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井上輝夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

井上 輝夫(いのうえ てるお、1940年1月1日[1] - 2015年8月25日)は、日本のフランス文学者詩人翻訳家慶應義塾大学名誉教授。

略歴

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兵庫県西宮市夙川生まれ[2]慶應義塾大学文学部仏文学科卒業[2]。同大学大学院を経て、フランスのニース大学で博士号取得[2]。弟弟子にル・クレジオがいた[3]。留学時代にキリスト教に入信。慶應義塾大学経済学部助教授・教授を経て[4]慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の新設に参画し[4]、1990年同キャンパス総合政策学部教授[4]。1999年から慶應義塾ニューヨーク学院長就任[4]。2005年定年退職、名誉教授、中部大学人文学部教授[4]。2010年、同大学を退職[5]

1961年、会田千衣子岡田隆彦吉増剛造鈴木伸治とともに詩誌『ドラムカン』を創刊、詩人として活動した[4]。吉増の第一詩集「出発」の序文を記している。慶應義塾大学中高等部の側にある「旅人かえらず」の詩碑の設置に関わった[4]。西欧文化のみならず、アラブ文化・イスラームに敏感な横顔もあった[6]

2015年8月25日、特発性肺線維症のため死去[4][7]。75歳没[4]

家族

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父の井上光二は童話を書いており、その童話をまとめた『草の芽 井上光二遺稿童話集』(発行者 井上輝夫、昭和61年)を刊行した。また、妹を戦災で失って悲しむ様子を、吉増剛造が書き留めている。

著書

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詩集

  • 『旅の薔薇窓』(書肆山田) 1975
  • 『夢と抒情と』(思潮社) 1979
  • 『秋に捧げる十五の盃』(書肆山田) 1980
  • 『冬ふみわけて』(ミッドナイト・プレス) 2005
  • 『青い水の哀歌』(ミッドナイト・プレス) 2015

エッセイ、論文

  • Une poetique de l’ivresse chez Charles Baudelaire : ; essai d’analyse d’apres Les paradis artificiels et Les fleurs du mal. France Tosho, 1977 (『ボードレールにおける陶酔の詩学』フランス図書)
  • 『聖シメオンの木菟 : シリア・レバノン紀行』(国書刊行会) 1977  のちミッドナイト・プレスから新版 2018
  • 『詩想の泉をもとめて ケンブリッジ、ニューヨーク、福江島まで』(慶應義塾大学出版会) 2011
  • 『詩心をつなぐ 井上輝夫詩論集』(慶應義塾大学出版会) 2016

共編著

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  • ユトリロと古きよきパリ』(横江文憲, 熊瀬川紀共著、新潮社、とんぼの本) 1985
  • 『草の芽 井上光二遺稿童話集』(発行者 井上輝夫、私家版) 1986
  • 『メディアが変わる知が変わる ネットワーク環境と知のコラボレーション』(梅垣理郎共編、有斐閣) 1998

翻訳

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脚注

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  1. ^ 『文藝年鑑』2008年
  2. ^ a b c 慶應義塾大学出版会 | 詩想の泉をもとめて | 井上輝夫. https://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766418026/ 
  3. ^ 吉田悠樹彦「記憶・文化史・メディア『ダゲール街の人々』と『顔たちところどころ』を中心に」(金子遊 若林良 吉田悠樹彦編『アニエス・ヴァルダ 愛と記憶のシネアスト』)neoneo叢書、2021
  4. ^ a b c d e f g h i 訃報 元総合政策学部教授の井上輝夫名誉教授が逝去”. SFC CLIP. 2021年11月29日閲覧。
  5. ^ 『詩想の泉をもとめて』著者紹介
  6. ^ 【Review】ドキュメンタリーが示す新たな井筒俊彦とその可能性 text 吉田悠樹彦 | neoneo web”. webneo.org. 2018年9月4日閲覧。
  7. ^ 詩人・仏文学者の井上輝夫さん死去 朝日新聞 2015年8月27日