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上田鉄弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 上田 鉄弘 
Tetsuhiro UEDA
基本情報
名前 上田 鉄弘
生年月日 (1939-11-25) 1939年11月25日(84歳)
身長 164 cm (5 ft 5 in)
体重 58 kg (128 lb)
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県
経歴
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上田 鉄弘(うえだ てつひろ、1939年11月25日 - )は福岡県出身のプロゴルファー

来歴

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藤井義将の指導を受け[1]1961年にプロ入り[2]

1967年の西日本オープンでは予選ラウンドを首位で折り返すが、最終日12番ホールでアマチュアの中部銀次郎に追いつかれる[3]。14番ホールでは中部がバーディをもぎとり、逆に上田はボギーで逆転を許し、最終的には藤井と並んでの6位タイに終わる[3]

1967年にはブリヂストントーナメントで優勝し[4]1968年の西日本サーキットBSシリーズでは内田繁中村寅吉豊田明夫と並んでの5位タイ[5]に入り、同年の日本プロでは初日を井岡誠と共に首位と1打差2位タイ[6]に着ける好スタートを切った。

1969年の西日本オープンでは細石憲二の2位に入り[7]1971年の同大会では尾崎将司を抑えて優勝[8]するなど、九州を代表するトッププロとして活躍[9]

九州オープンでは鈴木規夫秋富由利夫に阻まれて優勝に手が届かなかったが、1972年1977年は2位[10] [11]1974年は3位[12]1978年は4位[13]1979年1984年は5位[14] [15]1976年は6位[16]と7度の十傑入りがあった。

1975年沖縄クラシックでは2日目に好コンディションでアンダーパーが続出した中、前日11位から68でまとめ、通算4アンダーの140で首位に立った[17]

1977年の阿蘇ナショナルパークオープンでは2日目に横島由一と並んでの9位タイに浮上[18]し、最終日には尾崎将と並んでの4位タイ[19]に入った。

1978年の阿蘇ナショナルパークオープンでは初日の3番でホールインワンを達成[20]

1983年ペプシ宇部トーナメントでは好コンディションで58人がアンダーパーというバーディラッシュの初日[21]にパットが冴えて[22]デビッド・イシイアメリカ)と並んで首位タイ[23]に立ち、2日目には石井秀夫と並んでの2位タイ[24]、3日目には牧野裕・石井と並んでの3位タイ[25]とし、最終日には4位[26]に入った。

1983年からは九州を代表して関西プロゴルフ協会理事に選出され、1989年以降は日本プロゴルフ協会理事として関東・関西プロゴルフ協会統一(1993年)に尽力する[9]。ゴルフ場監修や経営にも参加し、プロゴルファーの職域拡大、地位向上に寄与[9]

1989年の九州オープン[27]を最後にレギュラーツアーから引退し、同年からはシニア入り。シニアデビュー戦の関西プロシニアに優勝し、賞金ランキング7位[28]に入った。

1990年日本プロシニアでは金井清一内田袈裟彦に次ぐと同時にビル・ダンクオーストラリア)と並んでの3位タイに入り[29]1992年は関西プロシニアで10位タイ[30]、BMWクラシックin北海道サム・スニードカップでは天野勝石井裕士許渓山中華民国)・鈴村照男と並んでの4位タイ[31]、KTVプロシニアではエリュテリオ・ニバル(フィリピン)、謝敏男(中華民国)と並んでの2位タイ[32]、とうきゅうシニアカップでは小川清二・鈴村と並んでの2位タイ[33]に入った[2]

1993年は第一生命カップでニバルと並んでの6位タイ[34]、近鉄ホームシニアでは今井昌雪・謝敏と並んでの5位タイ[35]に入った[2]

1994年はミズノシニアクラシックを3日間全て60台をマークし、石井・寺本一郎新井規矩雄・内田袈・鈴村・内田・金井・菊地勝司橘田光弘木本挙国を抑えて優勝し[36]、旭国際ヴィンテージでは小川・許・橘田・ダンク・寺本と並んでの7位タイ [37]に入る[2]

1999年は関西プログランドシニア2位[38]、日本プログランドシニアトーナメントでは内田の2位タイ[39]、日本プログランドシニアでは鈴村久佐藤精一に次ぐ3位タイ[40]に入った。

2002年にはアサヒ緑健TVQシニアで井上久雄須貝昇とのプレーオフ[41]の末に2位タイに入り[42]2003年のPGAフィランスロピービッグライザックシニアを最後にシニアツアーから引退[2]

