井上久雄
Hisao INOUE | |
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基本情報 | |
名前 | 井上 久雄 |
生年月日 | 1947年4月30日(77歳) |
身長 | 173 cm (5 ft 8 in) |
体重 | 74 kg (163 lb) |
国籍 | 日本 |
出身地 | 佐賀県 |
経歴 |
井上 久雄(いのうえ ひさお、1947年4月30日 - )は佐賀県出身のプロゴルファー。
来歴
[編集]有田工業高校卒業[1]後はオーツタイヤに入社し、準硬式野球を続ける[2]。25歳で岸和田CCの事務に転じたことでゴルフに魅せられ、プロを目指すため西脇CCに移り、1976年に1回目のテストで合格[2] [3]。
1980年にはアジアサーキット・韓国オープンで2日目に日本勢最高の6位[4]に着け、最終日には陳志明(中華民国)と1打差の2位タイ[5]に入り、1982年の兵庫県オープンでは金山和雄の3位[6]に入った。
1984年には兵庫県オープンで前田新作・吉川一雄・甲斐俊光・山本洋一に次ぐと同時に友利勝良・入江勉・木村政信と並んでの6位タイ[7]、デザントカップ北国オープンでは前田・許勝三(中華民国)・海老原清治・草壁政治に次ぐと同時に泉川ピート・鈴村照男を抑えての5位に入った[8]。
1985年の関西オープンでは入江勉に次ぐと同時に杉原輝雄・島田幸作を抑え、山本善隆と並んでの2位タイに入った[9]。
1987年の富山県オープンでは最終日に67をマークし、芹澤信雄・須貝昇に次ぐと同時に秋富由利夫と並んでの3位タイ[10]に入り、1991年にはミズノTOKYOオープンで優勝[2]。
プロ入り17年目の1992年、45歳3ヵ月16日でアコムインターナショナルに優勝、ツアーの最年長初優勝記録を作る[3]。それまで鈴村照が持っていたツアー最年長初優勝記録44歳を更新、併せて最年長初シードの記録も打ち立てた[11]。その後はサントリーオープンでは尾崎直道・尾崎健夫・湯原信光・横島由一、ウェイン・グラディ(オーストラリア)に次ぐと同時に青木基正・大町昭義・尾崎将司・渡辺司、フランキー・ミノザ(フィリピン)と並んでの6位タイ[12]に入り、日本シリーズでは陳志、トッド・ハミルトン(アメリカ)、尾崎直・渡辺に次ぐ5位[13]と健闘。
1993年はデサントクラシックで西川哲・奥田靖己・羽川豊に次ぐと同時に横島と並んでの6位タイ[14]、1994年の同大会ではブライアン・ワッツ(アメリカ)に次ぐと同時にミノザ・加瀬秀樹・渡辺と並んでの2位タイ[15]に入る。
1994年の三菱ギャランでは友利・中嶋常幸・陳・尾崎将に次ぐ6位[16]、1996年の札幌とうきゅうオープンでは飯合肇に次ぐと同時に鈴木亨・木村と並んでの5位タイ[17]に入った。
1997年にシニア入りし、日本シニアオープンでは5位タイに入る[18]。
1998年のコマツ名古屋テレビオープンでは2位以下に6打差を付けるぶっち切りでシニア初優勝を果たし[3]、キャッスルヒルオープンでは2位タイに入り、賞金ランキングでは3位に入った[18]。レギュラーツアーでも推薦出場したミズノオープンで初日に8アンダーで首位に立ち[19] [20]、スコア64は瀬戸内海GCのコースレコードとなる[21]。
1999年は日本プロシニア・日本シニアオープンで共に5位タイと健闘し賞金ランク6位、2000年は十傑入りが日本シニアオープン6位タイのみに終わったが、2001年は出場6試合中5試合で十傑入りし賞金ランク6位であった[18]。
2001年のつるやオープン[22]を最後にレギュラーツアーから引退し、2002年にはアサヒ緑健TVQシニアで上田鉄弘・須貝をプレーオフで破り4年ぶり2度目のシニア優勝を飾った[3]。
2003年はビックライザックで高橋勝成と優勝を争い3打差の2位に入り[23]、2004年は予選落ちはなく、PPTリボーネストで3位タイ、日本プロシニアで6位タイと健闘[24]。
2005年はPPTリボーネストの6位タイが最高で賞金ランク27位としシード権を守り、シニア特別協力競技のフィフティズキッズオープンで優勝[25]。
60歳を迎えた2007年も安定したゴルフは健在で、シニア入りから10年連続でシードを守り続けた[11]が、2013年のいわさき白露シニアを最後にシニアツアーから引退[18]。
その後は大腸がんを患い、それを克服したものの、雪が残っていた下り坂を走っている時に転倒して右肘を骨折[26]。さらにその後、練習疲労による腰椎圧迫骨折と不慮のケガを乗り越えて、プロゴルファーを続ける[26]。
