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京成自動車工業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
京成車体から転送)
京成自動車工業株式会社
Keisei Motors Ltd.
本社・工場外観
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 京成自工
本社所在地 日本の旗 日本
272-0026 
千葉県市川市東大和田2丁目5番3号
設立 1944年7月1日
業種 輸送用機器
法人番号 9040001026148 ウィキデータを編集
事業内容 特種用途自動車車体の設計・製造・修理
代表者 代表取締役社長 大庭 耕一
資本金 2000万円
純利益 △3億5,624万7,000円
(2024年3月期)[1]
総資産 6億3,500万円
(2024年3月期)[1]
従業員数 100人
主要株主 京成電鉄(100%)
主要子会社 株式会社サーモテックステクニカル
外部リンク http://www.keiseimotors.co.jp/
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京成自動車工業株式会社(けいせいじどうしゃこうぎょう、英文社名:Keisei Motors Ltd. )は、千葉県市川市本社を置く京成グループコーチビルダー略称京成自工(けいせいじこう)。

特装車メーカーとして、各種検診車レントゲン車および、特殊救急車などの医療防疫車、放送中継車衛星中継車、イベントカーなどの設計・製造を行う。特に放送中継車は日本国内の車両をほとんど手がける。

かつては親会社京成電鉄(現:京成バス)を中心にバス車体の製造も行っており、自社設計の車体のほか西日本車体工業ライセンス車体も製造していた。

なお、本社前の京成電鉄(現:京成トランジットバス)のバス停留所名は、かつては「京成自工前」であったが、1985年に本社の向かい側に市川市文化会館が開館すると同時に「文化会館」に改称された。

沿革

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バス車体製造

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京成車体架装のいすゞBU10型
京成電鉄(現:京成バス)、西船橋駅北口

1948年から1972年までの間はバス車体の製造を行っており、千葉県下のバス事業者(特に京成グループ)のみならず、はとバス東京都交通局(都営バス)静岡鉄道にも同社製造の車体を架装したバスが納入されていた。静岡鉄道には親会社の京成電鉄と並び多目に納入実績が有る。これらの車体は「京成車体」とも呼ばれた。

初期は自社設計の車体を架装しており、その中でも1963年に製造されたはとバスの車両は「スーパーデラックスバス」と称したガラス面積の大きい車両で、元来特殊車両を多数手がけていた京成自工の技術力が生かされたものといえる。

1961年には西日本車体工業(西工)と技術提携しており、1967年以降の京成自工製の車体は西日本車体工業のライセンス生産によるもので、通常の路線バス車体は西工車体とほぼ同型の外観となった。

京成電鉄(現:京成バス)に最後まで残存していた、京成車体架装のいすゞ・BU101987年に廃車となり、量産タイプの京成車体を架装したバスは過去のものとなった。しかしその後もファンタスティックバスの生産は、東京特殊車体京王グループ)ほど目立たないもののいくつか手がけている。

神戸市交通局のボンネットバス「こべっこII世号」レプリカ
ベース車:いすゞ・フォワード

特筆すべきものとして、ボンネットバスレプリカ製造が挙げられる。これは神戸市交通局で保存されていたボンネットバスこべっこ号」(いすゞ・BX1311956年式)が、ディーゼル排出ガス規制により車検更新が不可能となったため、代替車両としていすゞ・フォワードをベースにレプリカ「こべっこII世号」(U-FTR32FB改)を製造することになったものである。京成自工が1993年5月に車体製造を受注し、1993年8月に納入した。現代の車両と違い平面的な部分が少なく、車体のほとんどが鈑金叩き出しとなっている。しかしその後「こべっこII世号」も排出ガス規制の対象となったため、2006年1月にディーゼルエンジンCNG仕様に改造している。

特装車事業

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主要取引先
  • 放送中継車関連
池上通信機ソニービジネスソリューション東芝日本放送協会、全国民間放送局および放送プロダクションなど
  • 医療防疫車関連
日立メディコ富士フイルムメディカル、各地方自治体および消防局、各社健康保険組合など
手がけた車両の一例

参考文献

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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