後輩プロの指導や地域のアマチュアの育成に取り組むと同時にゴルフの普及、振興にも努め、2004年には日本プロスポーツ大賞功労賞を受賞[9]

主な優勝

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レギュラー
  • 1967年 - ブリヂストントーナメント
  • 1971年 - 西日本オープン
シニア
  • 1989年 - 関西プロシニア
  • 1994年 - ミズノシニアクラシック

脚注

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  1. ^ ジャンボ生みの親、“玄海の荒法師”藤井義将氏が死去 - ゴルフ総合サイト ALBA Net
  2. ^ a b c d e 上田 鉄弘 ウエダ テツヒロ TETSUHIRO UEDA
  3. ^ a b 【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】門司ゴルフ倶楽部。アマ中部銀次郎がプロを破った1967年、西日本オープン「前編」
  4. ^ 男子トーナメント年度別一覧表 - 日本プロゴルフ殿堂
  5. ^ 「BSCCの歴史」ブリヂストンカンツリー倶楽部公式ウェブサイト
  6. ^ 第36回日本プロゴルフ選手権(1968年)
  7. ^ 男子トーナメント年度別一覧表 - 日本プロゴルフ殿堂
  8. ^ 男子トーナメント年度別一覧表 - 日本プロゴルフ殿堂
  9. ^ a b c d PGAニュース
  10. ^ 1972年度連盟主催上位成績表 | 九州ゴルフ連盟(GUK)
  11. ^ 1977年度連盟主催上位成績表 | 九州ゴルフ連盟(GUK)
  12. ^ 1974年度連盟主催上位成績表 | 九州ゴルフ連盟(GUK)
  13. ^ 1978年度連盟主催上位成績表 | 九州ゴルフ連盟(GUK)
  14. ^ 1979年度連盟主催上位成績表 | 九州ゴルフ連盟(GUK)
  15. ^ 1984年度連盟主催上位成績表 | 九州ゴルフ連盟(GUK)
  16. ^ 朝日新聞縮刷版p545 昭和51年7月17日朝刊17面
  17. ^ 毎日新聞縮刷版p413 昭和50年1月18日朝刊11面「上田、一挙トップ 沖縄ゴルフ
  18. ^ 朝日新聞縮刷版p324 昭和52年4月10日朝刊16面「新井規ら三人首位に並ぶ 阿蘇オープン・ゴルフ
  19. ^ 朝日新聞縮刷版p358 昭和52年4月11日朝刊18面「野口、プロ入り初勝利 阿蘇オープン・ゴルフ
  20. ^ 朝日新聞縮刷版p299 昭和53年4月9日朝刊19面「金井がリード 阿蘇オープン初日
  21. ^ History 宇部72㏄の歴史
  22. ^ 朝日新聞縮刷版p969 昭和58年5月27日朝刊17面
  23. ^ 上田鉄弘 男子プロゴルファー ペプシ宇部トーナメントゴルフ 第1日
  24. ^ 朝日新聞縮刷版p1019 昭和58年5月28日朝刊19面
  25. ^ 朝日新聞縮刷版p1057 昭和58年5月29日朝刊17面
  26. ^ 朝日新聞縮刷版p1090 昭和58年5月30日朝刊18面
  27. ^ 上田 鉄弘選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site
  28. ^ 各種ランキング|シニアツアー|競技|公益社団法人 日本プロゴルフ協会
  29. ^ 2004年日本プロゴルフシニア選手権大会
  30. ^ 各日最終成績 '92クレインカップ 関西プロシニア選手権競技
  31. ^ 各日最終成績 BMWクラシック in 北海道サム・スニードカップ
  32. ^ 各日最終成績 KTVプロゴルフシニア
  33. ^ 各日最終成績 五島 昇メモリアル とうきゅうシニアカップ
  34. ^ 第12回第一生命カップシニアトーナメント
  35. ^ 各日最終成績 インターナショナルゴルフトーナメント 近鉄ホームシニア
  36. ^ 各日最終成績 第5回ミズノシニアクラシックゴルフトーナメント
  37. ^ 各日最終成績 旭国際ヴィンテージクラシック ゴルフトーナメント
  38. ^ '99関西プログランドシニア選手権
  39. ^ '99日本プログランドシニアゴルフトーナメント
  40. ^ '99日本プログランドシニア選手権大会
  41. ^ 2003選手紹介
  42. ^ アサヒ緑健カップ 第4回TVQシニアオープンゴルフ

外部リンク

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