井元乾一郎
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井元乾一郎 いもと けんいちろう | |
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生年月日 | 1946年6月17日(78歳) |
出生地 | 日本 岡山県苫田郡鏡野町 |
出身校 | 鳥取大学農学部総合農学科卒業 |
前職 | 鏡野町職員 |
所属政党 | 自由民主党 |
公式サイト | いもけん |
第67代 岡山県議会議長 | |
在任期間 | 2016年5月16日 - 2017年5月15日 |
在任期間 | 2013年5月15日 - 2014年5月15日 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1993年 - 1999年 |
井元 乾一郎(いもと けんいちろう、1946年6月17日 - )は、岡山県苫田郡鏡野町出身の地方政治家。鏡野町長を務めた後、1999年より岡山県議会議員を務める。
略歴
[編集]- 1946年 - 岡山県苫田郡鏡野町に生まれる。郷小学校、鏡野中学校、津山高等学校、鳥取大学農学部総合農学科を卒業。
- 1969年 - 鏡野町職員として就職。
- 1993年 - 鏡野町長に初当選。
- 1997年 - 2期目の当選。
- 1999年 - 統一地方選挙で岡山県議会議員に初当選。
- 2013年 - 県議会副議長(任期1年)[1]。
- 2016年 - 県議会議長(任期1年)[1][2]。
活動
[編集]鏡野町長時代に「鏡野町総合計画」の子供を大切にの主題からキャッチフレーズに日本のペスタロッチタウン・鏡野を定めた。ペスタロッチ像を建て、ペスタロッチゆかりの町であるスイスのイヴェルドン・レ・バンからケルネン市長夫妻を招いて「ペスタロッチ祭」を開催した。1996年に、鏡野町とイヴェルドン市が、ケルネン市長夫妻ら8名、井元乾一郎夫妻ら10名、在ジュネーブ日本政府代表部から2名が出席して友好憲章を締結した。翌年、第1回友好都市交流事業を開始したほか、すべての小学6年生の児童を対象として「ペスタロッチ賞」の表彰なども実施した。町をあげての取り組みが高い評価を得て1997年10月3日、鏡野町は地方自治法施行50周年記念式典において地域振興部門の県知事表彰を受けている[3][4][5][6][7]。
2016年現在、県議会会派の県政会に所属している[2]。
2010年4月7日、自民党の70歳定年制により参議院選挙の公認が得られていない片山虎之助の追加公認を求める要望書を、大島理森自民党幹事長に手渡した[8]。また同年4月17日、東京都内で開かれた全国地方議員緊急集会で民主党への陳情の一元化反対を訴えた[9]。
脚注
[編集]- ^ a b “歴代正副議長”. 岡山県議会 (2016年5月16日). 2016年5月21日閲覧。
- ^ a b “自民県議団、議長候補に井元氏 副議長候補は久徳氏”. 山陽新聞digital (2016年5月9日). 2016年5月21日閲覧。
- ^ 鏡野町史編集委員会・鏡野町教育委員会編 『鏡野町史-通史編』 鏡野町、2009年、1027頁。
- ^ 目瀬守男監修・佐藤豊信編 『国際化時代における岡山県農業・農村の活性化』 財団法人農林統計協会 1998年、338頁。
- ^ 山陽新聞社出版局編 『山陽年鑑』 山陽新聞社、1998年、303頁。
- ^ 谷口澄夫監修・株式会社旺文社エディタ編 『岡山県風土記』 株式会社欧文社、1996年、203頁。
- ^ “鏡野町とイヴェルドン・レ・バン市を結ぶ友好憲章”. 鏡野町まちづくり課. 2016年5月21日閲覧。
- ^ “片山氏 参院選公認を 自民県連 党本部に要望書”. 山陽新聞 (2010年4月7日). 2010年4月29日閲覧。
- ^ “地方議員が打倒民主政権を誓い合う 全国地方議員緊急集会”. 自由民主党 (2010年4月17日). 2010年4月29日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- 井元乾一郎 (@imojyu/status/12418915596) - X(旧Twitter)