號外』 三百八十一頁 大正十二年四月一日 石川縣告示第百九十五號。
  7. ^ 『昭和35年10月15日 石川県公報 号外(第67号)』 p1218の25 昭和35年10月15日 石川県告示第505号。
  8. ^ 「『法令全書 昭和46年3月号』 p905 昭和四十六年六月二十六日 建設省告示第千六十九号」で主要地方道に指定され、「『昭和47年3月21日 石川県公報 第8386号』 p8 昭和47年3月21日 石川県告示第219号」で路線認定。
  9. ^ 「『法令全書 昭和56年4月号』 p31 昭和五十六年四月三〇日 建設省告示第百五十三号」で指定され、1982年(昭和57年)4月1日に施行。
  10. ^ 『北陸の峠』 p51 チューエツ メディア制作室出版部、1999年
  11. ^ 2015年7月11日現在 通行止めとなっている。
  12. ^ 1944年(昭和19年)1月に「『昭和十九年一月二十二日 石川縣公報 號外』 千百三四頁 昭和十九年一月二十二日 石川縣告示第七百九十七號」で路線認定。能美郡(のちの石川郡)尾口村深瀬(現在の白山市深瀬)から能美郡新丸村杖(現在の小松市津江町)、同村小原(現在の小松市小原町)を経て尾小屋鉄道尾小屋駅に至る県道であったが、1960年(昭和35年)10月に「『昭和35年10月15日 石川県公報 号外(第67号)』 p1218の21 昭和35年10月15日 石川県告示第504号」で路線廃止。
  13. ^ a b c d e f g 『道路現況調書』 p138-p139 石川県土木部道路整備課、2010年

参考文献

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  • 川良雄編集 『小松市史 3 市政篇』 小松市教育委員会、1963年
  • 川良雄著 『新丸村の歴史』、1966年
  • 『角川日本地名大辞典 17 石川県』 角川書店、1981年
  • 『書府太郎 石川県大百科事典 改訂版』北國新聞社、2005年
  • 『道路現況調書』 石川県土木部道路整備課、2010年

関連項目

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