2019年の日本プロゴールドシニアでは4バーディー・2ボギー・1トリプルボギー72でフィニッシュし、72歳でエージシュートを達成し、首位に1打差の2位タイに着けた[26]。
主な優勝
[編集]- レギュラー
- 1991年 - ミズノTOKYOオープン
- 1992年 - アコムインターナショナル
- シニア
- 1998年 - コマツ名古屋テレビオープン
- 2002年 - アサヒ緑健カップTVQシニア
- 2005年 - フィフティズキッズ
- 2007年 - 日本プログランドシニア
- 2008年 - 日本プログランドシニア
- 2011年 - 日本プログランドシニア
- 2015年 - 関西プロゴールドシニア
脚注
[編集]- ^ “井上 久雄選手 プロフィール - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年9月29日閲覧。
- ^ a b c 日外アソシエーツ「スポーツ人名事典 新訂第3版」、2002年1月1日、ISBN 4816917012、p69。
- ^ a b c d “2003選手紹介”. 2004年5月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月5日閲覧。
- ^ 毎日新聞縮刷版p599 昭和55年4月19日朝刊19面
- ^ 毎日新聞縮刷版p655 昭和55年4月21日朝刊19面
- ^ 朝日新聞縮刷版p680 昭和57年7月18日朝刊16面
- ^ 朝日新聞縮刷版p306 昭和59年7月8日朝刊16面
- ^ 朝日新聞縮刷版p615 昭和59年7月16日朝刊19面
- ^ “フルリーダーボード 関西オープン 1985 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年9月29日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p796 昭和62年7月19日朝刊24面
- ^ a b “2007シニア選手紹介”. www.pga.or.jp. 2023年9月29日閲覧。
- ^ “フルリーダーボード サントリーオープン 1992 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年9月29日閲覧。
- ^ “ゴルフ日本シリーズ日立カップ 1992 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年9月29日閲覧。
- ^ “フルリーダーボード デサントクラシック マンシングウェアカップ 1993 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年9月29日閲覧。
- ^ “デサントクラシック マンシングウェアカップ 1994 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年9月29日閲覧。
- ^ “フルリーダーボード 三菱ギャラントーナメント 1994 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年9月29日閲覧。
- ^ “フルリーダーボード 札幌とうきゅうオープンゴルフトーナメント 1996 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年9月29日閲覧。
- ^ a b c d “井上 久雄 イノウエ ヒサオ HISAO INOUE”. www.smile-pga.jp. 2023年9月29日閲覧。
- ^ “8アンダー首位はなんとシニアの井上久雄! - ゴルフニュース”. golfdigest.co.jp. 2023年9月29日閲覧。
- ^ “1998年06月25日 首位に立った井上久雄 ミズノ・ゴルフ第1日”. kyodonews.jp. 2023年9月29日閲覧。
- ^ “〜全英への道〜 ミズノオープン 2001 「勝ってイギリス!!」”. www.jgto.org. 2023年9月29日閲覧。
- ^ “井上 久雄選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年9月29日閲覧。
- ^ “2004選手紹介”. www.pga.or.jp. 2023年9月29日閲覧。
- ^ “2005シニア選手紹介”. www.pga.or.jp. 2023年9月29日閲覧。
- ^ “2006シニア選手紹介”. www.pga.or.jp. 2023年9月29日閲覧。
- ^ a b c “〈日本ゴールド・1R〉ケガや病気を克服した井上が狙う60台で「優勝」”. 2023年9月29日閲覧。