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井上広居

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
井上広居

井上 広居(いのうえ ひろやす、元治元年10月4日[1]1864年11月3日) – 昭和31年(1956年6月5日[2])は、日本政治家衆議院議員立憲国民党立憲同志会憲政会)や秋田市長(第6代)[3]を務めた。

経歴

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久保田藩士小貫久之進の二男[4]で、井上福治の養子となった (秋田市手形新町上丁住)[1]漢学を学んだ後、上京して東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学した[5]1886年明治19年)に卒業した後は、秋田魁新報社に入社し、やがて主筆、さらに社長に就任した[5]

1892年(明治25年)、秋田市会議員に当選した[6]。市参事会員、市会議長を歴任し、また県会議員、県参事会員、県会議長にも就任した[5]

1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。1915年大正4年)の第12回衆議院議員総選挙でも再選された。

1916年(大正5年)に秋田市長に選出され、1932年(昭和7年)まで在任した[6]。在任中は小学校の施設充実、商業学校の設立、上下水道の整備、産業振興に尽力した[6]

市長退任後の1936年(昭和11年)からは県教育会長を務めた[6]

戦後、秋田魁新報社長のため、公職追放となった[7]

脚注

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  1. ^ a b 『人事興信録』
  2. ^ 『政治家人名事典』
  3. ^ 歴代市長および副市長(助役)の紹介”. 秋田市. 2024年4月30日閲覧。
  4. ^ [1]
  5. ^ a b c 『現代日本の政治家』立憲同志会pp.19-21
  6. ^ a b c d 『自治制発布五十周年記念帖』p.247
  7. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、160頁。NDLJP:1276156 

参考文献

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  • 帝国地方行政学会 編『自治制発布五十周年記念帖』帝国地方行政学会、1938年。doi:10.11501/1462337 
  • 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。doi:10.11501/1880858 
  • 人事興信所 編『人事興信録』(8版)人事興信所、1928年。doi:10.11501/13054323 
  • 日外アソシエーツ 編『政治家人名事典 明治~昭和』(新訂)日外アソシエーツ、2003年10月。ISBN 4-8169-1805-1 
  • 秋田県総務部秘書広報課 編「廉潔偉大な市長 井上広居」『秋田の先覚』 4巻、秋田県、1970年、97-111頁。doi:10.11501/2972963https://dl.ndl.go.jp/pid/2972963/1/56